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二十一話 『スノーバ無惨・前編』

 はるか北の大地、火山のふもとに広がるスノーバの帝都でサンテは産まれた。


 皇帝シデオンの二人目の娘にして、母よりも父の血を色濃く受け継いだ気性と顔立ちをしていた。


 姉は美しく聡明そうめいだが病弱で、厳しさとは無縁の小鳥のような娘だった。皇帝は知に長けたひ弱な長女と、どちらかと言えば武や気力に優れた次女の、どちらに皇位を譲るべきか悩んでいた。


 スノーバの皇帝の系譜は性別にとらわれないもので、女帝が国を治めた例はいくつもある。

 肝心なのは国を守り、さらに他国を制圧する侵略者としての技量と器だ。


 その点ではシデオンは、最初は平和的な性格の長女より、次女のサンテの方がふさわしいと考えていたようだった。


 だがその認識はサンテが年頃になるころには、完全に誤りであったと判明する。


 サンテは、ともすれば頑固ともいえるほど己の信念を全身全霊でつらぬく性格の持ち主で、たとえ誰にとがめられようと自分の意志を曲げない娘だった。


 そんな娘が最も多感であったころ、彼女の教育係に皇妃こうひの親類から、よりにもよって反戦主義者の男がまぎれ込んでいたのだ。


 軍事大国スノーバは他国に対しては一切容赦のない征服の仕方をするが、国内の統治は比較的寛容で、様々な思想の存在、布教を許している。


 民が自由に武器を持ち、世界を探索して名を上げる冒険者などという職業の存在が許されていたのも、三代ほど前の皇帝が『貴族から農夫まで戦える国』を目指し、民間からの冒険者組合の設立願いを受け入れた結果だった。


 スノーバの侵略国家としてのあり方を否定する反戦主義者も、ただ存在して意見を述べるだけなら何の法にも触れない。


 だが皇帝の娘を己の思想でもって教育し、父から離反するように仕向けたことは許されることではない。


 皇帝シデオンは即座に教育係を処刑し、サンテの再教育を試みたが、手遅れだった。サンテは自分の国が重ねてきた侵略の歴史にすっかり愛国心をなくし、スノーバとその皇帝を嫌悪していた。


 父のシデオンの生き方も否定し、スノーバの広大な領土を本来の住民達に返還すべきだと言って聞かなかった。


 困惑するシデオンの前で、サンテは教育係から教えられた国の汚点をつらつらと並べ、非難した。


「初代皇帝のサグージは東の王国モイラを焦土しょうどにして、何もかも灰にしてしまったといいます。三代皇帝シュトムケイラは山間の町に飢えた狼の群を放ち、女子供まで食らわせたと。スノーバの正史の碑文にはこれらの蛮行がまるで英雄譚えいゆうたんのように描写されています。当時の敗戦国の民の末裔まつえい達は、これを見てどう思うでしょうか」


「サンテ、彼らは敗戦国民の末裔ではあるが、今はスノーバと同化したスノーバの民だ。自分達の祖先がいかに弱かったか、逆にスノーバ人となった今の自分達がいかに強大であるかを知るために、碑文は必要なのだ」


「お父様には彼らの憎悪の声が聞こえないのですか? お父様の考え方は、勝者の独善的な思い込みです。国を滅ぼされ吸収された人々の心には、生粋きっすいのスノーバ人に対する敵意がずっと残っているはずです」


