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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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五十九話 『疲れた客人』

 当の本人にとっては、あるいは心外なことかもしれない。


 だが、取りついていた壁面から存外素直(すなお)に降りてきて、おだやかな態度であらためて探索者同士としての挨拶あいさつをし、サビトガ達のき火にまねかれ、草の上に腰を下ろしたハングリン・オールドの顔は――。


 一度は気を許しかけたサビトガ達が、思わずぎょっとするような、あまりに暗い影を落とした凶相だった。


 年の頃はおそらく四十から五十。ぼさぼさの髪は白になりかけたねずみ色で、肌は土気色で生気がない。顔の骨格自体はしなやかで男前の線だったが、目元や口元に色濃く浮かんだある種の諦観ていかん、己の運命への無関心さをうかがわせる虚無きょむの陰影が、彼の面相を死体よりも非人間的なものに変えていた。


 処刑人として、殺人者として、数え切れないほどの人間をあやめてきたサビトガやシュトロが、そのごうに少なからずゆがんだおのが顔つきを差し置いてハングリン・オールドの凶相に驚くのは、本来不条理なことかもしれない。


 だがサビトガ達の顔のゆがみと、ハングリン・オールドのそれは、明確に種類を異にした邪気だったのだ。サビトガ達の邪気が他人に危害を加えたがゆえに生まれたものだとしたら、ハングリン・オールドの邪気は、自分を見捨てたがゆえに生じたものだ。


 自分の未来に、一切の希望がないと。救う余地すらもないのだと悟ったような、そんな表情のかげり。


 それがもしもハングリン・オールドがやって来た場所から、サビトガ達がこれから向かおうとしている洞穴の先から生まれたものだったとしたら。


 本来喜ぶべき新たな探索者との遭遇は、一気に凶兆きょうちょうめいたものをはらみ始めてしまう。


 ハングリン・オールドは、サビトガ達のそんな密やかな緊張を知ってか知らずか、焚き火に手をかざしながらのんびりと、昔話をする老人のような声を吐いた。


「しかし、何だな……正直驚いたよ」


 邪気に沈んだ目が、自身とともに焚き火を囲む若者達をしみじみと見回す。


 厚手の旅衣たびごろもに包まれた胸が、次いで吐かれたため息に深く沈み込み、乾いた布の音を立てた。


「みんな、初めて見る顔だ……次に降りてくるパーティー(隊)が、産道の民が導く最後の探索者だと聞いていたが…………クルノフ達は、来られなかったようだな……」


「クルノフを知っているのか」


 サビトガが、自分が殺した男の名を舌にのせる。ハングリン・オールドは腰のベルトに差し込んだ二本のツルハシを指でなでながら、静かにうなずく。


「優れた戦士だ。高潔な精神と、ウェアベアと真っ向から対決して打ち勝つ分かりやすい強さを持っていた。彼は自分のパーティーメンバーに信奉しんぽうされ、そのきずなを唯一無二の寄るとし、それゆえに私や他の探索者と出会ってもその協力を必要としなかった。……君らには悪いが、最後の産道の民に選ばれるのは、彼らだと思っていたよ」


 自分にそそがれるハングリンの視線に、少女はなぜかほんの少し気分を害したような顔をした。


 細いのどが震え、一際ひときわ低い声を出す。


「……クルノフはブナ森に迷い込み、長い時間をさまよう内に精神をんだ。戦い、傷つき、仲間を失い、食料も水もなくなってしまいには他の異邦人を襲うようになった。ワタシは、クルノフが人肉に手を出すところさえ見た。ヤツは優れた戦士だったかもしれないが、優れた異邦人にはなれなかった。それだけの話だ」


 少女のげんに、ハングリンではなくレッジが「なんで早めに声をかけてあげなかったの?」といた。少女は鼻を鳴らしながら、「ソイツの言ったように」とハングリンを指す。


「クルノフは、結局は自分の仲間しか信じていなかった。魔境においてゆきずりの他人を信じ同行させることは、裏切りというリスクを負うことだと考えていた。だから産道の民の誘いにも乗ってこなかった。ある意味では賢明けんめいだが、結局その慎重さがヤツの自滅を招いた」


