六十四話 『探検(侵略) 後編』
「何を言うんですか! 僕は本当に祖国を伝染病から救うために――!」
「それは君が出会った若者達の動機だろう。君が新しいパーティーに入ったとたんにその死すら忘れてしまった、赤の他人の動機だ」
どくどくと心臓が冷たい血を吐き出し始める。胸を両手で押さえ、落ち着かせようとするレッジに、ハングリンは相手の奥底にある何かを見つめるような、遠い目つきをする。
「父親さえ倒せば、幸せな人生が待っていると思ってたんだろう? 君を苦しめ、傷つけ、尊厳を奪い続けてきた男を叩き伏せれば、世の中の嫌なものが全部消えて、逆に失ったものをそっくりそのまま取り返せると思ったんだ」
「そ……それは……それは……」
「でも違った。君は確かに最大の敵を叩き潰したが、それで君の何かが回復したわけじゃなかった。ゆがんだ心はゆがんだまま、蓄えた敵意殺意、怒りはそのまま残った。君は他人を叩き潰すことに暗い喜びを感じる、悪い男になっていた」
レッジはまるで熱病に侵された時のように、ガタガタと全身を震わせ始めた。
愚かで間抜けな自分は、たったひと時の共感や肯定を得るために、話すべきでない相手に身の上話をしてしまった。『レッジ』はうかつな男だ。だがこれは、この状況は、絶対に避けるべき事態だったはずだ。
自分を偽るあまりに真実を差し出してしまったレッジは、ハングリンの言葉に必死に抵抗しようとする。「違いますよ」と吐き出した声は、自分でもぞっとするほど弱々しかった。
「失礼な、失礼な人だ、あなたは。会ったばかりの人に、僕の何が分かるって言うんですか。馬鹿馬鹿しい……」
「探検家、という人種はね。嘘にとても敏感なんだよ、レッジ君」
ハングリンが再び薄笑みを浮かべて言った。
「探検とは『探』し『検』めると書く。つまりは未知の領域に踏み込み、真実を探し出して検証を行うことだ。たとえば前人未踏の地にたどり着いた時、冒険者などはただ物珍しいものや価値ある物品を探してさまようだけだが、探検家は違う。まずは土や石を調べ、その土地の特性を推測するんだ。土の乾き具合や色、石の形状で過去の水の流れを推し量り、植物の種類や自生状況で土地の豊かさを知る。獣の糞から敵の存在を感知し、風の流れから直近の天気を想像する。
自然に転がる真実のかけらを拾い集め、知り得ぬことを知る者でなければ探検家は務まらない」
「……」
「そしてこれは土地の性質に限ったことじゃない。人の言葉、証言もまた、探険家にとっては検証すべき世界の断片だ。真実に嘘が混じれば、すぐに分かる。それは不自然な『人工物』だからだ」
ハングリンが、焚き火の向こうから顔を寄せてきた。おびえるレッジに、ハングリンの凶相が呪いのような言葉を吐く。
「君の生い立ちから、父親への復讐までのエピソードには強い真実味があった。君の口調にも強い感情がこもっていて、なるほど一人の人間の偽らざる人生なのだと思った。だが家を出てからのエピソードはまるで作り物だ。素晴らしい仲間と出会い、素晴らしい志を得て聖なる戦士として覚醒した。国の命運を担う勇者の一員として魔の島に挑んだ。そんな物語は、断じて君という人間の性質には合わないものだ」
「僕の性質……?」
「君は現実的で、恐ろしい男だ。悪党は正義ではなく暴力でしか倒せないと理解している。人を救うことの難しさも、よく知っている。そんな男が、今更なんで非現実的な救国物語の片棒を担ぐんだ。たった数人の若造が伝説の地に踏み込んで夢物語の秘宝を手に入れる? その秘宝でもって国中の病人を救い尽くす? 馬鹿げていると思うはずだ。醜悪な父親を打ち倒したレッジ・スワローなる、賢い男ならばな」
ハングリンが焚き火にあぶられながら手を伸ばしてくる。引きつりすぎてくしゃくしゃの紙のようになったレッジの顔が、その指に触れられてネズミのような声を上げた。
ハングリンが、深い穴のような目をしばたかせる。
「自分が暗く澱んだものばかりを吸収した、恐ろしい男だと認めたくないんだ。ガラス工房を出てしまえばろくに働くこともできない、偏った教育を受けた役立たずだと世間に知られたくないんだ。だから自分が一番得意な暴力を振るいながら善人づらをしていられる、若き英雄達の旅に同行した。
君にとって不死の水はどうでもいい。不死の水を求めている自分の姿こそが大事だったんだ。立派さと高潔さを装っていられる立場こそが欲しかった。だからすでに全滅した昔のパーティーメンバーのことなど、ろくに覚えちゃいないんだ」
「違う! 違う! 僕は!」
「新しいパーティーに居場所を作るために、馬鹿のフリをしてるんだろう? 強い男然としていたら力不足が露呈するから、未熟で純粋な少年の皮をかぶっているんだ。そうすれば強く賢い人々に守ってもらえる。認めてもらえる」
レッジが不意に、ハングリンの手首をつかんだ。首をかしげる相手を、ぎりぎりと歯を軋ませながら睨む。
レッジの顔つきから、あらゆる嘘が消えていた。父親を半殺しにした日の獣の貌が、そこにあった。
「何の権利があって……僕を暴くんだ……! 赤の他人のくせに……何の権利があって……!」
「権利などないよ。だが探検家や冒険者など、元来ずうずうしいものじゃないかね」
暴きたいから暴くのさ。そう答えるハングリンに、レッジが足元の石をにぎった時だった。
ハングリンの背後に、黒く長い髪に表情を埋めたサビトガがいた。