「サンテよ、憎悪も敵意も、すべて呑み込んで屈服させることもまた、皇帝の器なのだぞ」


 サンテと皇帝シデオンの話し合いは平行線で、歩み寄ることがなかった。


 やがてシデオンはサンテの再教育をあきらめ、長女のテオドラに手をかけるようになる。


 サンテは放任され、王城からひんぱんに帝都へ出かけるようになった。兵士の護衛すら嫌い、自身で剣をたずさえ路上や貧民窟をうろついた。


 スノーバに住む民の、特に敗戦国民の末裔達の真実の声を聞きたい。祖先が繰り返してきた戦争の犠牲者達に、どうやってつぐないをすればいいのか、その答えを見つけたい。


 まだ若かったサンテはそう心から願い、下々の者と直接言葉を交わしながら、次第に帝都の深部へと足を踏み入れていった。



 声をかけてきたのは、ユークの方だった。


 後に革命を起こし、スノーバを掌握しょうあくする少年は、当時サンテよりはるかに背が低く、みすぼらしい格好をしていた。


 幼く、細い体に汚れたボロをまとった子供は、しかし自分の身の丈の何倍もあろうかという長剣を軽々と手に持ち、異様な、力のこもった目をしていた。


「あなたは、シデオンの娘ですね? この国の罪を洗い流す方法を探していると聞きました。ひとつ、僕と話をしませんか」


 声を聞いた瞬間、薄気味の悪い子供だと思った。


 猫なで声というのか、優しい響きをおびた高い音は、どこか偽装されたようなわざとらしさがある。敬語もぎこちなく、まるで本を朗読しているような印象を受けた。


 警戒もあらわに眉を寄せるサンテに、ユークは手にした長剣を立て、懐から真っ赤なリンゴを取り出し、それを長剣のさやに近づける。


 リンゴが、次の瞬間音もなく真っ二つに割れ、果汁をユークの頬に飛ばした。


 目を丸くするサンテにリンゴの片方を投げよこしながら、ユークはにこっと、笑う。


「政治も策略も抜きに、まるで魔法のように国を変える方法があります。難しい手続きをすべてすっ飛ばして、単純明快に、まるで神話の英雄譚のように正義をなす方法が」


 お前は、何者だ。


 そう問うたサンテに、ユークは真っ白な歯を見せてこう答えた。


「古の時代に、悪の限りを尽くした魔王がいた。その者は毒の雨と生ける屍の魔術を用い、人の世を混乱に陥れた。……断片的な言い伝えで、どこの国の話かも分からない不確かな伝説ですが……この伝説の魔王を倒したとされる、古代の勇者が、どうやら僕の先祖らしいのです」


 眉間にしわをよせるサンテに、ユークが笑いながら「ヨタ話だと?」と首を傾ける。


「魔王の名はラヤケルス。勇者の名はヒルノア。ヒルノアは長い遠征えんせいの末に魔王を討伐し、その後祖国に帰らず、遠征先の地に住みついて、そのまま骨を埋めたと言われています」


「おとぎ話をしたいなら他をあたってくれ。私もひまじゃないんだ」


「勇者ヒルノアが骨を埋めた土地。そこは今、スノーバの領土の一部になっています」


 きびすを返そうとしたサンテが、その言葉にぴくりと眉を動かした。

 手にしたリンゴの断面から、甘い汁がぽたりとしたたる。


 ユークが同じようにリンゴの汁を手に伝わせながら、長剣の柄をなでなで、言葉を続ける。


「スノーバの侵略戦争の過程で、様々な国の様々な伝説が瓦礫がれきに埋もれ、忘れ去られた。しかし現代の暴政を倒すための希望は、その埋もれた伝説の中にこそあったのです。

 強大な魔王を倒した伝説の勇者の遺産……それが今も、このスノーバの地に眠っている。この長剣も、その一つです」


「勇者の遺産……?」


「古代と呼ばれる時代には、現代には残っていない数々の強大な魔術の技法が存在していたことは、あなたもご存知でしょう。魔王ラヤケルスの魔術に対抗するために選ばれた勇者は、即ち古代で最も優れた魔術師だったのです」


 リンゴの断面が、じわじわと乾いてくる。

 ユークがサンテの眼前に進み出て、顔を寄せて来た。


 たとえ背伸びをしても、顔と顔が触れることはない。だがユークのらんらんと輝く目の光に、サンテは無意識に顔をそらし、一歩下がっていた。


 直視できない、異様な威圧感のある視線だった。


「……無数の生ける屍を操るラヤケルスを倒すため、勇者は自身の魔術でもって四つの特別な武器を作ったとされています。この長剣はその一つ、その名も『肉断ちの剣』。人間や動物、昆虫や植物など、命の通った存在にしか突き立たない特別な刃を持っています。

 人の手で振るわれる時、刃を包んでいるさやや、敵の盾、鎧などの障害物を破壊することなく煙のようにすり抜けて、敵の体だけを切り裂くことができる。相手の防御を一方的に無視できる必殺の剣です」


