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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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三十七話 『足掻き 中編』

 それからシュトロは毎朝、他人が残した『労働の種』を拾い集め、口にするようになった。


 元々馬糞に似た丸薬を、しかも一度地面に落ちたものを取り上げて食うのはこの上なく屈辱くつじょく的だった。口に広がる悪臭とえぐみに何度も吐き戻し、結果的にわらのパンまで地面にぶちまけてしまい、胃をからにして働きに出るはめになるのは本末転倒だとも思った。


 しかしレヒトは決してやめるな、を上げたら即座に見捨てると、顔を合わせるたびに繰り返した。他に現状から抜け出す道はないのだと、シュトロの腕や足の太さをはかりながら言う彼の目は、獲物をねら猛禽もうきんの目のように一切の慈悲じひの色を失っていた。


 一日の疲労は倍化し、空腹に眠れぬ夜が続いた。筋肉と関節が悲鳴をあげ、ただ立っているだけでも苦痛を感じるようになった。


 だが、やがて肉体が本格的に死の危険を感じ取ると、同時に労働の種から感じていた悪臭とえぐみが消えた。極度の栄養の欠乏けつぼうに舌と鼻が機能を失い、麻痺まひしたのか。それとも肉体がみずからを生きながらえさせるため、自衛的に栄養の摂取のさまたげとなる感覚を遮断しゃだんしたのか。


 いずれにせよシュトロは、村人の誰もが忌避きひし服用に苦労していた丸薬を、臭いも味も感じることなく、腹いっぱいむさぼることができるようになった。食後に嘔吐おうとすることもなくなり、それまでは日に一度あるかないかだった便意べんいも毎日もよおすようになった。


 レヒトの顔が、日に日に笑みに染まっていった。シュトロの体には半年で筋肉のこぶがつき、一年を過ぎる頃には身長が頭二つぶんも伸びていた。


 毎朝感じていた体のきしみ、痛みもほとんどなくなり、皮の下に脂肪がついたせいで寒さにも強くなった。結果、日々の労働もそれまでの半分の時間で済ませられるようになった。


 頃合ころあいだと、レヒトは当時十二になっていたシュトロに次の指令を出した。


「体が強くなったおかげで、お前は他の村人の倍の早さで仕事がこなせるようになった。次は空いた時間で他人の仕事を手伝うんだ。自分から進んでな」


「他のやつらの倍働くのか? なんでそんなことしなきゃいけないんだ? この国じゃどんなに働いたって、見返りなんてねえんだぞ」


「表向きはな。この国の方針は『善と平等』だ。善良である限り人はみな平等に扱われる。善とは法をおかさず、十分な労働をこなすこと。悪とは法を犯し、不十分な労働しかこなさないこと。一定基準の成果を上げられない時にそれは『違法』とされ罰せられるが、逆に言やあ、一定基準に達してさえいればそれが基準ギリギリであろうと、基準の倍の成果であろうと平等に評価されるってことだ。

 がんばったヤツに一番も二番もねえ。基準以上にがんばるのはムダ。それが平等精神だ」


 だが、と、レヒトはくちびるをゆがめて笑った。


「そんな善と平等の制度の中にも、いくつか例外がある。そのひとつが『労働監視官』をはじめとする下級国家役人……フードとマントに身を包んだ『ヴァイス(白)』って連中だ」


「ヴァイス……?」


「生来与えられた国民番号、何人めの何がしって役目を解除され、存在を白紙に戻された連中。それがヴァイスだ。

 ……お前ら国民を監視して、押さえつけてる労働監視官な。あいつらは元々お前らと同じ、そこらの村や町にいた一般人なんだぜ。上級の国家役人みたいに世襲でその役目についてるわけじゃねえ。一般国民の中から、特に英雄的な労働を認められて拾い上げられた、成り上がり者なのさ」


