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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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八十四話 『士道 後編』

 待つ時間は長く、天から伸びる雨足は闇の中に格子のごとく線を引き、二人を冷たい時の中に幽閉し続けるかのようだった。


 たぎる血の熱をたもつため、サビトガはこぶしを硬くにぎっては逆の手でほどくことを繰り返す。クイナは足下の小石を拾い上げ、雨で洗っては口の中で転がした。


 疲労と眠気を各々(おのおの)のやり方で追い払い、戦うこと、おそらく数時間。


 約束されていた機会は、まさに唐突とうとつおとずれた。


 後宮の橋の向こうから、星屑ほしくずのような光がまたたいた。閉鎖されていた大扉がほんのわずかに開き、室内灯の明かりを外界に飛ばしたのだ。


 百秒。二人は先刻承知の猶予ゆうよに声もなく木蓮の林から飛び出し、長い橋を一気に駆け抜ける。


 雨音が多少かき消してくれるとはいえ、橋の木板は靴音くつおとを硬く響かせる。伏兵戦にけた『忍ぶ者』がミテンに下っていないことをいのるばかりだった。闇と雨の中では、彼らがこの国における『最強』だ。足音もなく戦える彼らに襲われて生きていられる者などいない。


 まして橋板をけ鳴らして渡る者など、一瞬で捕捉ほそくされ毒剣の餌食えじきになるだろう。彼らにこうするには最低限、視界の開けた場所にたどり着くしかなかった。


 サビトガはまさに全速力で闇の中をけ、遅れ始めたクイナの手を取って星屑の光を目指した。胸中で時を数え、六十を過ぎたあたりでようやく大扉へとたどり着く。


 扉に身をすべり込ませると、高い天井にられた巨大な室内灯が薄紙のおおしに光を降ろしていた。暖色の光が満ちる室内には、他にも大剣のような蝋燭ろうそくがいくつも燃えている。


