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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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四十二話 『真実』

 シュトロが地からひざを離し、再び立ち上がって道を歩き出したのは、空が吸い込まれるような淡青うすあおに染まってからだった。


 世界は静かで、人の声は死に絶えていた。労働監視官が村の異変に気づくのはいつごろになるだろうか。ふとそんなことを考えたが、すぐにどうでもいいとかぶりを振った。


 太陽の光が、シュトロの全身にこびりついた血肉を乾かしてゆく。


 カカシの顔は人が装着することを一切想定していなかったにもかかわらず、シュトロの五感をほとんど阻害そがいすることなく、覆面の役割を果たしていた。


 大きなボタンの目の中央に空いた穴は立派にのぞき穴として機能していて、多少面がずれても、目のあらいズダ袋の布越しに外界の様子を知ることができた。


 耳も、鼻も、世界の全てを問題なく感知している。できないことと言えば口にものを入れることくらいだ。


 シュトロは自分のくちびるのあたりに指をそえた。カカシの口は糸でいつけられていて、その線は笑っているようにも、泣いているようにも取れる微妙なえがいている。


 ……これでいい。これが今の俺の顔だ。俺の表情なんだ。


 笑う必要も、泣く必要もない。すべては終わってしまった。今更いまさらひとりで感情をわめき散らしても、何にもならない。


 シュトロは胸の内につぶやき、そのまま青空の下を歩き続けた。


 向かう先は、東。村から最も近い国境線。


 本来ヴァイスに採用されてから、十分じゅうぶんな金と健康を得てから越えるはずだった国境を、シュトロは今、一振りの剣だけをたずさえて目指している。


 命ある内に、せめて連邦の外を見たかった。自分が第二の人生を送るはずだった世界を、善と平等の狂気から離れた世界をこの目に焼きつけてから死にたかった。


 国境を警備している者を皆殺しにしてでも。血の海に沈めてでも。シュトロは、それだけはなしげてから終わりたかった。





 ……だが、実際に国境に着いてみれば、シュトロが殺すべき人間の姿などどこにもなかった。


 村からせいぜい半日、まだ陽のある内にたどり着いたそこは荒野の真ん中で、ただ国境線を表すのだろう、ルイン連邦の国旗のマークが刻み付けられたくいだけが林立していた。


 地平線まで続く杭の群は、しかしシュトロの腰の高さほどしかない。えようと思えば、難なく越えられる。


 シュトロは四方を見渡し、国境警備兵や監視者の影を探した。だが静寂せいじゃくに包まれた荒野に生き物の気配はなく、誰かが身をひそめられそうな物陰もなかった。


 ……ルイン連邦は近隣諸国に対する国防行為の実に九割を、自国民以外の傭兵ようへいに任せている。


 これは政府に言わせれば、ルイン連邦民が肉体的にも知能的にも脆弱ぜいじゃくで、集団行動に適さず、戦闘意欲にとぼしいからだ。ゆえに莫大ばくだいな国費を投じて大陸中の傭兵をかかえ込み、軍事力を金で買っている。


 シュトロ達連邦民が、日々生産している麦や豚……彼ら自身の口にはけっして入ることのない作物、食肉を売った金。その大半が傭兵達への報酬や、生活費にあてられているはずだった。


