六十一話 『先達の言』
石の焼き台の上には、無数の肉の団子が載っていた。
その正体を尋ねるレッジに、サビトガはカバノキの匙と取り皿を差し出しながら「小魚とヤドカリ」と簡潔に答える。
焼き台を共に囲んだシュトロが、匙を舐め舐め補足の言葉を続けた。
「いい加減、毒見役の連中も用済みだからよ。小魚はまるごと潰して、ヤドカリはハサミの肉だけ取り出して、混ぜ込んで団子にしたんだ。つなぎには麦の粉を使った」
「麦の粉?」
「ハングリンのおっさんが出してくれた」
シュトロが匙の先で、当然のように焼き台を囲む輪に混じっているハングリン・オールドを指した。
彼は凶相の上にごくごく薄い笑みを浮かべ、レッジを見る。「毒見済みだよ」と自分の舌を示すハングリンに、レッジは目を輝かせて再び団子に視線を落とす。
「この期に及んで麦を口にできるなんて! 魔の島に来て長いんでしょう、ハングリンさん? ずっと温存してたんですか?」
「いや、拾ったんだよ」
「拾った? どこで?」
「あの横穴の先でさ」
「麦が生えてるってことですか!?」
レッジの大声に、ハングリンが高らかに笑った。
きょとんとするレッジのわき腹を、シュトロがひじの先で突く。
「力尽きた他の探索者の荷物から盗ったってことだよ」
「君、面白いねえ。レッジ君だっけ。平和な国から来たんだろうね」
弧を描いたハングリンの眼から、わずかな、しかし確かに嫌味の色を含んだ光が覗いた。
照れた表情をするレッジに目もくれず、少女が焼き上がった肉団子を取り皿に運び始める。自然と始まる食事に、レッジも急いで自分のぶんを確保する。
肉団子は想像以上に美味かった。味そのものよりも麦を使っていることで文明の臭いが増し、口に頬張っている間だけ自分の境遇を忘れられた。ヤドカリの肉が入っていなければ、祖国の安宿にでもいる気分になれただろう。
ハスク民主国の人間は、ヤドカリの肉など食わない。甲殻類はエビ以外は悪魔の魚と呼び、忌避していた。
ごろごろと並んでいた肉団子はすぐに皆の胃袋に収まり、朝食の時間は終わった。シュトロが水を飲むハングリンに、昨夜の会話の続きを仕掛ける。
「結局のところ、この先に不死の水はあるのか? 全ての魔の者を殺した先に水があるって言うけどよ、まずその理屈っつうか、仕組みが理解できねえ。島のどこかに眠っている秘宝を手に入れるのに、なんで魔の者とやらを皆殺しにしなきゃならねえんだ? そもそも魔の者って何だ? ブナ森のウェアベアとは違う存在なのか?」
「私も以前魔王に同じことを訊いたが、明確な答えはもらえなかったよ。ただ、この先に進めば否応なく理解することになる。穴底に落ちてしまった我々には、もう魔王の言うことに従うほかないのだと……」
「もったいぶった話は好きじゃねえ。不死の水はあるのか。ないのか」
どっちだ? そう目を尖らせるシュトロに、ハングリンは一呼吸おいてから答える。
「不死の水が確実にあると言っているのは魔王だけだ。最古の秘境の番人を称する魔王だけが、不死の水の存在とそのありかをほのめかしている。だから我々探索者は魔王の言うことを聞いて魔の者に挑んだり、魔王を脅して秘密を暴こうとしたり、あるいは魔王も魔の者も無視して自力で不死の水を探したりした。魔の島の伝説が生まれて以降、何千人、何万人もの猛者達が、それらの行為に奔走してきたわけだ。
ならば想像がつくだろう。それほどの試行錯誤の果てに、未だ不死の水は島の外に持ち出されておらず、探索者の誰一人として脱出に成功していない。つまりはどの行為も、現時点では成果を上げていないということだ」
いつしかハングリン・オールドは恐ろしい事実を口にしていた。しんと押し黙るサビトガ達に、ハングリンはわずかにしわの寄った目元をこすりながら続ける。
「この先には、恐ろしい世界が広がっている。君らの誰一人として予想し得ない、地獄の光景の中に、ウェアベアに匹敵するかそれ以上に強大な怪物達がうごめいている。それこそが魔の島の本性であり、魔の者なのだ。産道の民の試練などほんの序の口。『試練』の次には『実戦』が待っている。当然のことだ」
「……魔の者を倒した人間はいるのか?」
サビトガの問いに、ハングリンはあっさりと首を縦に振った。