 サビトガはぜいぜいと息をみだすクイナを中に引き入れると、大扉を閉鎖し、かんぬきをかけた。


 それから周囲に視線を飛ばし、クイナの肩をつかんで扉から遠ざける。部屋の中ほどまで進んだところで、詰めていた息を吐き出しながら「百秒だ」と声を落とした。


「猶予の百秒が過ぎたのに、なぜ門番が現れない?」


 クイナが目を見開き、サビトガが閉鎖した大扉を振り返る。広大な部屋には人影がなく、ただ木彫りの女人像や壁画の天女が二人に命のない視線を送ってくる。


 わなか。サビトガは周囲を警戒しながら、クイナを背に守る。骨鋸のに手をかけながら、部屋の奥、後宮をめぐる回廊の入り口へと歩を進めた。


 クイナがサビトガのマントをつかんでくる。震える指に大丈夫だと返そうとしたところで、サビトガの目が剃刀かみそりのようにり上がった。


 床に映った二人の影に、三人目の影がかぶさった。みるみる濃さを増す影に、クイナの腕を引き回し、振り向きざま天井へ向けてりを放つ。


 巨大な室内灯の陰に隠れていた衛士が、飛び降りながら剣を振り下ろしていた。刃がサビトガのこめかみをかすめ、靴底が衛士のあご下に突き刺さる。


 衛士の首とサビトガのひざが、同時にいやな音を立てた。衛士の体がそのままサビトガに激突し、両者は床を騒々(そうぞう)しく転がる。


 木彫りの女人像がなぎ倒され、壁画の天女に剣が飛び突き刺さった。サビトガは痛む全身にうめきながらも、血の泡を吹く衛士ののど拳打けんだを叩き込み、とどめを刺す。


 喉仏のどぼとけが陥没するまで打ちすえると、衛士の体を蹴り飛ばして床にいつくばった。呼吸を整え立ち上がろうとするサビトガの目の前に、クイナの足が現れる。


 言い損なった「大丈夫だ」をやっとの思いで吐き出すと、サビトガは床を押し、一気に起き上がった。


「ごめんなさい」


 目の前のクイナが、苦しげに眉根を寄せて謝った。


 サビトガは、剃刀のような目を硬直させながら、彼女の肩を受け止める。


 倒れかかってきたクイナの胸からは、サビトガの処刑槍によく似た穂先ほさきが突き出ていた。


 死神が笑う。クイナの血にれた、槍の柄に刻印された死神の顔が、声なく笑っている。


 サビトガは部屋の奥、回廊の入り口からぞろぞろと現れる衛士達を見た。


 彼らは全員黒いビロードのマントをつけ、白い顎骨や頭骨を顔にせ、サビトガと同じ格好をしている。


 恐怖の象徴としての処刑人を欲したミテンが、サビトガの代わりに用意した、臨時の処刑人。


 刑場を地獄のざまに沈めた、親衛隊の精鋭衛士達。


 やつらがクイナに槍を放ったのだ。


 背後から。背中から。


 処刑人の槍を。


 サビトガと同じ槍を。


「私は……呼ばないわ……。あなたを、背中刺し……なんて……」


 クイナの体から、力が抜けてゆく。その重みがサビトガをひざまずかせる。


 深緑色の頭巾が、留めひもを穂先に裂かれ、こぼれ落ちた。たっぷりとした黒髪が、サビトガの手をなでる。


 言葉を失っていたサビトガは、弛緩しかんした脳が感じたままに「髪、長かったんだな」と言葉を吐いた。クイナが血を吐きながら、うなずいてくれた。


「どうか、シブキ様の、お心のままに……。あの方の、望むように……して、あげて……」


 サビトガがうなずこうとすると、クイナはさらに血を吐き、それっきり、目を閉じてしまった。


 おびただしい人間の死を見届けてきたサビトガの目が、彼女の場合も例外なく、その肉体の滅びを感じ取る。こおりついたような、生気の一切をなくした死者の顔に変わるクイナを抱き、サビトガはその表情を、長髪の陰に沈めた。


「金もらって、股まで開いてもらって、悪いんだけどさあ」


 血の逆流を錯覚するサビトガに、衛士の一人が近づいて来る。


 陶器ではなく、本物の人間の顎骨に縄を通して装着した男が、弁髪べんぱつを指先でいじりながらクイナを見下す。


「後宮に引き入れるのがただの愛人でなく、悪名高き背中刺しだってんなら、さすがに見逃せねえわ。ミテンに弓引くようなことに加担したら、俺らもタダじゃ済まねえから」


「……」


「あんたもさ、このままおりに返したら、あることないことミテンに告げ口するんだろ? どうせあんたの後釜に居座るつもりだったし……俺らにとって一番いいのは、口封じの意味でも将来の安定の意味でも、やっぱりあんたに死んでもらうことなんだよな」


 十人近い衛士達が、武器を手に迫って来る。最前列の男がクイナを抱いたまま動かないサビトガの顔を、腰の短刀を抜きながらのぞき込んだ。


「俺らの手腕は先刻承知だろ? 髪の毛一本までバラバラにされるのがこええなら、今のうちに舌でもんで自決しなよ」


 先輩。


 そう笑った男のあご骨の隙間すきまを、槍の穂先がつらぬいた。


 音もなく。何の予備動作もなく。サビトガはクイナを抱いたまま、彼女の背の裏側の柄をにぎりしめ、槍をさらに深く押し込んだのだ。


 死した女の胸から飛び出した刃に顎下をつらぬかれた男は、何が起こったのか分からぬようで、目元に笑みを浮かべたまま硬直している。その弁髪をむんずとつかみ、サビトガはさらに刃を押し進める。


 顎に入った刃は、舌や口蓋こうがいを切り進み、やがて男の左の眼球を潰して眼窩がんかから飛び出る。


 痙攣けいれんする男に、他の衛士達がようやく事態に気付いて後ずさった。


「貴様らが俺の後釜だと?」


 サビトガはなおも槍を押し出し続ける。目玉のへばりついた刃が天井へと伸び、さらににからまった舌や口肉が引きちぎれ、空気中にさらされる。


「貴様らが衛()だと?」


 クイナの体から槍が抜け、サビトガが柄を持ち直しながら、男の体を持ち上げる。


「女子供とて……己の()に、必死に立ち向かっている……。すじを通さんと……己が天命を、げようと……」


「何をわけの分からぬことを!」


 衛士の一人が、蛇のようにのたくった奇妙な刀剣を手に突進して来る。クイナの体を床に横たわらせると、サビトガは痙攣する男の体を敵に向けて、槍ごと押し飛ばした。


 仲間の死体をとっさに腕で受けた衛士が、次の瞬間迫って来たサビトガの手に獣のような声を上げる。刀剣を握る手首が閃光のような手刀に叩き折られ、そのまま手刀の親指が衛士の右目に突き刺さった。絶叫する衛士の首を、サビトガが流れるようにかかえ込む。


士道しどう……不心得ふこころえ……!」


 サビトガの筋肉が岩のように盛り上がり、衛士の首を圧迫する。ぼきぼきと骨が砕ける音に、残り八人の衛士達の包囲が遠巻きになった。


 サビトガの黒髪と羽毛のマントが、血の色彩の中に同化し、どす黒い怪鳥のようなシルエットと化す。眼光すら陰の中に沈めた顔面に、白い顎骨だけが亡霊のようにくっきりと浮き上がった。


 人外の姿形しけい。魔性のなり


 それらが毒気どくけのような殺気をび、揺れる室内灯の明かりに巨大な影を落とした。


「『死道』にすら外れた、外道めら……! 生かしてはおかぬ!!」


 サビトガの腕が、衛士の首を力任せにねじり折る。


 死体と化した衛士を放り出すと、向かい来る残りの敵に向かって骨鋸を抜き放った。


 鯨の骨のとがった刃が、星屑のような光を先端に宿す。


 光が、魔性の咆哮とともに、飛んだ。

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