二十話 『告白』
ルキナが女を案内したのは、王城の東側、古めかしい噴水のある広間だった。
頭上に巨大な天窓のはまった吹き抜けの空間で、亡きルキナの母、王妃がよくこの場所で侍女達を巻き込んで歌を作っていた。
ルキナは水の止まった噴水のわきに放置されていた鉄製の椅子を引きずり、女の前に置く。しかし女は片手を振り「結構だ」と返した。
「立ったままでいい。それより、髪を解いていいか」
「……そんなことはいちいち訊かなくていい」
ご自由に。そう続けるルキナの前で、女は言葉通り髪を束ねた紐を解き始める。
ガロルやナギ、家臣達が広間に散り、思い思いの位置に陣取る。広間の扉を閉めようとした兵士に、ルキナが「待て」と声を上げた。
「尋問ではない、扉は開けておけ。それと……ええ……」
自分を見て言いよどむルキナに、女は髪留めの紐を抜き放ちながら、口を開く。
「私の名はサンテだ。ユーク将軍、マリエラ、マキトに続く、四人目のスノーバ軍の要」
「……さようか。では、サンテ殿……」
ルキナは腕を組み、目の前の女の様子に目を細めた。
解かれた黒髪はさらりと、まっすぐに床に向かって伸びていて、量のわりに軽い印象を受ける。女、サンテの鋭い鷹のようだった目は髪を解き放った瞬間からゆるみ始め、今はどことなくぼやっとした視線をルキナに送っていた。
まるで別人のようだな。ルキナのそんな感想を読み取ったかのように、サンテがおそらく、出会ってから初めて、小さく笑った。
「気を引き締めるために、きつく髪を結んでいるんだ。痛いぐらいにな……だから髪を解くと、少し……気もゆるむ」
「お前達はいつも弛緩しているように見えるがな。おごりたかぶり、余裕ぶって、我々を笑いながら組み敷く」
「私に余裕などない。他の三人とは立場が違う」
壁際に立った騎士の一人が「どういうことなんだ」と、若干いら立った声を上げた。
スノーバの幹部の妙な言動に、室内のコフィン人達の表情に困惑の色が混ざり始めている。
「スノーバ軍の幹部のくせに、何故余裕がないなどと? お前達はコフィンを下し、まさに戦勝の真っ最中ではないか。あの神さえいれば、これからどんな敵が現れようと恐れることなど……」
「スノーバの現政府が革命を経て出来上がったものだという話は、王女から聞いているだろう?」
サンテがルキナに視線を向け、同じように腕を組む。
ルキナより豊かな胸部が、麻服の下で押し上げられ、わずかに揺れた。
首を傾げるルキナに、サンテも同じように首を倒して続ける。
「スノーバで起きた革命は、完全な暴力革命だった。スノーバで唯一、軍以外に独自の基準で武装を許された組織であった冒険者組合が、ユークの扇動のもとに反乱を起こしたのだ。神は、その時に初めてスノーバ国民の前に姿を現し、帝国軍を蹴散らし、皇帝を食い殺した。
コフィンの占領と同様に、革命は一日で成った。その後は処刑に次ぐ処刑……皇帝側の人間を、老若男女、貴賎の区別なく裸でギロチン台にひざまずかせ、その死を衆目にさらした」
「野蛮な……自分の国ですらそんなむごいまねをしてきたのか……」
「私も本来は、処刑される側の人間だった」
サンテが、自分を見つめる無数の目に息をつき、床に目を落とした。
「私の名は、サンテ・ハイラニア・デ・スノーバ……革命政府以前の、帝国スノーバを統べていた皇帝家の人間……末代皇帝、シデオンの娘」
お前と同じ、皇女だ。そうルキナに言うサンテに、室内の面々が一様に絶句した。
革命で倒された帝国の、皇女。それがもし本当なら、確かにサンテはスノーバの革命政府が真っ先に捕らえるか、処刑すべき人物だ。
打倒された皇帝の血を引く娘が生きていて、まして軍の幹部などになっていたのでは、この先革命者達にとってどのような災厄となるか分かったものではない。
ルキナが、隣に立つガロルとナギと交互に顔を見合わせてから、サンテに慎重に言葉を発する。
「皇帝の、娘……? そんな人間が何故、自分の国を乗っ取った革命者達の中にいる……?」
「私が革命の功労者……いや、『元凶』だからだ。私は自分の国を滅ぼした、愚か者だ」
サンテが、ふらりと踵を返し、枯れた噴水の方に歩いて行く。「座らせてもらうぞ」と言うが早いか、なめらかな石でできた噴水のへりに腰かけた。