わずかに安堵の息を漏らすレッジに、ハングリンが低い声を出す。
「魔の者は多く、様々な種族がある。彼らが何ゆえに、どこから生まれ出でたのかは分からん。だが優れた人間の勇者達は、やつらを歴史上何千匹も打ち倒してきたらしい」
「……何千……匹……?」
「魔王は、あと千匹殺せと言っている」
ハングリンがサビトガ達の表情を順に見つめながら「恨むなよ」とことわって、さらに言葉を重ねた。
「千匹だ。我々は千匹の魔の者を殺さねばならない。中には比較的弱い個体もいるし、逆に先人達の刃をことごとくはねつけてきた、神話の怪物もいる。その全てを打ち倒さねば、魔王は我々に不死の水を与えてはくれないと言うのだ」
「……実際に魔の者とやらを見てみぬことには、何とも言えんが……しかし仮にウェアベア並の敵を千匹倒せと言われたなら、なるほど魔王の方を襲って口を割らせようとも思うだろうな」
「だが、魔の者の王こそが魔王だ。あの女と真正面から殺し合っても勝ち目はない。ならば我々に残された最後の苦難なき道は、全ての魔を避けて自力で不死の水のありかを探ること」
「人類史上、誰にも見つからなかったありかを、か」
ハングリンはサビトガに顔を向け、相手の目に絶望の色を探すような、そんな不快な仕草で口を開き、さらなる声を吐いた。
「私は探検家ハングリン・オールド……世人の到達し得ぬ場所を目指し、住み処としてきた。雲を貫く高山、果て無き大森林、ガラスの箱に入って海の底を目指したこともあった。そんな私が、穴底の世界を探検し尽くしたのだ。少なくともこの足で行ける場所はすべて巡った。だが、不死の水など、どこにもありはしなかった」
「……」
「不死の水など、存在しない。私や他の先人探検家達の腕を信じるなら、そう結論付けるしかない。となれば……君達は、あくまで不死の水は存在すると豪語する魔王を信じたくなるだろう? 私達先人を『ヘボ』と断じ、調査をやり直すなら話は別だがね」
魔王の言葉に従わざるを得ないとは、そういうことか。
穴底には、不死の水はない。少なくとも人間の目には見つけられない。
探索者達は、そのほとんどが不死の水を手に入れるため、命を捨てて魔の島に上陸してきた。彼らが自らの行為を無価値なものとせぬためには、不死の水の実在をうたう魔王を信じるしかないのだ。
彼女が示す、死とほぼ違わぬ道行きを、希望と信じてたどるしかない。だからハングリン・オールドは、こんなにも絶望に染まった凶相をさらしているのだ。
武ではなく、あくまで探検の技術のみで穴底にたどり着いた彼には、強大な怪物に挑む力量がない。
魔王の差し出す希望を、つかむことができないのだ。
「その腰のツルハシ。高い所に上るのに使うんですよね」
不意にレッジが、ハングリンの得物を指して言った。皆の視線を受けながら、ごくりと喉を鳴らして続ける。
「じゃあ、ひょっとして、ここの壁を上って上に戻ることができるんじゃ……? ハングリンさんが上からロープか何かを垂らしてくれれば、僕らも穴底から抜け出せるんじゃ……」
「もう試したよ。でもこの穴底はよくできていてね。地上から底に降りるほどに水たまりの水気に壁が侵されて、もろくなっているんだ。ツルハシを突き立てても、土が崩れるだけで体を持ち上げられないんだよ」
「おい、レッジ。今更逃げ帰ろうなんて無理な話だぜ。不死の水を得られなきゃ死ぬしかねえ。そんなことは、初めから分かってたことじゃねえか」
シュトロがレッジから、ハングリンに視線を移した。シュトロの目が殺気に近い色に染まり、先人を射抜く。
「先輩の知識や経験は頂戴するが、絶望は要らねえ。あんたがどんだけ偉大な探検家か知らねえが、諦めたヤツはそれまでだ。進み続ける人間が、その先に行き着くんだ」
「そうだね。確かにその通りだ」
「俺達がやることは変わらねえ。邪魔者が何匹いようが、ぶち殺しながら進むだけだ。ひょっとしたら不死の水のありかは、魔の者の腹の中かもしれねえしな」
顔を引きつらせるレッジに、シュトロが暗い笑みを向けた。
ハングリンもサビトガも、少女も、シュトロの結論に今は異をはさまない。
それぞれ無言に思考を巡らせて、不穏な朝食会はお開きとなった。




