八十七話 『残骸のウダイ 前編』
視界に火花が散る。顎骨同士が擦れ合い、ぎしぎしと不快な音を響かせる。
敵が、急に戦士としての見事さをまとい始めた。取るに足らぬ下衆の中に、下衆のふりをした何者かが潜んでいた。
敵の利き手に、骨の露出した右腕が添えられる。全力をもって骨鋸を押し出すサビトガを、ウダイは依然笑顔のまま阻んでいる。
鋭い三日月に歪んだ双眸が、サビトガの怪鳥の貌を見下ろしながら、毒々しいまでに優しい声を落としてきた。
「新型処刑刀剣だの、新型拷問具だの、新法だの。ミテン陛下が我らに賜れるものは何もかもが小賢しい戯言よ。だが、それがまた愛い。ガキの感性丸出しの拙い悪意を、嬉しげに臣下に背負わせてくる……実に、実に愛い」
サビトガが素早く首を振り、頭突きを放つ。するとウダイもまた同じ動作を返し、額と額が乾いた音を立てて衝突した。
脳が揺れ、視界が火花で満たされる。よろめくサビトガの髪先を、近衛兵の剣がかすめていった。
サビトガと同じく体勢を崩したウダイが、崩れたままに放った斬撃の行方に照れたような声を出す。片ひざを突く彼の横面を、一瞬の後にサビトガが蹴り倒した。
床に叩きつけられるウダイ。その変わらぬ三日月が、背後に距離を取りながら荒く息をするサビトガを見上げる。
乳児の顎骨が、反吐と共に再び言葉を吐き出し始めた。
「勤仕十五年。近衛兵団員として王家を守護してきた。クソに等しい貴族やクソにも劣る国王に頭を下げながら、それでも近衛兵でい続けたのは全て自分のためだ。誇らしい任務を全うする自分の姿と名誉を保つためだった。
俺は、自分が一番好きなのだ。他の誰よりも自分が好きだ。主君への忠心も愛国心も持ち合わせちゃいない。自分さえ良ければ他人がどうなろうと、知ったことじゃないんだ」
「……」
「だが、そんな俺をこそ国と王は飼い慣らすべきなのだ。自分を第一に置く優秀な兵士を上手く使えないで、なぜいっぱしの国家と言えるのだ。
俺にとっては先王もミテンも、大して変わらない。鼻持ちならない愚王か、馬鹿丸出しの愛い愚王かだ。だからミテンが俺から近衛兵の身分を取り上げ、新しい任務と名誉を与えると言った時、他の連中と足並みをそろえて喜んでみせた。馬鹿面をさらして、近衛兵団に入った時と同じようにな」
ウダイが床を押し、立ち上がる。顎骨の隙間から緑色の色彩を帯びた吐瀉物がこぼれ、落下した。
「――今の自分が誇らしい姿をしているかどうか、もはや分からん。過酷な処刑人の仕事を果敢にこなし続ければ、いくばくかの誇りをまとえるかと思った。貴様のようにな。
だが日々向けられるのは、ひたすらに怨嗟と軽蔑の声だけだ。誰にも誉められない、誰にも労われない……」
「俺の姿を見ていたのなら分かっていたはずだ。死道に立つ者に、賞賛の声などかからない」
サビトガは反吐の緑色を見つめながら、低い声で言う。
「名誉を保ちたい男が、処刑人になどなるべきではなかった」
「同僚どもが楽しく狂っていきやがるのが、余計にしゃくでな。やつらは名誉のためでなく損得勘定と勢いでこの仕事に就いた。女子供の死体で遊べるような邪悪さが俺にもあれば、また違ったのかもしれんな」
「真人間ぶるな。貴様に他のやつらを笑う資格はない」
サビトガは自分を見つめる三日月を、血走った目で睨み返した。反吐にまみれた緑色の色彩、未消化のケシの実を指し、奥歯を軋ませる。
「近衛兵の矜持を捨て、暴君に下り、人々を残虐に殺すことへの罪悪感をケシの毒なぞでごまかした。そんな男に一瞬でも役目を代わられたことは、俺にとって最悪の恥辱だ」
「すまないな。俺は鬼畜には成れなかった」
「貴様は『残骸』だ! ウダイ!」
サビトガが床を蹴り、骨鋸を振りかぶった。
「最後の情けだ! 誇りある近衛兵の剣で戦わせてやる! だが……処刑人の名を汚した報いは受けてもらうぞ!!」




