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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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五十六話 『後方にて…… 後編』

 かさかさに乾いた木の葉が、足の裏をくすぐってくる。


 時折ブナの実や枝をんでは痛みが走ったが、ケネルはけっして視線を下にはやらず、枝葉の向こうの頭部の群をにらみ続ける。


 少し距離をつめれば、彼らの立てる足音や、よろいのこすれる音が聞こえてきた。向こうは気配を殺してはいない。ただぞろぞろと、羊の群のように無造作に森を歩いているだけだ。


 油断と余裕。彼らの足取りから感じるそれに、ケネルは思い立ってそばのブナの木に登ってみた。


 枝葉をらさぬよう慎重に、しかし急いで樹上に上がると、果たして眼下には二十を超える人々の姿があった。


 様々な服装、多種多様な武器を手にした、小隊規模の探索者達。仲間の多さゆえの油断、余裕か。ケネルはごくりとつばみ込みながら、ふと隊列の先頭を行く奇妙な人影に目をやった。


 黒いローブをまとったその人影は、他の者と違って武器らしい武器を身につけていない。まるで地面をすべるように、歩行の動作を感じさせぬ奇怪な動きで森を行くそれは、森の景色にあっても、人の隊列の内にあっても異彩いさいを放っていた。


 仮にリーダー格だとしたら、その風貌ふうぼうを知ることで集団の性質をはかれるかもしれない。ケネルは枝から身を乗り出し、限界まで首を伸ばして黒ローブのフードの奥に目をこらす。


 瞬間、ひどくにごった怒声が耳をつんざいた。心臓がね、あわや転落しそうになる体を必死に持ち直し、ケネルはおそるおそる怒声の上がった方ヘと視線をやる。


 誰かに見つかったのかと思ったが、眼下の人々は誰一人としてケネルの方を見てはいない。ただ隊列の最後尾にいた男が、手にした槍を振り回しながら仲間を押しのけ、先頭の黒ローブへと火のような罵声ばせいをぶつけていた。


 約束が違う。いつまで歩かせるつもりだ。もう道連れは十分だ。さっさと秘境に連れて行け――。


 聞こえてくる言葉にケネルは大きく目を見開き、それから胸に手をやって、はじけんばかりにね回る心臓を押さえつけた。


 あせるな。早まるな。ここでしくじるわけにはいかない。生きるか死ぬか。これがきっと最後のチャンスなんだ。希望が現れたのだとしたら、確実に拾わねば……けっして取りこぼすわけには……。


 自分自身に言い聞かせながら、ケネルは木を下り始める。にごった罵声はすぐに聞こえなくなり、再び人々の足音が遠のき始めた。


 地面に降り立つとすぐにケネルは人々の群を追い、彼らからつかず離れず、その道行きに同行する。虎の狩りにおこぼれ目当てでついて行くキツネのように、気配を殺したまま、さらに長い時間を歩き続けた。


 そうして、やがて人々の群は、森の中にぽっかりと開けた光満ちる岩場へとたどり着いた。


 木々の枝葉が途切れ、こもった薄闇が払われたことに誰もがほっと息をつく。ケネルは岩場のそばの木陰に身をひそめ、歩みを止めた人々の次なる動向に注意をそそいだ。


 初めに声をあげたのは、先ほど黒ローブに罵声をぶつけていた男だった。赤いさびのはん点が浮いた極太ごくぶとやりにぎる腕は丸太のようで、上背うわぜいがあり、ハリネズミのようなひげが顔の半分をおおっている。


 いかにも強そうな、そして喧嘩けんかぱやそうな風貌ふうぼうの男だ。黒ローブの背後に立つや、彼は両腕を大げさに広げながら「さあ、どうする!」と森じゅうに響くような大声でがなり立てた。


「こんだけの人間を集めてさんざ森の中を連れ回したんだ! 早いとこ最古の秘境に案内してもらおうじゃねえか! よもや迷ったなんてぬかしやがったら、その頭カチ割ってやるぞ!!」