「馬鹿馬鹿しい! そんなものがあるはずが……」


 ユークが、すでに茶色く変色し始めているリンゴの断面をサンテに突きつけた。


 顔をゆがめるサンテに、ユークが楽しげに詰め寄る。


「そう、古代の魔術は、馬鹿馬鹿しいほどに強力だったのです。さながら神の御業みわざ、奇跡に等しい技術だった。勇者ヒルノアはただの長剣に向かって、こう呪文を唱えたのでしょう。『なんじ、生命を刈る刃となるべし。生き物の肉のみを斬り、それ以外の何物をも傷つけぬ魔剣となるべし』とね」


「まるで子供の空想話だ……そんな魔術があれば、なんだってできてしまう。世界の理を変質させているも同然だ……」


「それが本来の魔術というものです。世界の法則に逆らう技術だ。もっとも、古代人の中で最も優れた魔術師であった勇者ヒルノアだからこそ、そのような凄まじい変異現象を引き起こせたのでしょうがね。

 ――この肉断ちの剣は、先月亡くなった僕の父が家宝として隠し持っていました。敗戦国民の末裔である一族が、押し込められた貧民窟で誇りを持って生きるための精神的支柱として、この剣は受け継がれてきたようですが……僕はこの剣を、時代を変えるために使うつもりです」


 ユークが自身のリンゴの断面を、サンテの持つリンゴの断面に、ぴたりと合わせた。


 地に落ちる甘い果汁に、アリがたかり始めている。


「勇者ヒルノアの残る三つの遺産は、すべてスノーバ国内にあるようです。どうか僕といっしょに、それらを探していただけませんか。皇女であるあなたならば、一般人には行けない場所にもおもむけるはず」


「何故私がそんなことを……」


「この間違った国を、あるべき姿に戻したいのではないのですか?」


 ぐっと喉を鳴らすサンテに、ユークが身を寄せて来る。


「勝者の暴力で成り立つ世界を変革し、弱者が幸せに生きられる、真に平等で優しい世界を作る。それがあなたのこころざしであり、夢だと聞きました。僕もそれには賛成です。だからこうしてあなたの前に現れたのです」


「勇者の遺産というのは武器なのだろう? お前はそれを手に入れて……どうやって国を変えるつもりなんだ? よもやお父様……皇帝シデオンを、暗殺するつもりでは……」


「そんなことをしても何の解決にもなりません。サンテ皇女、勇者の遺産は古代文明最強の武器であると同時に、現代にはない、圧倒的な戦力の象徴なのです。鉄の剣や槍、投石器で戦う国々に対し、常識では理解できない別次元の兵器を見せつけることが、どれほどのけん制になるかお分かりですか?」


「けん制……」


「肉断ちの剣は、勇者の遺産の中では実はもっとも弱い武器だと言われています。勇者ヒルノアはこれを他の全ての武器と共に駆使し、魔王の屍の軍団をたった一人で撃破し、勝利した。つまり遺産は、たった一人の人間に魔物の軍団を壊滅させるほどの力を与えるということです。

 数千数万の兵団を主力に戦う現代国家にとって、これほど脅威となる兵器はないでしょう」


 ユークの吐息が、サンテの顔にかかる。リンゴの甘い汁は二人の手をべたべたと濡らし、どこからか一匹のハエを呼び寄せていた。


 ハエが、サンテの指に、とまる。


「志を持つ我々が、勇者の遺産を手にし、一国の軍隊以上の力を得る。その上で世界に武力の放棄を求めるのです。その求めを無視してなおも理不尽な戦争を続ける国の軍隊に対しては、堂々と勇者の力を行使すればいい」


「……戦争を無理やり止めるということか?」


「そう、戦争をやめさせるための力、平和のための軍事力。それが僕の考える、勇者の遺産の使い方です。……サンテ皇女……いや……」


 ユークが、身をひるがえし、鞘に収まったままの肉断ちの剣を引きずるように振るった。長大な剣が、道端に立っていた太いオークの木にするりと入り込んだと思うと、ガン! という音と共に長い鞘だけがはじけ飛ぶ。


 むき出しになった白刃が、木の幹の反対側から飛び出し、土に刺さった。

 一瞬遅れて、切断された木がずるりと断面をすべる。


 バキバキと音を立てて倒れる巨木に唖然とするサンテに、ユークがよろめきながら、笑う。


「同志サンテ。僕と共に世界を救ってください。圧倒的な英雄の力で、人々を戦争の恐怖から解き放つのです」


 両断されたリンゴが地面に転がり、砂と土にまみれた。

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