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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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九十七話 『時代の飛沫 中編』

「シブキ殿。寒くはありませんか」


「はい、苺之妃ちごのひ様。大丈夫です。この白装束(しょうぞく)は見た目よりずいぶん厚い布で出来できていますから」


 寝所の最奥。本来なら国王と妃が夜を過ごすための大部屋に、王子シブキと、一人の上級妃が座していた。


 赤い染料で染められた畳は、死に装束をまとったシブキが居るとまるで血溜まりのようだ。巨大な屏風びょうぶで仕切られた部屋の入り口を、時折ときおり障子の向こうを歩く親衛隊士の影が行き来する。


 苺之妃と呼ばれた上級妃が、蜂蜜色に染めた爪で畳の上に転がっていた饅頭を拾い上げ、包みを開いてシブキに差し出して見せた。


 シブキはゆるく首を振り、小さく笑みを返す。その顔は彼がみ嫌う父親、先王のそれに、残酷なほど似ていた。


 苺之妃が饅頭を包み紙に戻しながら、ほぅ、と息を吐く。部屋には衛士達が監禁される二人のために雑多に投げ込んだ食料や着替えが、他にも多々散乱していた。


 シブキの白装束も、そんな着替えの中からあり合わせに布を集めてこさえたものだ。シブキが銀粉の舞う雪色のそでを持ち上げ、やわらかな前髪を指先でかき上げた。


「苺之妃様にはこのひと月の間、本当に良くして頂きました。特に母上が露台から身を投げ自害されてからは、失礼ながら私にとっては第二の母親のように思えるほどに、優しく接してくださいました」


「御母堂のことは本当に残念でした。しかしあの方は世に絶望してお命を断ったわけではなく、死を決したあなたの心残りにならぬようにとの親心で自害を選ばれたのですよ」


「はい。分かっております。思えばろくな孝行こうこうもできませんでしたが、せめて母上の子として、立派に果てて見せようと思います」


「……あなたがんだ処刑人は、もうそこまで来ているようです。シブキ殿、何か最後にして欲しいことはありませんか」


 シブキはじっと目の前の上級妃を見つめ、しかしすぐに笑顔で首を横に振った。未だとおを少し過ぎた程度の幼い王子の返事に、苺之妃の目がわずかに水気をびた。


「この国はもう終わりです。立派な正しい人ばかりが死に追いやられる。残るのは邪悪な人間と、卑小な人間ばかりでしょう。悪徳の国においては私もきっとまともな死に方はできません」


「苺之妃様」


「……ごめんなさい。つい湿しめっぽいことを言いました。こんな時、しんの弱い女は駄目ね。東の鬼姫殿ならきっとまゆ一つ動かさず、堂々とあなたを送り出すでしょうに」


「先にく私が言うのもおこがましいですが、でも、どうか希望を捨てないでください。世に悪に染まった国はあれど、悪を永久に保持できた国はありません。人がいる限り、国には正道が生まれます。人は正道に集まり、悪を打倒する生き物です」


 私はそう信じます。


 シブキの言葉に、苺之妃は浅くうなずきながら、目元を指でぬぐった。


 まさに、その瞬間。


 二人の声だけが満ちていた大部屋に、遠くから凄まじい絶叫が響き渡った。


 はっと目を見開くシブキ達の耳を、立て続けにむごたらしい悲鳴と剣戟音が震わせる。


 武器を持った男達が争う音。床を駆け鳴らし、剣を振るい、板戸や障子を突き破って転げ回り、殺される音。


 断末魔の叫びが、どんどん近づいて来る。部屋の前を衛士達が走り過ぎ、そしてすぐに悲鳴と命乞いの声を上げた。屏風の隙間から覗く障子に、真っ赤な血が音を立てて飛び散る。


 ――やがて、ぞっとするほどの静寂に沈んだ廊下から、重い靴音が近づいて来た。


 全てを斬り殺した一人が、障子の前に立つ。


 いつしか苺之妃が、身を震わせて肩を抱いていた。障子が音もなく開く。屏風の脚の間から、血まみれの靴がのぞいた。


 靴が近づいて来る。そして屏風に描かれた鳳凰ほうおうの体が、剣閃とともに真っ二つに断ち切られた。


 倒れる屏風の向こうから、恐ろしい怪物のなりが現れた。血の赤と羽毛の黒、そして顎骨の白をまとった異形の色彩が、シブキに暗い視線を送ってくる。


 シブキは、怪物が手にする刀にこびりついた人間の肉と脂と、眼球と内臓の断片を前に。


 ああ、私はこの刀に首を落とされるのだな、と。


 得体の知れない震えと共に、どこかにぶい思考を、めぐらせていた。

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