 パンより剣。食料の充実より、国防の充実が最優先。


 そういう話だった。


 にもかかわらず、今、シュトロの前にはたった一人の傭兵もいない。


 国防の最前線、国境を守り監視している傭兵団の姿など、影も形もなかった。


 シュトロはおもむろに足元を見下ろす。乾いた地面を視線でなでると、やがてうっすらと馬のひづめのあとを見つけた。


 国境の巡回監視の形跡。しかしそのあとは古く、消えかけていて、しかもたった数頭ぶんしかなかった。


 シュトロは顔を上げ、再び四方を見渡す。世界は相も変わらず静かで、何者の影もない。


 ゆっくりと、杭の群に近づく。視覚的に表現された国境。ずらりと並んだルイン連邦の国章。


 シュトロは息を吸うと、次の瞬間、無造作にそれらをりつけた。バキリと音がして、雨風に根が腐りかけていた杭がいとも簡単にかたむいた。


 シュトロはさらに杭をりつける。腐った国章をみ砕き、なぎ倒し、引き抜いては叩きつけ、国境線に力任せに穴を空けた。


「……馬鹿にしやがって……!」


 やがて腐った木片に沈んだ大地に、シュトロは肩で息をしながら、憎悪のうめきを落とした。






 シュトロはそれから、ひたすらに世界を歩き続けた。目的地などない。壊れた生簀いけすから逃れた魚が大海の人知れぬ場所へと泳いでいくように、シュトロは気の向くままに、あてもなくさまよい続けた。


 国境を越えたところで、空気や風景が激的に変わるわけではなかった。土も、石も、草木も空も、祖国にあったものとほとんど変わらない。


 ただ、日が暮れて、夜が来て、また朝陽が上る頃になると、シュトロの前に大きな道が現れた。


 草をって地面をならしただけの簡素な道ではあったが、道幅がシュトロの生家がまるまる五つは入るほどに広い。


 いったいどれほどの人が通る道なのだろうと降り立ってみると、道の先に立て札のようなものが見えた。近づいてみれば公用文字で『乗り合いこちら』と刻まれていて、立て札の根元に石でできた椅子いすがいくつも並んでいた。


「乗り合い……って、何だ……?」


 札の文字をなぞりながら、シュトロはちらと椅子に視線をやる。石をけずって作られた椅子は冷え冷えとしているが、表面がなめらかで、座り心地が良さそうだった。


 すでに足は棒のようで、肉体が休息を求めている。シュトロはずるずるとくずれるように道ばたの椅子に腰かけると、カカシの顔をはがし、息をついた。


 空には雲があり、冷たい風が吹き始めている。今日は気温は上がりそうにない。


 このまま体が冷えて、眠りながらに死ねれば楽だろうか。シュトロは勝手に落ちてゆくまぶたの奥で思い、意識を手放した。





 ……だが、シュトロに死の安息は訪れなかった。次にまぶたが開いた時、彼は雨音と雷鳴の中で、乾いた毛布に包まれていた。


 毛布。シュトロが生まれて初めて触れたそれを毛布だと識別できたのは、彼のすぐとなりに座っていた老人が目覚めた瞬間から「毛布は足りてるか! 毛布は行き渡ったか!」とがなり立てていたからだ。


 状況を把握はあくできなかった。シュトロは薄暗い室内で、大勢の人間に囲まれて横になっていた。木の床はむやみやたらに震動し、まるで地震のようにれ動いている。天井にはあかりが見えるが、これもゆらゆらと宙をかきまわしていて、落ち着きがない。


 周囲に座す人々は、雷鳴がとどろくたびに悲鳴を上げたり、怒鳴ったりしている。シュトロが身を起こそうとすると、となりの老人が「こらっ!」としわくちゃの赤ら顔を近づけてきた。


「お前! あんなとこで眠ってちゃいかんだろうが! あやうく死ぬとこだぞ! 大雨の中眠りこけやがって、しょうがねえ若造だあ!」


「……あぁ……?」


「あそこはな、乗り合い椅子っつって、乗り合い馬車を待つ間に座る場所だあ! でも雨が降ったら急いで立ち上がって、馬車のやって来る方向へ走るのが常識だぞ! 雨風はしのげねえかんな! 屋根ねえしよ! 馬車の方だって雨ん中走ってくるやつがいたら、すぐ止まって扉開けてくれるんだぞ! それが常識だぞ!」