 目を見開くシュトロに、レヒトがさらに笑いながら続ける。


「ひでえ話さ。労働は国家への奉仕ほうし。求められた分だけをこなしておけば、とりあえずは処罰されることはない。だから国民の多くは決められた以上の労働はしない……規定以上にがんばっても一切見返りがなく、ムダ骨だと思ってるからだ。

 だが、実際は政府は国民に規定以上の働きを求めている。過酷な労働環境で、見返りを期待できない状況で、それでも他人以上に労働に精を出す人間ってのは、本当に国家に対して忠誠をちかっている優秀な国民ってことだ。

 そういう根っからの愛国者を各町村のおさに極秘で見つけさせ、推薦すいせんさせることで、政府は極上の役人を民間から拾い上げることができるんだ。自己を殺し、感情をはいし、国益を最優先に考えられる人間を民の監視役にえれば、この国の民間支配はより強固なものになる。そうだろ?」


「……」


「つまりよ、政府には働き者の国民から管理番号を取り上げて、役人に昇格させる用意があるんだよ。事故死や失踪しっそうよそおってそいつの存在を社会から消し、白いフードとマスクで顔を隠させて名無しの『ヴァイス』にすることで新しい身分と人生を与えるんだ。

 各町村のおさは、ヴァイスを一人生み出すたびにもらえる休日の間隔かんかくせばまって、最短三日置きにまで短縮されるんだ。この村の村長……長老の休みは、まだ十日置きだろ? ヴァイス候補を推薦すいせんしたがってるはずだ」


「だから俺が働きまくって、長老に自分を推薦すいせんさせろってのか。労働監視官になることが、あんたの言う今の生活から脱出する方法か」


「そういうこと。下級役人のヴァイスになれば金銭の所持が許され、毎月給料が出るようになる。三年も貯蓄したら、東の国境から連邦の外に出るんだ。外貨と交換可能な金貨や銀貨を持って亡命し、後は外国でのんびり働いて暮らせばいい。その時までに俺が公用文字を叩き込んでやるよ」


 自信満々に計画を語るレヒトに、シュトロは感心すると同時に、ひどく胸糞の悪い、どす黒い感情が胸に満ちるのを感じずにはいられなかった。


 この国は、いったいどこまで国民を馬鹿にしているのだ。何もかもが傲慢ごうまんで、人間をあざむき試すような思惑おもわくわなであふれている。


 そもそもが善と平等を掲げる国に、中央管区などという経済的にも思想自由的にも優遇された特例地があることがおかしいのだ。善良であれば平等に扱われると言うが、それは結局下層の者同士の平等だ。初めから特権階級にいる者達は、くあろうとしくあろうと中央管区で豊かに暮らせるに違いないのだ。こんな馬鹿な話はなかった。


 それを思えばこそシュトロは、レヒトの計画が最終的にシュトロが家族や仲間を見捨て、おのれ一人だけで国外で幸せになることを終着点としていることも気に入らなかった。


 村人達は無感情で、非人間的だ。だがそれは彼らの責任ではない。この低劣ていれつな国から脱出できれば、きっと人間らしさを取り戻せるはずなのだ。


 シュトロには五歳違いの弟と、十歳違いの妹がいる。彼らはシュトロ同様、シュトロの両親が労働監視官からの命令を受けて作った『労働力』だ。


 国民には、子を自由に産む権利すらない。国が人口増加の必要を認め、要請した時に強制的につがい(・・・)にされ、家畜のようにまじわらせられる。そこにはいわゆる愛もなければ、情もない。親と子のきずなも真に血のつながり以上のものにはなり得ない。


 だが、全員で国を出ることができれば、もしかしたら『家族』をやり直せるかもしれない。


 正常なきずなを、取り戻せるかもしれない――。


 シュトロはレヒトの指示通り、日々を己の仕事と、他人の仕事の手伝いについやしながら、より救いのある結末に思いをせた。自分一人が国を脱出するよりも、もっと上等な終わり方が、やり方があるような気がした。両親や兄弟達や、村人達を救う手立てがあるような気がしてならなかった。


