七十四話 『骸』
その異形を何と表現すれば良いのか。
ふらふらと体を揺らすそれは長細いシルエットを赤光の中に刻み、眼窩と口から細かな血煙を噴き上げる。
眼窩に眼球ははまっておらず、口からは唇が剥げ落ちて、歯がむき出しになっていた。
皮も肉もなくした骸骨。あるいは極度に腐乱した、死体。
血まみれのそれを言葉で表現するならば、生者でなく亡者の名を使わざるを得ない。およそ命があるとは思えぬ、しかし確かに息をして動いている、異形の屍。
サビトガは己よりも頭四つ分は上背がある相手を、じりじりと間合いをつめながら観察する。身の丈の大きさを別にすれば極めて人類に近い骨格だが、しかし明らかにサビトガ達のそれとは異なる特徴が骸骨にはあった。
肋骨だ。長身の骸骨の肋骨は異様に発達していて、喉骨や骨盤を取り込むほどに大きく膨れ上がっている。
それはさながら鳥かごにも似た、格子状の骨の檻だ。骨盤を底とする肋骨のかごの中に、おそらくは捕食され呑み込まれたのだろう、人間の肉片が詰まっている。
腕や足、内臓、眼球に耳朶に、鼻梁。食いちぎられた人体部位が圧縮され、骨の隙間からはみ出ている。
体幹の動きに合わせてぼとりぼとりとこぼれる目鼻に、視界の外からレッジが「人食い骸骨……!」と引きつった声を上げた。
その声に、骸骨がぐるりと顔をめぐらせる。
耳がないのに、なぜレッジの声を認識できるのか。眼球のない眼窩をなにゆえ相手に向けようとするのか。
その行為に何の意味がある?
サビトガは疑念を咆哮に代え、そっぽを向いた骸骨に突進した。相手が再び顔を前に戻してから動き出すのを見届け、槍先を肋骨の鳥かごに突き出す。
がきん、と異常に硬い音がした。まるで牛の大腿骨を打ったかのような、強烈な抵抗が手を伝ってくる。
骸骨が声帯のない喉から金切り声を出した。ほとばしる血煙がサビトガの髪にかかり、大きな手骨が顔面に迫る。
腕で防ごうとすると、骸骨の背後にシュトロが走り込んで来た。肉を持たぬ敵に剣を抜きかねたと見えて、彼は体ごと骸骨の腰骨にぶち当たり、サビトガの槍を向こう側から肋骨の隙間にねじ入れる。
体勢を崩した骸骨の手骨がサビトガの頬をかすめ、槍の石突が床に突っ張った。とっさにサビトガは身をひるがえして跳躍し、床と肋骨をつなぐ槍の柄に靴底を叩き込む。
べきりと音がしたかと思うと、槍と接触していた肋骨が二本はじけ飛び、宙を舞った。槍を引き抜くや穴の空いた鳥かごから、腐敗した腕がずるりとこぼれ落ちる。
骸骨がひざをつき、悲鳴を上げた。それは明らかな痛覚による叫びだ。
眼球のない暗い眼窩がサビトガを見ている。
そこには確かに怒気が。生きた感情の気配があった。
「二人とも離れろッ!」
響いた少女の声に、サビトガとシュトロが同時に床を蹴る。直後に骸骨の背中に鉄の深鍋がぶち当たった。
火にかけっぱなしにしていた、油料理の鍋だ。ガンガンに熱せられたカボチャの油が、骸骨の全身に飛び散り、炸裂する。
凄まじい絶叫。骨と血と人肉の焼ける臭いが噴き上がり、もだえる骸骨が油の飛沫を飛ばす。
顔を引きつらせるサビトガの視界の奥で、ふと、ちろちろと炎の色がおどった。はっとしてさらに後退するサビトガの耳を、レッジの高揚し切った叫びが震わせる。
「とどめだッ! くたばれぇえーッ!」
「馬鹿! やめろッ!!」
シュトロの声が聞こえた直後、油まみれの骸骨に火のついた薪が何本も飛来し、火の粉がボン! と音を立てて爆ぜた。
高温の植物油に、捕食された人間の脂。炎は全てを取り込んで派手に燃えさかる。
まずいと思った時には、炎の塊と化した骸骨が半狂乱で駆け出していた。古い木と草でできた建物を、炎と油を撒き散らして走り回る。
「火を消せ!」と屋根裏のハングリンが珍しく大きな声を上げる。サビトガが返事をする前に火をまとった骸骨は砦の壁をぶち破り、木片と骨片をまき散らしながら、外へと去って行った。
「……っとによぉ、この、アホタレが。バカタレが。スットコドッコイが。ボケナスの英雄気取りの、いいとこ取りしようとして結局全部逃す、大間抜けめが」
「すいませんでした……」
シュトロの罵詈雑言を一身に浴び続けながら、小さくなったレッジが焦げた木材を片付ける。
火事は五人の必死の消火活動の結果、ホールの床の半分ほどを消失させる程度の被害に留められた。壁や柱が延焼する前に床を引っぺがせたことで、砦の構造それ自体にほとんどダメージはない。
それでもあわやパーティー全員を焼死させるところだったレッジはさすがに猛省し、シュトロや少女に小突かれ、蹴られるままになっている。
サビトガは水で濡らした麻布で顔に飛んだ油を拭き取り、辺りに火の気が残っていないことを確かめてから、床に座り込んでいたハングリンに「ちょっと付き合ってくれ」と声をかけた。
「逃げた骸骨の後を追う。あんたならこのあたりの地形にも詳しいし、ヤツの痕跡を拾うこともお手の物だろう」
「……そこのシュトロ君の方が適役ではないかね。地形うんぬんはともかく、非常時に私は戦力にならんぞ」
「シュトロは他の二人と一緒に砦の門を補修する。骸骨はきっと崩れた大門からまっすぐ侵入してきたんだ。敵を追う班と拠点を確保する班、どちらにも戦いに長けた者が必要だ。仲間を守るためにな」
ふふんと鼻を鳴らすシュトロを一瞥しながら、ハングリンは至極おっくうそうに腰を上げる。
旅衣を失い上半身をさらしている彼に、サビトガは寝具用の草の掛け布を貸してやりながら、わずかに声を低くして訊いた。
「あの骸骨が魔王やあんたの言う『魔の者』か? あれをあと千匹倒せば、不死の水が手に入る?」
「そういう話だ。もっともアレはあくまで魔の者の一種に過ぎん。より強大で恐ろしげな敵はごまんといるぞ」
「だとしてもあの手の敵が相手なら、希望がないわけでもない」
ハングリンはその言葉の意味が分からなかったらしく、掛け布を羽織りながら首をひねった。
サビトガは槍を握りしめ、骸骨のぶち破って行った壁の穴を睨み、ふっ、とひとつ、息を吐いた。
「痛みを感じる相手なら俺の『餌食』にできる。処刑人、拷問官の、腕の見せ所だ」