 シュトロはまくし立てる老人から目を離し、改めて周囲を見回した。


 室内にいる人々は皆シュトロと同じ毛布にくるまり、れた髪や体をいたり、手をこすり合わせたりしていて、老若男女様々な顔ぶれが並んでいる。


 だがそのいずれも一般的なルイン連邦民より血色のいい顔をしていて、太っている者も少なくなかった。


 異国の民。それも話し口や物腰から、労働者の集まりのように見えた。


 シュトロは目覚めてからの情報をつなぎ合わせ、おおよその事態を把握はあくしてから、となりの老人にため息とともに言った。


「せっかく助けてもらって悪いけどよ、俺ぁもう、長くねえんだ……あのまま放っておいてくれた方が、おたがいに面倒がなくて良かったかもしれねえよ」


「何ぃ! お前死ぬのか!?」


「ああ、血の病だとよ。あと半年もたねえって言われてる」


「血の病! ひどい死に方なのか!?」


「……ああ。どんどんせて、肌が黄土色に変わって、爪や歯が抜け落ちて死ぬんだとよ。だから雨に打たれてこごえ死んだほうが、楽だったかもしれねえんだ」


 老人がシュトロの顔を見つめ、それから太い指を伸ばしてシュトロのまぶたや、唇をき始めた。けげんな顔をするシュトロに、老人はやがて顔をほころばせ、鼻息とともに「なんじゃい」とあきれたように言った。


「そりゃお前、『壊血かいけつ病』じゃねえか。今時珍しくもなんともねえやな」


「壊血……?」


「血がこわれると書いて壊血病だ。メシをちゃんと食わないできつい仕事をしたり、心配事を多くかかえ込んだり、海の上で長く仕事をしたりするとかかるんだ。お前、さては異国人だな? この国の労働者の間じゃ有名な職業病だぞ。昔は医道が進んでなくて治らなかったが、今は――」


 がたんと、床がひときわ大きくれた。老人が体勢を崩し、シュトロの肩をつかむ。


 床から起き上がった老人のこっ恥ずかしげな目と、シュトロの皿のように丸くなった目が、重なった。


「――今は、簡単に治る病気だ。馬車が街に着いたら教会の施療せりょう院に行きな。壊血病だって言や、簡単な奉仕作業と引き替えに治してもらえるぜ」


「治る……この病気……」


「おうよ。薬だって要らねえ。肉やパンじゃなくて野菜を食えばいいんだ。草だよ草。お馬さんや牛さんと同じもん食ってりゃ治るんだよ。つまりはお前さんのふだんの食事は、牛馬以下だったってこったな。ダハハ!」


 ひざを叩いて笑う老人の前で、シュトロはいたままの目を床に落とした。


 治る。この病が。不治と言われ、死を覚悟した病が、シュトロからすべての希望を奪い去った血の病が、完治する。


 薬も要らず、ただ食事をするだけで――適切な栄養をるだけで、難なく――。


「治る……治るんだ……俺の病は……」


 つぶやいた声の震えを、老人は喜びゆえのものと勘違いしたようだった。笑顔で何度もうなずいてから、背を返して他の人間の世話を焼き始める。


 シュトロはその背後で、何度も治る、治るとつぶやきながら、自分の顔に両手の爪を深く突き立てた。



「……治るんじゃねえかぁぁぁ…………!!」



 歯を食いしばり、怒りにゆがんだ形相を爪で裂き破るシュトロの姿を、雷光が照らし出した。


 治る病。ほんの少しの努力で、助力で、完治し得た病。


 たかがその程度のものを、シュトロ達は死に至る大病だと思い込み、すべてを崩壊させる争いの火種にしてしまったのだ。


 シュトロを見限り、一切の手助けをこばんだ村人達も、さかしげに病の不治を宣告した長老も、今となっては全員が心底救いがたい馬鹿に思えた。植物を喰らうことで病が治ったのなら、果物の皮や種が入っている労働の種でもその見込みがあったはずだ。ふだんより少し多量にり、体を休めていれば……そのための時間を、村人達が協力して作ってくれていれば……。


 カカシの管理の仕事を、ほんの数日、引き受けてくれていれば。


 貸しを少しでも、返してくれていれば。


 こんなことには。



「……死んで、当然だ……愚民ども……!」



 シュトロの呪詛じゅそは、雷鳴と雨音の中に、吸い込まれていった。

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