六十二話 『探検(侵略) 前編』
食後、一同はこのキャンプ地での最後の物資補給に入った。
明日の朝にはハングリンの言う『恐ろしい世界』に足を踏み入れることになる。何が待ち構えていようと、万全の状態で戦える用意が必要だった。
二匹目のマスを狙って水に入る少女、大きな本式のヤナをカバの枝で作るシュトロ。サビトガも今日は水辺に陣取り、以前自身の傷を縫うのに使った糸を持ち出して『釣り罠』を仕掛けようとしていた。
カバの太い枝を二本用意して、それぞれの先端を鋭く削って尖らせる。一本を岸に、もう一本を水中に突き刺し、枝同士を長い糸で結ぶ。あとはこの糸から、別に用意した短めの糸を何本も垂らして、針と重りを結ぶ。
釣り針は昨日切り落とした亀の頭を回収し、肉を削ぎ骨を割り削って用意した。他にもマスの背骨や、貝殻を加工したものを使って様々な大きさの獲物を狙う。
餌は亀の顔肉とヤドカリだ。大漁を願い、小石の重りと共に水中に沈める。
レッジはそんなサビトガの作業を手伝いながら、カバの木立ちをずっと徘徊しているハングリン・オールドにちらちらと視線を向けていた。
魔の島探検の先達を自称するハングリンは、サビトガが食料として採用しなかったキノコや草木を摘み取って、はがしたカバノキの樹皮に積み上げている。
彼は木立ちの中から、安全な食料を見分けて採取することができるのだろうか。自分達にはない経験と知識を備えていて、より多くの糧を利用できるのだろうか。
ハングリンの手にした大ぶりのキノコを見つめ、ごくりと喉を鳴らすレッジに、サビトガが釣り罠の糸を調節しながら「行ってもいいぞ」と声だけを向けてきた。
「植物性の食料が手に入るに越したことはない。彼からは多くのことを学べそうだ。だが、油断はするなよ」
「えっ」
「彼が何かの植物を食ってみろと差し出してきても、絶対に口にするな。彼は人生を諦めている。道連れをほしがっても不思議じゃない」
サビトガは視線もくれずに、亀の肉をつけた釣り針を水に落とす。ごく小さな雑魚がすぐに餌に集まり、銀色の腹をナイフのようにきらめかせて舞い踊った。
レッジは少し考えてから、サビトガに遅いうなずきを返して岸に上がる。
カバの木立ちへ近づくと、ハングリンが採取したばかりの緑色のキノコの臭いをかいでいた。思わず顔を引きつらせるレッジに、ハングリンがサビトガと同じように視線もくれずに声を投げてくる。
「アイタケだよ。翡翠色のかすり模様がきれいだろう? ブナやカバの林に自生するんだ。栽培が難しくて、成功例は聞いたことがない」
「毒キノコじゃないんですか……?」
「食用キノコだよ。油を使って焼くとおいしい。類似した毒キノコがないから、君みたいな素人にも安心して採れる種類だよ」
ハングリンがアイタケをよこしてくる。カサも柄も肉厚で、食いではありそうだ。地面に近づくほど色が白くなり、筋が指で裂けそうなほどきめ細かい。
きれい、と言われれば、確かにきれいなキノコだった。だがだからこそレッジは不審な顔をして、ハングリンを見る。
「学校で『きれいなキノコは毒キノコだから気をつけろ』と習いました」
「俗説だよ。キノコはどちらかというと地味で汚い色の方が毒を持ちやすいんだ。ただ、色あざやかな食用キノコは往々にして栽培が難しいから、食卓に上りにくいし食品としての印象が薄い。だから総じて毒があると誤解されるんだ」
「本当かなあ……?」
「君が信用するのは、こういうキノコだろう?」
ハングリンが片ひざをつき、地面から茶色いカサのキノコを取り上げた。クリーム色の柄を持つそれを見て、レッジはすかさず「そうそう」と首を縦に振る。
「そういうおとなしい色彩のキノコが信用できるキノコです。あとは柄がきれいに指で裂ければ完璧ですね」
「きれいに裂けるけど、これは毒キノコだよ。ベニタケの一種で『伏兵』とか『食わせ者』とか呼ばれるね。食べると吐き気、頭痛、下痢を引き起こし、最悪の場合、死に至る」
ハングリンがレッジに毒キノコを手渡し、食用のアイタケを取り戻す。
呆然とする若造に、ハングリンは肩をすくめてさらに言った。
「別に恥じることはないよ。人はみな、何かしらについては無知なんだ。ただ一つ恥ずべきことがあるとするなら、それは新しい知識を受け入れず間違いを継承し続けること。間違いを認めないことだ」
「はぁ……」
「君らは私の探検結果を、絶望を間違いだと否定してくれるんだろう? だったらたかがキノコの有毒無毒の区別程度、いくらでも教えて差し上げるよ」
ハングリンは吐いた言葉とは裏腹に、ほとんど期待はしていないとばかりに醒めた目でレッジを見る。
アイタケをカバノキの皮に放る彼に、レッジはなんとなく視線をさまよわせながら、毒キノコを地面に捨て、ぐしゃりと踏み潰した。




