七十三話 『鼻』
木造の砦内で火を起こすわけにもいかず、サビトガ達は再び階下に降り、中庭へと向かった。
庭の中央、火が延焼する恐れのないスペースの地面を浅く掘り返し、砦に落ちていた朽木や建材の破片を積み上げる。そこに昼間消費した燈火用樺皮の燃えさしを入れ、火口とした。
炭化した樹皮とそこから染み出した油分は、火打石のわずかな火花にも理想的な反応を示し、すぐに炎を生んだ。
薄煙が白い空へとのぼってゆく。火を起こしたなら、まずは何をおいても食事の用意だ。サビトガは洞穴内で採取したミズゴケやグミを取り出し、献立を考える。
すると背後から、ずぼっ、と何かが抜ける音が聞こえた。首をひねればシュトロとレッジと少女が、捨て去られた畑にのたくっていた蔓を引っこ抜いている。「何の蔓だった?」と声を放ると、三人が力を合わせて蔓の先についていた大きな実を持ち上げた。
自重ゆえに半ば土に埋まっていたらしいその実はカバノキの樹皮に似た色をしていて、ぼとぼとと土の塊を地面に落としている。
サビトガは目を細め、数秒間を置いてから「カボチャか」と実の正体を言い当てた。カボチャは再び地面に落とされ、シュトロ達の手によって転がされて来る。
「食えるかな」と声をはずませるシュトロに、サビトガはカボチャの土をはらい落としながら、こぶしで軽く叩いてみる。
ポコン、と軽い音がした。サビトガは眉根を寄せながら近くに転がっていた石を拾い、カボチャに叩きつける。
ばかっ! といとも簡単にカボチャは砕け、その内からざらざらと平たい種が出て来る。実の中はほとんど空洞で、果肉は皮の下にほんの少ししかついていなかった。
仲間達の落胆の気配を感じながらも、サビトガはこぼれ出た種の方を手に取る。それから自分が広げたミズゴケとグミの実、豆の芽を見て、うんと一つうなずいた。
「揚げちまおう。カボチャの種で油を作る」
「揚げ……?」
油料理を知らないらしい少女はきょとんとしたが、シュトロは得心顔でぽんと手を打ち、レッジに至ってはものも言わずに中庭の出口へと走り出した。
バキバキと木材を踏み抜くレッジの足音にはらはらと待つこと暫し。彼は再び中庭に戻って来て、その手に握った深鍋を鬼の首のように掲げた。
「ハングリンさんが生活備品を置いてく滞在者がいるって言ってたからさ! 案の定二階の隅に転がってたよ!」
「よくやった。水できれいに洗っといてくれ」
喜々として指示に従うレッジを見届けながら、サビトガはカボチャの種を自前の小鉢に敷き詰める。
すりこぎで潰すと、種の中からは十分すぎるほどの油分が染み出した。試しに味を見てみると、多少の苦味はあるものの確かな糖の甘みがある。
シュトロや少女と交替しながら全ての種を油にかえ、洗い終わった深鍋に注ぎ込む。次いでサビトガはカボチャのなけなしの果肉を皮ごと切り分け、火であぶってから小鉢で潰した。ペースト状になったカボチャで、ミズゴケと豆の芽を包み団子状にする。
そうして熱した油に、グミの実とともに沈めた。カボチャの種の油は高温に弱いので、焚き火の勢いに気を配りながらじっくり時間をかけて揚げる。
ふと気がつくと、頭上から降り注ぐ電気の光がわずかに赤みを帯びていた。地上の夕暮れに似た光彩の変化。天上のガスの濃度の変動か、それ以外の理由かは知らないが、この世界にも何かしら『夜』を表す景色の移り変わりがあるのかもしれない。
茜色が舞い降りる中、カバノキの器の上に素揚げしたグミの実と、カボチャとミズゴケと豆の寄せ揚げを取り上げた。
まずは一口、皆で一緒に寄せ揚げをかじる。完全な思いつきで作った料理だったが、硬く揚げ固まったカボチャのペーストを歯で破ると、期待以上にほっくりと甘い身が舌に載った。
混ぜ込まれた豆の芽はシャクシャクとした歯ざわりを伝え、本来ならけっして美味くはないミズゴケでさえ、カボチャの糖分を吸って柔らかな食感と風味を添えてくる。
皆の表情のゆるみが、料理の成功の証拠だった。サビトガは寄せ揚げやグミの素揚げを頬張る仲間達を残して、ハングリンの分を手に中庭を出る。
茜色の光が差し込む砦の中を歩き、階段を三階へと向かった。
壁の隙間や覗き穴から風が入り込んでくるが、その勢いは微々たるもので冷たさもない。料理から立ち上る湯気をまとっていると、みょうに心地良い空間にも思えた。
ハングリンの名を呼びながら、三階に到達する。飯だぞと声を上げて足を踏み出すと、ぐちゃっと、何かが足下で潰れた。
目玉を転がし『それ』を見る。靴の下から、何か赤いものが広がっていた。
サビトガは、口中で小さく、再びハングリンの名を呼びながら、靴を引く。
踏みつけたのが、根元からそぎ落とされた人間の鼻であると分かった瞬間。
サビトガは一足飛びに、ハングリンの寝ていた弓兵達の当直場へと走った。
視界の奥、回廊の手すりや柱をはさんだ向こう側に、何か赤黒いものが這いつくばっているのが見える。サビトガは槍を中庭に置いて来たことを一瞬後悔したが、構わずそのまま現場へと駆けた。
赤黒いものが、床から顔を上げた。その口からハングリンの旅衣の残骸がこぼれるのを見るや、サビトガは手にしていた食料を捨て、雄叫びを上げて得体の知れない敵に足先から跳び込んだ。
靴底が、相手の血臭にまみれた顔面を蹴り抜ける。存外軽く、存外大きな体躯が、床から引っぺがされるように背後に吹っ飛んだ。
朽ちた手すりを巻きこみ、異形が階下に転落する。サビトガは床にひざをつきながら、食い散らかされたハングリンの旅衣を拾い上げ、強く舌打ちの音を響かせた。
旅衣に死肉はついていない。先ほど踏んだ鼻もハングリンのそれとは形が違った。頭上の屋根裏を見上げながら、サビトガは実に久々に、濁った粗野な怒声を打ち上げた。
「馬鹿野郎ッ! 敵が来たなら来たと言えッ!!」
「とっさに逃れるので精一杯だったんだ。そう怒るな」
梁にツルハシを引っかけ、猿のようにぶらさがったハングリンが、逃げるために発達した上体の筋肉をさらしながら言う。
直後に階下から、人ならざるモノの叫び声が上がった。サビトガは身をひるがえし、中庭のシュトロ達に「敵だ!」と叫びながら、床に落ちていた長梯子を取り上げる。
投げつけるように二階の回廊へ梯子を渡すと、そのまま腰と手で滑るように降下する。敵は二階の床を突き破り、一階にまで到達していたらしかった。同じ要領で梯子を繰り、一階へ向かう。
床に降り立つと、敵はすでに立ち上がってサビトガの方を見ていた。暗い眼窩から、腐った色の血が流れ出している。
不意にシュトロの声がして、刃が空気を裂く音が響いた。サビトガは床を蹴って跳び、投げ寄越された自分の槍をつかみ取る。
敵が、どこからかぐつぐつと何かが沸騰するような音を立てた。
サビトガは槍を構え、腹の底から、気合の声をほとばしらせた。




