百話 『闇を降りる』
あり合わせの素材で作った命綱が、ぎしぎしと音を立てて手すりをこする。
シブキと苺之妃が身を抱き合い、一塊の影のようになっていてくれているおかげで、サビトガの腕には余計な震動や負担がかからずに済んでいる。
だがそれでも、二人分の重みを傷ついた体で支えるのは骨だった。サビトガの姿勢がしだいに低くなり、体が空を仰ぎ始める。命綱を降ろす手の皮が焼け、肘の関節が悲鳴を上げ始めた。
サビトガは息を詰め続けながら、足元に転がっている黄金の巨躯に視線をやる。命綱の先端を巻きつけた首は未だ露台の床についたままだ。この首が綱に引かれ持ち上がれば、恐らくはシブキ達が地上に着く。巨躯が絞首死体になった時が苦難の終わりだ。
苦痛に唇を噛みながら、命綱を降ろし続ける。上級妃の二階建ての寝所は、一般的な家屋の三階から四階に相当する高さだ。シブキ達も闇の深淵に呑まれるかのような恐怖と戦っているはずだった。
ぎしぎし、ずるずると滑る綱。雨空を仰ぐサビトガの肩が床に接触した時、黄金の巨躯の首が絞まる音がした。
直後に綱の先の重みが消え、サビトガの体が床に投げ出される。背を打ちつけ息を吐き出すサビトガが、急いで身を起こし、手すりの向こう側を覗き込んだ。
闇の深淵に、一瞬だけシブキに渡した剣の光がひるがえった。見れば衛士達の灯火が先刻よりも近くをさまよっている。
サビトガは両手を握っては開き、血流をめぐらせると、すぐに手すりをまたいで命綱を伝い始めた。
闇を降りるサビトガの指に、敵の喉の骨が砕ける明確な感触が命綱を通して伝わってくる。サビトガの体重は、きっとシブキと苺之妃のそれを合わせた分よりも重いはずだ。
巨躯が手すりを圧迫し、軋ませる音が聞こえる。地上を目指すサビトガの目に、わずかに堀の水のゆらめきが映った時。
頭上からバキバキと木の砕ける音が響き、サビトガの体が命綱もろとも闇を落下した。
あやうく声を発しそうになった口をふさぎ、受け身を試みる。堀の水のゆらめきから高度を推測し、闇の中の地面にあたりをつけて転がる。
さすがに完全には上手くいかず、右半身を土に打ちつけてしまった。濡れた草にうめきを吹きかけるサビトガの後方で、露台から転落した巨躯が手すりの残骸と共に地面に激突する。
飛散する血臭が鼻に届いた時、サビトガの体に四本の手が伸ばされた。
身を支えられながら起き上がると、シブキと苺之妃の顔がすぐそばにあった。二人の顔色にいかなる負傷の気配もないことを認めるや、サビトガは打ち付けた半身をかばいながら外堀へと臨む。
堀の架け橋に、衛士達の灯火があった。後宮へと向かって来るその光に、サビトガの目の前に突き刺さっていた三叉槍の柄がきらめく。
折れた剣を差し出してくるシブキに手の平を向け、サビトガは三叉槍を引き抜く。いささか巨大すぎる得物だが、折れ剣よりはマシだった。
架け橋の光は、三つ。シブキ達に「背後についてください」と声を向けると、サビトガは地を蹴り、進路をふさぐ敵を排除にかかった。