とっさにすべてを手放すレッジの目の前で、ハングリンが立ち上がり、サビトガに目を向ける。
サビトガの顔は見えなかったが、聞こえた声は明確な殺気に満ちていた。
「二度と彼に近づくな」
ハングリンが、一瞬ひどく興味深げな表情をした。だがすぐに薄笑みを浮かべると、短く「失礼」とことわって、サビトガのわきを通り過ぎる。
ハングリンの足音が遠ざかって行く。彼が視界の外に消えると、レッジはぐっと喉に息を詰まらせて、サビトガに引きつった目を向けた。
サビトガが、少し間を空けた後、踵を返そうとした。
レッジは焚き火に片足を突っ込み、火を散らし靴を焦がしながら黒い長髪をつかむ。わずかに眼光を返すサビトガに、思いがけず強い声で「何が悪いんだ!」と言い放っていた。
「幸せになりたいんだ! 立派な、何の負い目もない、キラキラした人間になりたいんだ! そうなれないことが死ぬより怖いんだ! あんたに分かるのか、強くて賢くて男らしいあんたなんかに分かるのかッ!!」
「……」
「糞のような父親は僕をクズだと言った! 意気地のない母親は僕をお姫様のようにしたいと言った! 本当は二人とも嫌いさ! 髪をくくられるのも、女の子みたいなカッコをさせられるのも大嫌いだ! 体中をコルセットや腕輪足輪で固められて女の体にされる苦痛が分かるか! そのくせ英雄譚を買い与えてぬけぬけと『立派な男になりなさい』だと!? 狂ってんじゃないのか! あの母親!!」
レッジはサビトガの髪をつかんだまま、胸にうずまく感情をとりとめもなく叫び散らした。
顔中から様々なものを落とし絶叫に近い声をほとばしらせる彼を、サビトガはじっと無言で見つめ続ける。
――やがて、喉が焼け付いたレッジが一度大きくうめき、顔を伏せると、ぽつりぽつりと「自分でもどうしたいか分からないんだ」と、涙声を吐いた。
「……本当に英雄になりたいのかも、今となっては……母親に刷り込まれたことのように思えるし……。ただ、本当に、本当に幸せにはなりたいんだ。なのに『幸せ』が、どんな状況なのか、分からないんだ……」
「……」
「父親を殴り伏せて、虐待はされなくなった。家を出て、気は楽になった。でもそれは『幸せ』じゃないと思うんだ。大多数の人はきっと意識するまでもなく親を愛していて、虐げられもしない……。父親と対決する必要なんかないに決まってるんだ。母親にだって、こんな矛盾だらけの気持ちを抱くわけがない……。僕は、僕はきっと初めから……」
「レッジ」
名を呼ばれて、反射的に黒髪から手を離した。サビトガがレッジに向き直り、静かな声を降らせてくる。
「俺にはお前の苦しみは分からない。お前がどうすれば幸せになれるのかも、分からない」
「……」
「ただ、少なくとも、お前がそんな声で自分を説明しなければならないような、悪い感情は抱いていない。お前に対して、いかなる負の感情も感じてはいない」
うなだれるレッジが「でも、幻滅しただろ」と返す。
首をひねるサビトガに、こぶしを握りながら続けた。
「ハングリンさんが言ったことは……その……そんなに間違っていないんだ……。僕は、自分を……偽ってたというか……今までの僕は、本当の僕じゃないというか……」
「本当のお前とはどんな人間だ」
レッジが答える前に、サビトガが「分かろうはずもない」と低い声を吐いた。
「自分がどんな人間か、完全に理解している者などいない。自分はこうであるはずだなどという信念は、結局は思い込みだ。それが正しい時もあるし、間違っている時もあるだろう」
「でも、あの……」
「人はみな『仮面』をかぶっている」
サビトガが、髪の間から冷静な眼光を覗かせた。レッジを見つめながら、さらに声を続ける。
「ありのままの自分を常にさらけ出している者など、精神的な超人か、馬鹿のどちらかだ。大多数の人間は他人に見せるための、あるいは自分自身を納得させるための仮の自己像を演じている。より好ましく、より整った……。それは精神の仮面だ。人が生きていくための仮の自分だ」
「仮の自分……」
「各人が作る、理想の自分だ。強く、優しく、社交的で、善性を持つ。それをあくまで対人関係のための道具とする者もいるし、自分が行き着くべき未来像と考える者もいる。『仮面』をとっかえひっかえする者もいれば、同化して本当の素顔とする者もいるということだ。
そして中には、仮面をかぶらないと生きていけない者もいるし……他人の仮面に、好んで手をかける者もいる」
ただ、それだけのことだ。
レッジはサビトガの言葉をひとつひとつ噛み砕くように聞き、それからそっと、相手の目を確認するように見上げた。
サビトガが、自分の髪をかき上げて、笑顔を見せてくれた。
「お前の仮面を偽物だとは思わないよ。今日までの愉快なお前も、一人で人生と戦ってきた強いお前も、どちらもレッジ・スワローの人格の一部なんだろう。ハングリンの言ったことは、ハングリン個人の見解だ。俺とは関係ない」
「……ぼ……僕は……」
「好きに振る舞えばいい。こうでなければならぬと考える必要はない。それが本来、『仲間』という関係だ」
レッジは、サビトガに何か好ましい表情を返そうとした。だがどうしても顔の肉がひりついてうまくいかず、結局地面を見つめてうつむいてしまった。
サビトガが、一度だけ肩を叩いてくれたことが、その時はひどく、救いに感じられた。