「勝手に殺すな。お前は我々の代表でも何でもないんだ」


 男のわきで、全身を白い装束しょうぞくに包んだ奇妙な人物が口を開いた。血走った目を向けてくる男に、白装束は自分と全く同じ格好をした五人の仲間らしき人々を背に、おのが腰にさげた剣に指をわせる。


「声がでかいだけのバカに、物事を決められては困ると言っているんだ」


「でかいのは声だけじゃねえぜ。得物えものもナニも人の三倍よ!」


「一度でもまとに当てたことがあるのか?」


 白装束が冷淡れいたんな口調で言うと、他の人々の中から小さく笑いが起こった。槍の男が目をき、怒声とともに自慢の得物を振り上げる。即座に六人の白装束が全く同じ仕草で抜剣ばっけんし、槍の男を刃先で取り囲んだ。


 にわかに高まる緊張の中、それまで黙っていた黒ローブの人影が、がり、と歯を鳴らす音を響かせた。


 岩場にいる人々と、ケネルの視線が黒ローブに集中する。ゆっくりと振り返る黒ローブの顔は、遠くにいるケネルがはっとするほどの、目鼻立ちの美しい、妙齢みょうれいの女の顔だった。


 フードの奥に光る金糸のような髪は、石灰の色をしたひたいに柔らかげに垂れていて、その下には青白く輝くひとみすずしげにりん(・・)かざられている。ほのかに桃色をおびたくちびるは、小花しょうかの花弁のようだった。


 息をせずにじっとしていれば、人ならざる彫刻像のようにも見えよう。あまりに現実離れした顔立ちだった。


「――あの頭を、カチ割るだと――?」


 正気じゃない。


 つい思考を口に出してつぶやいてしまったケネルを、次の瞬間黒ローブの女の目が射抜くように見た。


 あわてて木陰に隠れるケネルの耳に、やがて、誰が出しているのかも分からぬ不快な声が響く。


 腐った水をかき回すような、粘着質で、恐ろしげな声が。


「本来……このようなこと(・・)は、なされるべきではない。産道の民以外の者が、異邦人の生存競争に横槍を入れ、最古の秘境に導くなど……。全く、全く、前例のないことだ……」


 ケネルは、おそるおそる木陰から顔を出し、岩場の様子をうかがった。不快な声の出所に驚きながら、それでも女の目が自分に向けられていないことを確認し、聞き耳を立てる。


「だが、仕方がない。産道の民が絶滅の危機にひんし、そして最後の一人が穴底に到達してしまった今、このブナ森は優れた異邦人を選別する『選別人』の不在という、未曾有みぞうの事態にさらされている。

 島は、一人でも多くの勇士を必要としている。ならばわれが森をさまよう探索者を探し出し、集め、機会を与えるは仕方なきこと。機会は、公平に与えられねばならない。これは公平さの問題なのだ」


 女がローブのそでを持ち上げ、岩場にいる面々を一人ずつ指し示す。女の腐った水の声が、より大きく辺りに響いた。


「これよりお前達に機会を与える。我が前で己こそが優れた異邦人であるというあかしを見せよ。我が試練をみ越え、その優れたるを証明するのだ。さすればこの魔の島の最奥、最古の秘境へ、またたく間に送り届けよう」


「ちょっと待て! 試練だと!? 聞いてねえぞ!」


「試練をこばむ者は今すぐこの場を去れ。誰の手助けも得ず、自力で最古の秘境にたどり着くのなら、それもまた優れた異邦人の証明となろう」


 槍の男に向けられる女の目は、どこまでも無感情で、温かみがない。


 ざわめきうろたえる人々の中、しかし白装束の六人組が槍の男を押しのけ、剣を手にしたまま女の前に整列した。


 刃先を空に向け、まるであるじ宣誓せんせいする騎士のような姿勢で、白装束達が声を上げる。


「案内役に二度も逃げられてはかなわぬ。お前は我々に『導き』を与えると言った。我々の追う男のいる場所を知っているとも言った。ならば、その言葉の責任を取ってもらおう」