ルキナは自分が用意した椅子を見つめ、それをサンテの前に持っていく。
サンテと向かい合うように腰を下ろすと、彼女の目を覗き込む。
無言のルキナに、サンテはまるで大人に叱られている子供のような目を返した。
その唇が、ゆっくりと言葉をつむぐ。
「スノーバは、本当に豊かで、恵まれた国だった。気温は低いが太陽が十分に大地に降り注ぎ、土は肥え、水源も多い。一年を通して実る作物の種類は、千を超える。……だがそれらの恵みは……けっして平和的な発展の末に得たものではなかった。
肥えた土、豊かな水源、様々な土地資源を持つ隣国を、次々と武力で滅ぼし、吸収した結果だ」
「武力で栄えた、軍事大国……」
「ああ。広大なスノーバの国土は、他国民の血と屍を吸った惨劇の跡地だ。王を殺され、国を奪われ、下等国民として無理やりスノーバに編入された敗戦国の民の憎悪は、歴史を重ねるごとにどんどん蓄積されていった。
……だが、だからと言ってスノーバ人が取り立てて戦争を好み、侵略を自ら繰り返したというわけでもない。北の山脈を越えた世界では、国を栄えさせるためにも、守るためにも、他国と刃を交わすことは避けられなかったのだ。それはかの地にあまりにも多くの国がひしめき合い、世界の統一をもくろむ国々が常にしのぎをけずっていたからだ。
平和的に、武器と軍隊を持たずに生きようとする国は真っ先に滅ぼされる。戦の兆候があれば、攻められる前に攻める。滅ぼされる前に滅ぼす。それが北の世界での、常識でもあった」
しかめられるコフィン人達の顔に囲まれながら、サンテはルキナを見つめる。
肩を抱き、さすりながら、さらに声を重ねていく。
「私は、そんな世界が、国のありようが嫌いだった。多くの犠牲者を出しながら終わらない戦争を繰り返し、他国を占領し、自国に利益と憎悪を呼び込む。
血にまみれた歴史、文化……戦勝国であり続ける列強各国、スノーバが存続すること自体が、世界に対するあまりにも大きな罪のように思えたのだ」
「自分の国を嫌う皇女か。なんとも、気の毒な話だな」
ルキナのその言葉に、サンテがきゅっ、と目をとがらせた。「お前がうらやましいよ」と、どこかとげのある声音で言う。
「貧しく、厳しい大地にありながら、この国はひどく健全だ。自分達が持てる以上の土地を望まぬ国民性、それでいて素直な愛国心と、王家への信頼。コフィン人を虐げる立場にいても、それがよく分かる……民はあるがままの国を愛し、王家と軍はその民と国のために魂を燃やして戦う。
だからこそフクロウの騎士のような外国人までもが、コフィンに好意を持ち、力を貸すのか」
「フクロウ……」
「彼が死んだあの日、私は襲撃前に、密かにホルポ村に足を運んでいた。フクロウの騎士に、危険が迫っていることを報せていたんだ」
ルキナの喉が、ぐっ、と音を立てて唾を飲み込んだ。
サンテがわずかに目をそらし、どこか言いにくそうに床を見つめて続ける。
「別に、言い訳をするわけではない……ただ私は、確かにスノーバ軍の手先だが……ユーク達の暴虐を、可能なら止めたいと考えていた。革命政府に対して義理などない。ただ成り行きで、今の立場にいるだけなんだ」
「難解な話だ。だが確かにあの日、ホルポ村は襲撃前に全ての村人が避難していて、フクロウの騎士も全身を鎧で固めて武装していた。事前に誰かが襲撃の情報を流さなければ、できることじゃない。
それがお前だったというのは、あまりにも意外だがな」
「フクロウの騎士も最初は私を疑っていたが、結局村人を説得して、逃がしてくれた。彼にも逃げろと言ったのだが……襲撃が完全に失敗すれば、ユークは意地でも村人を追う。自分は残って戦うと言って聞かなかった。彼は、知ってのとおり、最期まで私のことを知らぬふりをしてくれたよ」
ルキナより早く、隣のガロルが深くため息をついた。縫い合わせた口の裂け目から、わずかに息がもれている。
広間に漂う沈痛な空気を裂いて、ルキナがサンテに低く問いかける。
「スノーバの皇女でありながら革命政府の軍で将を務め、将でありながら敵国の民の命を半端に気づかう。お前は、何がしたい? 何が目的なのだ?」
「責任の取り方を探している。……最初から話そう。ことの発端は、今から五年前のスノーバの帝都でのことだった」
サンテが、床に向けた目を閉じて語り始めた。