 その思いは、年月を重ねるごとに強くなった。村人達は驚異的な体力で仕事をこなし、さらに一日の半分を他者の労働の手伝いに当て続けるシュトロに、しだいに尊敬の念を向けるようになった。


 過酷な労働がシュトロのおかげで軽減されると、彼らは土気つちけ色の顔に笑みを浮かべ、何度もシュトロの手をにぎって感謝の言葉を吐いた。「ありがとう」と、「お前はイイヤツだ」と、涙さえ流す者もいた。


 シュトロは村人全員の仕事を一日おきに順繰じゅんぐりに手伝い、村人達はシュトロの来てくれる日を今日か明日かと待ちわびた。


 ほんのささやかな助け。たった一人の少年の活躍かつやく。だがそれが村人達の情緒をらし、以前は挨拶あいさつすら存在しなかった村の静寂せいじゃくに、日常の会話を取り戻した。


 誰かが「今日はシュトロに仕事を手伝ってもらえたから、早く家に帰れた」とうれしげに言えば、別の誰かが「明日は俺の番なんだ」と笑顔で返す。「俺はまだ先だろうか」と誰かが言えば、「シュトロにいてこよう」と他の誰かがう。


 村人の口にのぼるのはいつもシュトロの名ばかりで、それをシュトロの両親は、明らかにほこらしげに聞いていた。


 同年代の少年達はシュトロを『友達』と呼び始め、上の世代はシュトロを『心の息子』と呼んだ。新たな形のきずなに、シュトロも全力でこたえた。


 ――村に感情が戻っていた。シュトロが取り戻したのだ。何も持たぬ、貧民の手の平が、世界のありようを変えていた。


 ならばこそ、シュトロはレヒトの計画が進むことを恐れ始めた。長老はきっと、すでにシュトロをヴァイスに推薦すいせんしている。


 推薦を政府が受け付け、シュトロがヴァイスに抜擢ばってきされたなら、村は当然にシュトロを失うことになる。その後村がどうなるか……村人達は失望と無念に打ちひしがれ、きっと会話も、笑顔も失うだろう。


 せっかく変わり始めた村が、再び元の陰鬱いんうつな世界に戻ってしまう。その地獄のありさまを背に、シュトロは幸せになどなれるのか。家族を、仲間を見捨てて、新しい人生を謳歌おうかできるのか。それが、許されるのか――。


 そんな心境を明かした時、レヒトは烈火のごとく怒り狂い、シュトロのむなぐらをつかんで怒鳴り散らした。


「このおよんでクソあめえことぬかしてんじゃねえぞ、ガキがッ! 俺はお前が脱出したいって言うから知恵を貸してやったんだ! 他の連中のことなんざ知るか、やつらは俺を何度も通報した奴隷根性の愚民どもだ! 助けてやる義理なんざねえ!!」


「でも、せめてヴァイスに――労働監視官になった後に、みんなをかげながら助けてやるぐらいのことはできるんじゃないか? 少なくとも俺は国益のために村人をしいたげようとは思わない。俺が優しい監視官であり続ければ、みんなの暮らしだってきっとマシになるんじゃ――」


同僚どうりょうや政府に疑われるようなことはすんじゃねえ! お前は国民を二の次に置く愛国者として登用されるんだ! 村人に甘い顔してりゃ最悪、任を解かれて処分されるぞ! 冷徹れいてつつとめ上げて一人で亡命するんだ! それしかねえんだよ!!」


「……レヒト。あんた、前に俺に何て言ったよ。いっぱしの人間になるまでは言うことを聞け……そう言ったよな」


 国民服のえりがちぎれゆく音を聞きながら、シュトロはレヒトの穴だらけの顔にするどい視線を返す。


「人間ってのは、自分の意志で善悪を選び、決断するものだとも言った。俺は、自分で善悪を考えてるぜ……世の中を少しでも変えられるなら、てめえ一人だけ幸せになるような『逃げ』を打つのは、いことじゃあ決してねえはずだ」


