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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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九十一話 『鬼姫様 前編』

 血と雨水の線を引きながら、サビトガは寝所の露台ろだいへとい登る。


 手すりを越え、床に転がり込むと、下級妃達につかまれた場所が猛烈に痛み出した。


 元々血のめぐりが悪化していた所にウダイの刀傷を受け、さらに女達の爪で傷口をこじ開けられていた。至急()わねばならぬほど深くはないが、痛覚神経を掘り出されたかのような激痛をともなう負傷だった。


 サビトガは足を引きずり、クイナにもらった温水袋がなくなってしまっていることに気付きながら屋根の下へと進む。階下では妃達があきらめきれずにサビトガをさがしているらしく、怒声と足音が聞こえてくる。だが下級妃達は間違ってもこの寝所へは上がって来るまい。


 同じ妃と言えど、下級妃は上級妃には絶対に逆らえない。それは妃の下級上級のくらいが、明確に家柄と、貴人としての実力によって定められているからに他ならない。


 上級妃に無礼を働けば、下級妃達は暴力以外のあらゆる手段で仕置きをされる。その恐怖は国の制度が崩壊した今となっても、下級妃達の心に染み付いているはずだ。


 ましてやこの東の寝所の主は、特に苛烈かれつな気性で知られる酷()だった。王のお手つきをたまわ寵妃ちょうひの座かられたにもかかわらず、その寵妃達からすらも恐れられ、嫌われた上級妃。


 先王にさえ『鬼姫』とあだ名された、後宮のある意味での支配者だ。


 サビトガは梅の枝が自身を鬼姫の寝所へと導いたことをどうとらえるべきか迷いながら、椿つばきえがかれた雨戸を開け、寝所内へと身をすべり込ませた。


 瞬間、サビトガの横顔に針のような視線が飛んでくる。無事でられたか。そう胸中でつぶやきながら、サビトガは濡れた体でたたみを這い、視線の主へと平伏へいふくした。


「お許しを、明星ミンセイ妃様。すぐに出ますゆえ……」


「誰かと思えば錆咎サビトガか。おぬし、だ生きておったのか」


 下級妃達と違い、甘い響きなど一切()せぬ冷え冷えとした声に、サビトガはゆっくりとおもてを上げる。


 畳の敷き詰められた、しかし閑散かんさんとした大部屋に、一人の麗人が背筋を張って座している。血のような赤紙のおおいの蝋燭ろうそく立てに浮き上がる髪はくしが通され、高く丁寧ていねいに盛られており、肌にも白粉おしろいがはたかれているのが分かる。唇と眉下にべにを塗った鬼姫の目はつららのようにするどく、まつげもまた地を裂く霜柱しもばしらのようだった。


 先王亡き世にあり、一切の乱れも弛緩しかんゆるさぬよそおいを保った上級妃は、しかしサビトガに「夜這いにでも来たか」と品のない冗談を言う。


「世が乱れておる。ミテンのぼうが天下を簒奪さんだつしてより、不届き者が多くてな」


 鬼姫が、白地にあかの模様が入った着物のそでを上げ、サビトガの背後を指す。


 振り返ると、驚くほど近い暗闇に全裸の死体が散乱していた。防腐のつもりか塩と灰を雑に振りかけたそれらを、鬼姫は長い爪のついた指で指し続ける。


「陛下が崩御され玉の肌もさみしかろうと、衛兵や小役人の分際ぶんざいわしを抱きに来たたわけ(・・・)どもよ。下のえた小娘どもには怖気おじけづくくせに、どうもわしの方はくみしやすく見えるようでな。

 乱世に高潔を保とうとする女を襲うとは、男の風上にも置けん外道よ。のう?」


「……あなた様に大事はなかったので?」


「首を少し引きかれたかの。なに、子猫のたわむれ程度のものじゃ。極楽ごくらくせてやった。抵抗せねばならぬと気付いた時には、力もれておるわ」


 鬼姫が、初めて冷たい顔に薄笑みを浮かべた。畳の上に置かれていた酒器しゅきを取り上げながら、サビトガにささやくように「ちこう」と声を飛ばす。


 彼女と話し込んでいる時間はなかった。だがこの騒ぎでは下手へたに動けぬのも事実だった。鬼姫の寝所は追っ手がみ込みにくい安全地帯か? しかし下級妃達の多くはサビトガがここに逃げ込んだことを察しているはずだ。


 考えがまとまらない。サビトガは痛む体を引きずり、鬼姫に近づいた。


「――陛下に披露ひろうするはずであった房中ぼうちゅう術を、散々に試してやったのよ。れ者どもの精気を吸い尽くし、抱き殺してやった。

 やつらめ、自分がこれほどに情けない最期をむかえるとは思うておらなんだのだろう。幼子おさなごのように泣いてったわ」


「……」


「女は男が思うておる以上に恐ろしい生き物よ。それはこの鬼姫に限ったことではない」


 そうであろ?


 鬼姫が、無礼にならぬギリギリの距離で畳に座ろうとしたサビトガに言いながら、笑顔をくずさず舌打ちをした。


 ぴたりと動きを止めるサビトガに、鬼姫は低く「近う」と繰り返す。


 サビトガは少し考えてから、手にしていた骨鋸を畳の上に残し、さらに鬼姫に寄った。


 鬼姫は白粉を使っていることを差し引いても、体に色素というものをほとんどまとわぬ人だ。肌はおろか、体毛や瞳の色すらぼんやりとうす白く、やなぎの幽霊のように輪郭りんかくがおぼろげだった。


 それは医学的には色素異常とされる病のたぐいだが、妃としては稀有けうな才覚、美の一種とされていた。


 色素の異常が子に遺伝すると発覚するまでは、鬼姫は雪姫と呼ばれていたのだ。


 サビトガは手を伸ばせば触れられるほどの距離で改めて腰を下ろすと、相手にならって背筋を伸ばし、正座した。


 筋肉を張ると傷がまたもやうずき出す。顔をしかめた。瞬間。


 鬼姫が手にしていた酒器を振るい、サビトガに辛口の酒を正面から、叩きつけるように浴びせかけた。


 かっと肌が熱をび、全身の傷が切り直されたかのように激痛を走らせる。たまらず身を抱くサビトガに、鬼姫はさらに別の酒器を取り上げ同じことを繰り返す。


 転げ回りたいほどの、骨まで響く痛みだった。歯を食いしばるサビトガの頭の上で、鬼姫がしものような声を吐く。


「高い酒じゃ。傷の毒も焼けせよう」


「……! ありがたき……!」


「ありがたく思うなら、今度はおぬしがしゃくをせい」


 三つ目の酒器が、サビトガの目前に置かれた。


 鬼姫は真っ赤なさかずきを蝋燭立ての陰から取り上げながら、笑みの消えた顔で言う。


「あるいはこれがたがいの末期まつごの水となるやも知れん。心してそそがねば、貴様も極楽へ送るぞ。死にぞこないめが」

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