「そうかあ。なんだか、気の毒な話だね」


「…………本気で言ってるのか?」


 少女の視線を受けて、レッジがきょとんとする。「そのクルノフに仲間を皆殺しにされたのに?」と続ける少女に、レッジだけでなく、その場の全員が沈黙した。


 ――しばしの間の後、ハングリンが呆然ぼうぜんとしているレッジを横目に「まあ、とは言っても」と、なぜか口のはしに笑みを浮かべて話を再開する。


「この穴底に到達することなく、魔の島の外周で冒険を終えられたのは、ある意味幸せなことなのかもしれんな……魔王や魔の者といった、真に恐ろしい存在にまみえずに済むのだから……」


「その魔王だが……彼は、やはり敵なのか? 全ての魔の者を殺せという魔王の言葉に従ってよいものかどうか、悩んでいたのだが……」


 サビトガが言うと、ハングリンが薄く笑んだまま「彼女だ」と返す。「魔王は女だ」と続く言葉に、それまで黙っていたシュトロがカカシの顔をもてあそびながら、ぅごえ、とみょうな声を出した。


「あれでメスなのかよ。どうやって確かめたんだ? まさかスカートめくったわけじゃねえんだろ」


「魔王は時々、人の姿で探索者の前に現れるんだ。いやらしいことに相手に頼みごとめいたことを言ったり、何かを聞き出そうとしたりする時にだけ、美しい女の顔を見せてくる。逆に男の顔をすることはないから、私達は魔王を女だと考えている」


「……私達? 他にも探索者の生き残りがいるのか?」


「いるともさ。アドラ・サイモンが産道の村を滅ぼす以前に旅立った優れた異邦人達が、あの洞穴の先に何十人と生きている。もっとも新参者の君らにとって、好ましい人間ばかりとは限らんがな……」


 ハングリンが言いながら、不意にあくびをした。目をしばたかせるシュトロの前で、ゆっくりと老いた犬のように身を横たえる。


「……言っては何だが……私は君らがここに来るずっと前から穴底を探索し続けている、いわば先人、魔の島探検の大先輩だ。君らの抱く疑問のほとんどに、私は答えられると思う」


「そりゃ、ありがたいね」


「だが、私が君らの知りたいこと全てを教えてしまったら、果たして君らは私をこの温かいキャンプに置いてくれるだろうか……? 用済みになったら身ぐるみいで追い出さないとも限らん。違うか?」


 ハングリンは近くにあった草の掛け布で勝手に身をくるむと、そのまま右腕をまくらに目を閉じてしまう。顔を見合わせるサビトガ達に、すでに寝入り始めた声で続けた。


「明日だ。一晩休ませてくれたら、残りの質問に答えてあげよう。それどころかあの洞穴を戻る時、一緒に向こう側へ連れて行ってあげようじゃないか。私は君達にとって有益な存在となり、寝込みを襲われる心配もなくなる」


「……一切油断しない、と言っただけのことはあるな。用心深い先輩だ」


「前金代わりに、一つだけ忠告してあげよう。魔王を信じるな。あれは味方ではないし、ヤツ自身が言っているとおり、憎むべき相手だ。この穴底ではたくさんの優れた異邦人が魔王の言葉に従い活動しているが、彼らのほとんどは魔王を信用していない。ただ、ヤツの命令に逆らえないだけなんだ」


 シュトロが何かを追求しようとした。だがその口が開く前に、ハングリンがにごった寝息を立て始める。


 ――ちらつかされた情報を引っ込められた形だった。だが、そもそもが深夜の邂逅かいこう、おたがいに休息が必要なのも事実だった。


 シュトロが仕方ないとばかりに息をつき、しかし、ふとサビトガに顔を向けて「そういやこのおっさん、なんで洞穴を戻ってきたんだろう?」とまゆを寄せた。


 サビトガ達のいるこの場所は、穴底のいわばスタート地点だ。水も食料もふんだんにあるが、他の探索者が拠点にしている様子もなければ、過去にキャンプが張られた形跡もない。


 頭上の坂道には、確かにテントの残骸があった。ということは、この場所は何らかの理由で探索基地には向かないということになるが……ならばなぜハングリンは、この場所に戻ってきたのか。確かに疑問ではある。


 だがサビトガは、それも含めて明日ハングリンを問いただせばよいと考えた。答えの出ぬ考えをこねまわしていても、貴重な睡眠時間を浪費ろうひするだけだ。


 サビトガ達は、そうして再び見張りと睡眠のローテーションを回し始めた。


 ハングリンの用心深さにならい、彼がいつ暴れ出しても押さえ込めるよう、見張り役を二人に増やした上で。

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