「受けよう。試練とやらを」


「踏み越えよと言うのなら、その通りにしよう」


「我々はルイン連邦のヴァイス」


「個を持たぬ白い影」


「戦火こそ我らが寄る


 がちりと白装束達の剣が鳴り、その刃先が全く同じ動きで宙を裂き、女へと突きつけられる。


 劇的な彼らの行動に、場を包んでいた空気が一気に熱を持った。元々、魔の島などという人外の領域に好んでみ込むような人々だ。困難を勇気と名誉で克服する、英雄的な、あるいは冒険者的な勢いには酔いやすいタチなのだろう。


 次々とおのが名乗りと矜持きょうじを叫ぶ集団の熱気に、ケネルもまた忘れていた闘志を呼び覚まされた。そうだ。自分にも立派な大義と名誉があったのだ。伝染病におびやかされる祖国を救うため、不死の水を求めて旅立ったという、美々しい物語が。


 ケネルは、いまやあらしのように荒れ狂う人々の声に満たされた岩場へ自分の名を叫ぼうとした。もはや身を隠している意味もない。この望外の状況を見過ごす手などあろうはずもなかった。目の前の人々とともに、再び魔の島に挑む。挑みたいと、心から願っていた。


「では――――全員参加、ということだな」


 響いた女の声に、ケネルの放とうとしていた叫びがのどに詰まった。


 腐った水をかき回すようだった声は、その瞬間だけ明瞭に、人の声としてケネルの耳に響いた。美しい顔に似つかわしい、すずのなるような声。わずかな喜びと、深い悲しみに染まった声。


 ブナのみきから飛び出しかけていたケネルが、なぜかがた怖気おぞけを感じて身を引いた。騒いでいた岩場の人々も女の声音こわねに何かを感じたのか、水を打ったように静まり返る。


 女がかぶっていたフードを両手で払い、金糸にかざられた頭をにさらす。透き通るような美しい髪がたきのように肩やうなじに下り、におい立つような色気が広がった。


 ――直後。女の顔から、何かがこぼれ落ちる。目を細めるケネルの視線の先で、さらにひとつ、ふたつと、女から何かががれ、落下した。


 誰かが高い声で叫ぶ。女を囲んでいた人の輪が一気に後退し、何人かがケネルのすぐそばまで逃げてきた。


 事態を把握はあくできず戸惑とまどうケネルの視線の先で、女の形のよいあごが、ずるりとすべり落ちた。


「なっ……!」


 女の顔が、音もなく崩壊してゆく。柔らかな金糸が、石灰色のひたいが、耳が、鼻が、あらゆる肉が皮がぼろぼろと剥離はくりし、地面に落ちてゆく。


 そうして降り積もった肉片の山が、ぐちゃぐちゃとうごめき、やがてぼこりと湧いた(・・・)


 肉が湧き立ち、ふくれ上がり、女の前に立ち上がる。目をみはるケネルの前で、肉塊の中からとがった牙の生えた口が浮上し、空気をるがすような凄まじい咆哮ほうこうを上げた。


「これが……『試練』……!?」


 ほんの少し前まで一番うるさく騒いでいた槍の男が、ケネルの手の届く距離での鳴くような声であえいだ。


 岩場の中心に立つ女と肉塊は、多くの人々の視線を受けながら変形を続け、やがてそれぞれ別の存在へと変わり果てる。女の頭部は耳も鼻もないつるりとした、ちっぽけな亀裂のみが刻まれた異形のしるしとなり、そして肉塊の方は――。