「お前は何も分かってねえ! 世界は変えられねえし、人の根もまた変わりようがねえんだ! お前一人が足掻あがいたところで、何一つ変革できやしねえんだよ!」


「変えようとしたんだろ! あんただって!!」


 国民服のえりが引きちぎれ、レヒトの手から、シュトロが離れた。


 目をくレヒトが、顔中をぐしゃぐしゃにしてシュトロを見る。そのまぶたから、何かの拍子ひょうし水滴すいてきがこぼれた。


「……あんたの名が『法』と『正義』を意味するなら、あんたはきっと、それらを生み出せる立場にいたはずだ。裁判官か、法学者か……政治屋か……。国に数人しかいない、稀有けうな存在だったんだろう。そして中央管区で、何千人もの人々の心をつかむ言葉を堂々と吐いていた」


「……」


「そのことをうとんだ政府の連中が、あんたを国家転覆や、危険思想にからめた罪状で告発した。……国のあり方を、変革しようとしていたからだ。今の狂った制度を修正して、国民を救おうとした。あんたは正義に身をささげたんだ」


「てめえに何が分かる」


 レヒトは背を向け、地面にくずれ落ちるように座した。肩を震わせ、深く息を吐く。


「何百年と続いた国家の制度に楯突たてついてよ。一族全員に馬鹿だ反逆者だとあざけられ、女房子供にも逃げられて、それでも自分の信じる正義と民の幸福のために戦って……。大衆は俺を支持したさ。俺の理詰めの演説、美辞麗句に酔って毎日大騒ぎしたさ。人の権利だ、幸せだ、革命だと良識者ぶって叫びまくったさ」


 でもそれが何だ? レヒトは鼻をすすり、首を激しく振った。


「俺がヴァイス達に力づくで拘束こうそくされ、政府の裁判官に裁かれたとたん、大衆はそれまで怒鳴り散らしていた言論を放棄して、知らん顔をしやがった。あげく俺に洗脳されてただの、だまされただの言いたいほうだいだ。

 連邦法じゃ、現職の法曹ほうそうを逮捕することも、裁判にかけることも禁じている。法に触れているのは政府の連中の方なのに……それを指摘してきするやつは、誰一人いなかったんだ」


「……」


「この国はもう駄目だめなんだよ、シュトロ。国民だって救いようがねえ。完全に受け身なんだ。誰かがえらそうなことを言ってりゃ、そうだそうだと賛同さんどうして、それでしまいだ。その『先』を考えようとしねえ。与えられた『理』をただ受け入れて、乗り換えて……善悪を自分で判断できねえやつらばっかりだ。

 ……お前がどんなに村人に良くしてやったところで、やつらはお前が力をなくしたとたんに裏切るぞ。善悪を判断できねえってことは、義理も道理もわきまえねえってことだ。お前は見捨てられ、誰よりもみじめな死に方をする」


 レヒトが、わずかにシュトロを振り返った。


「自分のことだけを考えろ。親も兄弟もかまうな、お前だけが幸せになれば良い。それは決して悪いことじゃねえ…………自分だけ……自分だけでも、幸せになれば良いじゃねえか……」


「……レヒト、あんた……大衆に絶望していたのなら、なんで俺を助けたんだ? なんで知恵をさずけてくれた?」


「さあな……大衆という『群』には絶望したが……寒村ではな垂らしてるガキの『個』には、希望を見たかったのかもしれねえ。個人レベルでなら、この国に知性の芽が残ってるって、信じたかったのかもしれねえ」


 レヒトは小さく笑うと、それっきり一言も口をかなかった。


 ただ地面を見つめ、沈黙し続ける彼に、シュトロはなぜだかひどく悲しい気持ちになって小さく「ごめんな」と謝り、その場を去った。




 次の日、シュトロがアナグマの巣穴に戻った時、レヒトの姿はなかった。


 何も言わず、何も残さず、三人目のレヒトは、シュトロの前から、消えてしまった。

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