五十一話 『物資補給戦 一』
翌朝、サビトガ達は頭上の空が強い青みを帯び、一個の水盤のようになってから行動を開始した。
昨夜は岸辺に草のテントを張り、一人ずつ見張りを交代しながら平等に睡眠を取った。一晩を通して何者の襲撃もなかったために十分な休息が取れたが、起床した皆は例外なく空腹を口にした。
シュトロの荷物袋にはやはり食物は残っておらず、四人は実質、飲み水以外に口にできるものを一切所持していなかった。
サビトガは巨大な水たまりと、その反対側に広がるカバの木立ちを交互に見て考えをめぐらせた。カバの木立ちは森と言うほどには木々が密集しておらず、その向こうに大穴の壁面をうがつ横穴が口を開けているのが見える。
天井の高い、濃い闇をはらんだ洞穴。サビトガ達が次に進む順路であることは明白だった。
魔王は、その先に殺すべき魔の者がいると言った。ならばその魔の者の方から洞穴を通って来て、サビトガ達を襲うことも考えられる。
背後に逃げ場のない穴底に長くとどまるのは得策とは言えない。かと言って食料の補給なしに先に進むこともできない。
一日。長くても二日。それがこの場に留まれる限界日数と考えた。人間が生活することで発生する『臭い』は、時間とともにその土地に染み付き、外部に漂い出す。先の状況を知らぬままに足を止める日数としては、妥当な線だろう。
本来なら姿を消したままの魔王自体が懸念材料であったが、突然現れては消えた正体の知れぬ相手をいつまでも怖がっていても仕方がなかった。
何にせよ、食料の確保が先決だった。サビトガ達はたがいの姿が視認できる範囲を限度として、穴底に散開する。
早速服を脱いで水たまりに向かうレッジや少女を背に、サビトガはまずはカバの木立ちを調べ始めた。樹木に巣を作る小動物や虫がいないか、枝葉に目を走らせ、幹をゆさぶって探りを入れる。
すると十本と木を揺らさぬ内に、樹上からバラバラと緑色の実が落ちてきた。視線を上げれば枝の一つにヤドリギが寄生し、細かな果実を数え切れぬほどに結んでいる。
ヤドリギの実……サビトガはそれを軍隊時代、口にしてはならぬ有毒の実と教わっていた。鳥は食べるが人が食べてはならぬ。茎も根も食用にはできぬと。
サビトガは落ちた実にもう一度だけ視線をやってから、すぐに隣の木の幹に手を伸ばした。すると手の平の下で、何かがぐしゃりと潰れる。
カバノキの幹に、茶色い大ぶりの、食用のヤマドリタケに酷似したキノコがびっしりと生えていた。サビトガは思わず顔をゆがめ、そのまま数度幹を揺らし、木を離れる。
キノコは毒の有無の見極めが難しい上、大きさのわりに大した栄養も取れないことが多い。たとえ大量に生えていたとしても、毒見のリスクに見合う成果は期待できなかった。
穴底には、どういうわけか外の世界よりもはるかに豊かな生態系があった。だがだからこそ探索者自身の知識と危機感が試されてもいた。
いかにも食べられそうな外見の植物やキノコが、ふと目をやれば樹木の根もとや石の陰に生えているのだ。だがその半数はサビトガの知る有毒の種や、食用に向かぬ非可食の植物だった。
そのくせ何十本と木を揺さぶっても、リス一匹、毛虫一匹飛び出る気配もない。水たまりの外には、動物の気配は全くなかった。
サビトガは結局動物性の獲物をあきらめ、ヤドリギやキノコ類や、見知らぬ種類の植物の宝庫である木立ちから、若いシダを一抱えほど採取した。
全てのシダ類は加熱することで食用が可能になる。腹が減ったらシダを煮て食えと、孤児院時代によく言われたものだ。
シダを持ち帰ると、シュトロがテントのそばの焚き火に枝をくべていた。見れば火の中に昨夜レッジが取ってきたヤドカリ入りの二枚貝がまとめて放り込まれている。
焼きヤドカリ? と眉根を寄せるサビトガに、シュトロがいつかの誓いの酒が入っていた空き瓶を取り出しながら言った。
「焼いたヤドカリをすり潰してさ、瓶の中に入れるわけよ。そんで瓶口にこのカバノキの皮で作った『じょうご』を差し込む。そうして水の中に沈めると、香ばしいヤドカリの匂いにつられた魚が瓶の口を通って入ってくる」
「ああ、『ヤナ漁』か。しかし大漁を狙うには瓶口が狭すぎるんじゃないか」
「本格的な仕掛けは後で作るよ。今はとりあえず何か獲って食わねえと腹がすり切れちまうからな」
肩をすくめるシュトロが、サビトガの腕の中のシダを不思議そうに見た直後。水たまりに入っていたレッジが、突然水しぶきを上げて岸に何かを飛ばしてきた。
ぎょっとして振り向くサビトガとシュトロの目の前、柔らかい泥の中に、亀の甲羅が隕石のように、ずぶりと突き刺さった。




