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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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三十八話 『足掻き 後編』

 大衆とは何か。個人とは何か。


 レヒトが相手取り、そして失望したルイン連邦民のさがともいうべきものが、やがてシュトロにも牙をく時がくるのか。


 レヒトの導きを失ったシュトロは、村人達にしたわれ好意にまみれながら、言い知れぬ不安をかかえて日々を過ごした。


 身も心も、かつてないほどに満ち足りて、力にあふれている。他人の倍以上の労働に従事してもなお働き足りぬほどに血肉がうずいている。


 カカシの管理から、農耕に養畜ようちく屠殺とさつに食肉加工、村に存在するすべての仕事を覚え、誰よりも正確にこなせるようになった。


 賞賛も、尊敬も、きるほどにびた。シュトロは間違いなく村の英雄だった。


 だが、仕事を終えて帰路に着き、すきま風の吹き込む廃墟のような自宅の扉をくぐるたび、頭の中に住み着いたレヒトの幻影がささやくのだ。


 『その充実感はまがい物だ』と。


 『誰よりも働く奴隷になっただけの話だ』と。


 そして、幻影は最後に必ず『食い潰されるな』と警告する。


 シュトロが「誰に?」といても、幻影は答えを返さない。疲労に弛緩しかんした脳漿のうしょうの中に、黙って染み込んで行くだけだ。


 シュトロへの感謝と好意に満ちた村に、何か邪悪な、恐ろしいものがひそんでいる。


 すきを見せればとたんに牙をく、危険極まりない何かが息づいている。


 その気配を、息吹いぶきを感じながら、シュトロはさらに二年を過ごした。





 そう、二年。


 二年もの間、シュトロにはヴァイスへの誘いがかからなかったのだ。


 賞賛をび、尊敬の念を向けられ、村人にも長老にも働き者と認められていたにもかかわらず、シュトロは身分上は変わらず辺境の一村民であり続けた。役人に取り立てられることもなく、わらのパンと労働の種をむさぼり、寒風に国民服をまとった身をさらし続けていた。


 どういうことだ。英雄的な労働を認められれば、ヴァイスになれるのではなかったのか。


 長老がみずからの役目を失念しつねんし、シュトロをヴァイスにすのを忘れているのか。


 それとも推薦を受けた政府の連中が無能で、処理にもたついているのか。


 あるいはヴァイスには年齢制限があって、シュトロはまだ就任には若すぎるのかもしれない。あるいはここ数年の連邦民の労働成果がすこぶる良好で、ヴァイス候補が多く、審査の順番待ちが発生しているのかもしれない。


 あるいは――あるいは――。


 シュトロはごつごつと骨ばった手で畑をたがやし、家畜の豚を屠殺とさつしながら、心臓がこごえるような冷や汗を流した。


 まさか。よもや。このまま自分は、本当に『よく働く奴隷』として一生を終えるのではないか。


 レヒトの計画が狂い、目論見もくろみが外れ始めているのではないか。何か恐ろしいことが、この国で起こっているのではないか。


 だが計画の立案者であるレヒトが消えた今、その疑念を解消する手立てはない。彼に知恵を与えられたシュトロにも、現状を正しく分析することができなかった。


 ヴァイスの登用制度は、一般国民にはされたものなのだ。それに関する問いを、長老や、まして労働監視官に向けるわけにはいかなかった。まかり間違えばそこからシュトロがレヒトと関係していたことが発覚し、罪に問われるかもしれない。


 そうなればシュトロのヴァイス就任は永久に消える。


 現状を知る手立てが、何ひとつなかった。ゆえにシュトロは臓腑ぞうふが裏返るような不安と恐怖をかかえたまま、それでも黙して働き続けるしかなかった。


 人々の賞賛と尊敬をびながら――『お前はイイヤツだ』と感謝されながら――。


 ――――やがてシュトロに、地獄が訪れた。




 ある夏の日。珍しく寒風がみ、暖かな日光が村に降りそそいだ昼下がり。


 屠殺とさつ小屋で豚の内臓を抜いていたシュトロは、他の村人達が見ている前で突然に血を吐いた。


 何の前触れもなくおとずれた異変。全身から力が抜け、倒れ込むと、口や鼻からさらに大量の血液があふれてくる。


 たちの悪い病を思わせる、のりのようにねばついた血だった。


 みるみる広がってゆく血だまりに、シュトロは悲鳴を上げ、助けを求めた。村には医者などいなかったが、軽い負傷や病なら、知恵者の長老が最低限の手当てをしてくれる。長老の元へ運んでもらえれば、血が止まるかもしれなかった。


 だが、シュトロの周囲にいた三人の村人達は、驚がくの表情を浮かべつつも仕事の手を止めなかった。作業台に向かって豚を解体し続ける彼らに、シュトロは国民服を真っ赤に染めながら怒鳴る。


「おい! 何やってんだ! 手を貸してくれ!!」


「……病気か、シュトロ……? 長老の家に行った方がいいよ……労働監視官には、俺らから言っとくから……」


 最も年若い村人が、豚ののどをかき切りながら言った。もごもごと寝言のように吐かれた言葉に、シュトロがにごった声を張り上げる。


「バカ野郎! 見て分かんねえのか!? 立てねえんだよ! 長老の所まで連れてってくれよ!!」


「それは無理だよ。だって、まだ今日の仕事が終わってないじゃないか。お前、どうせもう抜けるんだろ? だったら残った仕事をやらなきゃ、俺達が罰を受ける。……一人で行ってくれよ……自分の体のことなんだから……」


 唖然あぜんとするシュトロに背を向けたまま、三人の村人達は豚をさばき続ける。飛び散る豚の血が、地面に広がったシュトロの血に混ざり、細かなあぶらを浮かべた。


 何を言っても手を貸さない三人に、シュトロはくちびるみながらって屠殺小屋を出た。日光を浴びてあたたまった地面に血の線を引いていると、屋外おくがいで仕事をしていた村人達がぎょっとした顔を向けてくる。だが、その誰一人としてシュトロに声をかけたり、駆け寄って来て救助をしようとはしなかった。


 自分の仕事を続けつつ、横目に様子をうかがうばかりの村人達。シュトロは血を吐きながら、自分が長年恐れ続けていたものの正体を、ルイン連邦民の呪われた国民性を全身全霊で思い知った。


 関係ないのだ。


 村人達にとって、目の前で苦しんでいる男がこれまでどれほど自分に益をもたらし、苦労を肩代わりしてくれたかなどということは、どうでもいいことなのだ。


 瞬間的に敬意や感謝を表明することはあっても、それはあくまでその時だけのこと。るがぬ信頼や友愛など、継続的な何かを保証するわけでもなければ、いつか恩や借りを返そうなどと思うこともない。


 初めから分かっていたはずだった。ルイン連邦民は、労働を価値観の根幹こんかんえている。


 働ける者だけが仲間なのだ。過去どれほどの成果を上げたかは関係ない。今この時を働けなくなった者に、生きる資格はない。そう考えている。


 レヒトに幼い頃から多面的なものの見方や、考え方を教えられていたシュトロは、自分の価値観が他の村人達のそれと大きくかけ離れていたことに気づいていなかった。


 罪なき人間が有しているはずの、ただ生存する権利や、幸せになる権利。


 そんなものは、この村のどこにもなかった。


『だから言っただろ? やつらは愚民だって。義理も道理も、わきまえちゃいねえってよ』


 脳裏に響くレヒトの声に、シュトロは空をあおぎながら、血の泡と咆哮ほうこうき上げた。

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