「馬鹿な! こいつは――この『形』は――ッ!!」


 最前列に残った白装束達が叫ぶや、成長しきった肉塊は全身からごわごわとした体毛を生やし伸ばしながら、こぶしで大地を強く叩き鳴らす。


 女がこぼした肉は、美しい顔面を構成していた肉片は、今や巨大な獣の姿を形作っていた。闇色の毛皮に覆われた、人のそれに似た手足を持つ獣。


 ブナ森を徘徊はいかいする、大型の人熊ウェアベアの姿が、そこにあった。


「……ウェアベアに限らず、人獣ウェアビーストは総じて人の肉から生ずる獣、獣にした人肉の怪異だ。この森をさまようウェアベアは、すべて我が肉から生まれし魔性のモノ。生殖を知らぬ呪わしき肉塊だ。元々は産道の民が優れた異邦人を見つけやすいようにと、指標の一つとして放ったものだが……」


 女の言葉なかば、ウェアベアが突然に走り出し、最も近くにいた白装束にこぶしを振り下ろした。鳥肌の立つような音が響き渡ると、ウェアベアのこぶしの下からぜた血肉と臓腑ぞうふが花のように飛び散る。


 絶命した敵にさらに牙を立てようとするウェアベアに、残った五人の白装束が絶叫とともに刃を突き出した。勇敢な白装束達の刃が厚い毛皮にはじかれ、あるいはウェアベアの目や鼻に突き入れられると、次の瞬間刃をにぎる白装束達の腕がいくつも引きちぎれ、宙に舞った。


 ウェアベアがえ、白装束を踏み潰しながら他の探索者達に襲いかかる。阿鼻叫喚あびきょうかんの叫びが鮮血とともに岩場を飛び、人体が小石のように空にいくつも打ち上げられた。


 木陰で幼児のように震えるケネルの目の前に、内臓や指が雨のように降ってくる。たまらず逃げようとすると、その肩を突然に太い腕がつかみ、木陰の外へと引き倒した。


 槍の男が、ケネルが逃げようとしていた方向へと走って行く。様々な感情がのどからほとばしり、ケネルは失禁しながら槍の男に手を伸ばした。


 その手の甲を、暗闇の毛皮がなでて行く。


 視界の奥へ風のように走り去って行く獣の後ろ姿に。響く槍の男の悲鳴に。ケネルはもはや立ち上がることもできず、手足を縮めて胎児たいじのごとく丸まった。


 ……その、化膿しかけた背中の傷を、なでる者がいる。


 涙を流すケネルに、腐った水の声が、ぽつりぽつりと落とされる。


「お前の意志は、まだ、聞いていない。試練を受けるか。それとも、自力で秘境を目指すか」


「…………ひもを…………」


 震えるケネルの声に、女はゆっくりと首をかたむける。


「……紐を、探しているんです……太い、紐を…………。それさえ見つければ……俺は、自分で、カタをつけます……」


「……」


「来るんじゃなかった……こんな所……! お願いです、どうか、ほっといてください……! 楽に死なせてください……!」


 ケネルは奥歯を鳴らしながら、やがて女の冷たい死体のような手が背中から離れるのを感じた。


 周囲では未だ獣の咆哮と、人々の悲鳴が渦巻うずまいている。頭上から、女が「すまないな」と、ひとり言のように声を響かせた。


「本当に、本当に優れた者にだけ、島の奥に来てほしいのだ。実力のともなわない者が……ウェアベア程度の敵をしのげぬ者が、最古の秘境に来ても意味がない。ここは、そういう場所なのだ」


「……」


「とはいえ……あのウェアベアは、少し大きすぎたかもしれんな。人数に合わせて強い個体を作ったつもりだったが、これでは勝負にならんか……。あの白装束の連中は、少し見込みがあったのだが」


 次は、もっと上手にやろう。


 女の言い草に、ケネルは頭を抱え、どこまでも慟哭どうこくに沈んだ声をしぼり出した。





 ……彼が、自分の耳から全ての音が遠ざかり、再び一人きりになったことを察して身を起こしたのは。


 それから、かなりの時間が経ってからのことだった。

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