五十三話 『物資補給戦 三』
三人がかりで岸にあげたマスは、その大きさは別にしても、サビトガの祖国の河川に棲む『ヤマメ』に非常によく似ていた。
暗いウグイス色の体に黒いはん点模様。驚くべきことに投擲によって突き刺したというナイフの傷口からは、真っ赤な血の色が覗いている。
腹を裂いてみれば内臓の中には石と砂、溶けた小魚とサワガニの殻だけがあり、特に危険なエサを食べている様子もなかった。陸を動き回れる亀と違い、カバ林に生えている得体の知れないキノコや毒草を食餌にしていることもないはずだ。
大丈夫そうだ、とつぶやくと、サビトガの手つきを背中から見ていた少女がついとマスの目玉を指さし、「くれ」と短く要求の声を上げた。
サビトガは少女を軽く振り返り、少し考えてから言われたとおりにマスの目玉を二つともくりぬき、手渡した。魚の目玉には安全な水分が存在する。ひどい味だが、生でまるごと呑み込むことで生魚にしかない貴重な栄養を極めて低リスクで摂ることができた。
ぽんぽんと目玉を飴玉のように口に放り込み、舌で転がしながら焚き火へと歩む少女を横目に、サビトガはマスをさばき続ける。草の上に敷いたカバノキの皮をまな板代わりに、マスの体を仕込み剣で二つに開いた。
半身はすぐに焼いて食べるとして、残りは燻製にして備蓄に回したい。燻製は獣肉にせよ魚肉にせよ、煙の当たる断面が多いほど早く仕上がる。平たく細かく切り分けるのがコツだった。
燻製用の魚肉は本来なら一度風乾した方が良いのだが、風がなく日光も限られた穴底では何かと不安なので、すぐに燻すことにした。燻製の方法は数多あるが、今回は道具をほとんどこさえずに済む『穴掘り式』でいくことにする。
これは地面に二つの縦穴を掘り、その後穴同士を横穴でつなぐことで全体を即席の燻製装置として使う方法だ。
一方の縦穴の底に薪と燃え木を放り込み、カバノキの皮などでフタをすると、焚き火から出た煙が穴の中に充満し、横穴を通ってもう一方の縦穴に噴き出る。そうして天然の煙突となった二つ目の縦穴の上に、枝で組んだ網を作り、魚肉を載せておく。
これは焚き火の上で直接魚肉を煙に当てると、温度が高すぎて発火したり、火に接触して焦げが生じることから考え出された方法で、煙だけを魚肉に当てることができる最も原始的な燻製法の一つだった。
魚肉を載せる網の周囲に何らかの囲いを作ることで、より確実に素早く燻製を作ることができる。半日もあれば、マスは立派な保存食に仕上がっているはずだ。
ついでに網を二段にしてシダも乾燥食料にしようかと思ったところで、体を温め終えて服を着たレッジが、未だ腰布一つのサビトガの背をつついてきた。
見れば亀を放り込んだ焚き火を少女とシュトロが取り囲んでいて、焼けた亀の喉の肉をこそぎ、シュトロが回収してきたらしい酒瓶のヤナに差し入れている。ヤナには六匹ほどの小魚とヤドカリがかかっていて、沈んでくる亀肉を我先にとつついていた。
少女とシュトロは亀の毒見作業をしてくれているわけだが、サビトガを見るレッジの目はいかにも、毒見役の小魚やヤドカリの方を羨ましがっていた。
早く何か食べたい。彼の無言の訴えに、サビトガはさばいたきりだったマスの半身をつかみ上げた。
頭と背骨を抜き取り、肉を大きく四つに切り分ける。皮のついた面を下にして、よく洗ったシダの葉の束の上に置くと、一度水に入って水底の石を物色した。
平たい、藻の生えていない大きな石と、小さめの角ばった石を四つ。それらをシュトロ達の焚き火とは別の焚き火の上に組み上げると、石の焼き台ができ上がった。火に枝をくべ、じゅうぶんに石の水気が飛んでから、シダとマスの肉を載せる。
ぶすぶすと音を立てるシダの上で、すぐにマスの脂が踊り始めた。レッジにカバノキの枝を取りに行かせると、サビトガはついでに亀の卵も食ってしまおうと、石のわずかなくぼみを狙って数個割り入れた。
亀の卵は白身がほとんどなく、完全な球の形をしたタンポポ色の黄身をしている。それゆえに小さなくぼみにもしっかりと落ち込み、流れることなく焼き固まり始めた。
レッジの持って来た枝を仕込み剣でけずり、匙と箸を作る頃になると、少女とシュトロも食事の気配を察知して石の焼き台のそばに寄って来る。昨日皆でわずかばかりの梅の実を口にしてから、すでに一日以上が経過していた。
腹ペコだ。誰の顔にもそう書いてあった。
サビトガは皆に匙と取り皿代わりのカバノキの皮を渡すと、自分だけ手にした箸でマスと卵の具合を確かめ……。
わずかに眉根を寄せて、言った。
「頃合だ。さあ、腹いっぱい食おう」
その言葉に対する返事よりも早く、三つの匙が同時に石の焼き台に伸び、音を立ててぶつかり合った。




