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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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三十六話 『足掻き 前編』

 奴隷は、自分が奴隷であることを知らぬほうが幸せなのだと、とある国の詩人はうたう。


 生活の貧しさも、人としての自由と尊厳そんげん欠乏けつぼうも、それを認識できなければ致命的な苦痛にはならない。


 豊かさを知らず、自由を知らず、尊厳が傷つけられている事態にすら気付けなければ――人は地獄の毎日を、『そういうものだ』と過ごし続けることができる。


 それは無知による幸福。持たざる者のゆがんだ強さだ。レヒトはそれらを、シュトロから永久に奪ったのだ。


 自分には何もない。唯一無二ゆいいつむにの名前も、社会における人格も、すべてが国によって、政府によって奪われている。


 そのことに気づいてしまったシュトロには、世界が今まで以上に暗く、絶望に染まって見えた。


 脱出したい。そう泣きながらに言ったシュトロに、レヒトは待ってましたとばかりに指令を出した。


「まずは何をするにも、行動を起こすための体力づくりをしなきゃ話にならねえ。そのガリガリの体に肉をつけるんだ」


「でも、余分な食い物なんかねえよ。村人の食事はわらのパンだけって決まってるし、支給される数も役人が決めてるから動かしようがねえ」


「シュトロよ。わらってのは本来人間には消化できないものなんだ。腹の足しにはなるかも知れねえが、わらだけで人体を維持いじすることはできねえ。だったらお前ら村人は、わらパン以外にもどっかで栄養を摂取せっしゅしているはずなんだ。覚えはねえか?」


 レヒトの指摘に、シュトロは少し考えてから、小さく「労働の種」と答えた。


 村には食糧として毎月、調理済みのわらのパンが詰まった木箱が労働監視官の詰める役場から送られてくる。木箱は各家庭に配られ、村人各人の判断で消費されるわけだが……これらの木箱の中に、ひとつだけ黒いツルハシのマークの入った大箱が混じっていた。


 長老の手によって村の中央広場に設置されるこの大箱には、労働の種と呼ばれるどす黒い丸薬が入っていた。それは見た目も大きさも馬糞ばふんに似た悪臭を放つかたまりで、村人は一日の労働を始める前にこの丸薬を一人一つずつ服用することが許されていた。


 体に力をつけ、疫病えきびょうを防ぐとの話だったが、その見た目の悪さとあまりの味のひどさに村人の多くは一個まるごとを口に入れることができず、半分に割ってみ込んだり、一口だけかじって地面に転がしたりしていた。


 レヒトは話を聞き、すぐに「間違いねえ」とひざを打った。


「その労働の種がお前らの本当の栄養源だ。民を反乱を起こさない程度に弱らせ、しかし労働はこなせる程度に生かすための丸薬。反乱の(・・・)種にならざる労働の(・・・)種だ。政府の連中が考えそうな名前だぜ」


「えぐくて、しおっからくて、大人もだいたい食べきれずに残してるよ。長老の娘が毎朝箱の周りに散らばった食べ残しを掃除してらあ」


「えぐいのはともかく、塩からいのは本当に塩を混ぜ込んでるからだろうな。人間の筋肉は塩分がないと動かねえ。他にも肉体を維持するために必要なものが入ってるはずだが……俺なら食肉を加工する時に出る皮下脂肪や、内臓をでてきざんで混ぜ込むな。

 獣の内臓は不浄とされてて誰も食いたがらねえから、市場には流れねえんだ。他にも果物の皮や種なんかもすり潰して混ぜちまえば、栄養満点さ。全部団子にして天日干てんぴぼしにすりゃ、労働の種になるのかも知れねえな」


「…………俺達の胃は、ゴミ箱かよ」


 くちびるむシュトロに、レヒトは「おおよ」と、悪びれもせずに笑う。


わらも、内臓も、果物の皮も、全部高貴な方々が召し上がられる食い物の残りカスだ。お前らが食ってるのは人間の食い物じゃねえ、家畜のえさなんだよ。ただし、えさってのは家畜を生かせなきゃ意味がねえ。特に役畜えきちく……労役ろうえきもちいられる家畜の餌は、強い骨と筋肉を作り出すものでなきゃならねえんだ」


「強い骨と、筋肉……」


「シュトロ。お前、今日から残飯ざんぱんあされ」


 目をくシュトロに、レヒトは「当たりめぇだろぉ?」と眉根まゆねせた。


「この話の流れで、他にどんな結論がみちびき出されるってんだ? 労働の種は栄養のかたまりなんだよ。それを他の村人が毎朝どっさり残してるってんなら、お前が全部(いただ)いちまえばいいんだよ」


「お前……! 食ったことないからそんなこと言えんだ! あれ本当に信じられないぐらいまずいんだぞ! 一口かじっただけで口の中がクソめみたいになるし、み込むとのどがざらざらするし! 一個全部食っただけでもどしちまう……」


「うるせえ! 吐いてもいいからやるんだよ!」


 突然声をあらげたレヒトに、シュトロはますます目を見開く。レヒトがシュトロを寄生蝿の穴の空いた手で指さした。


「お前、俺が労働の種のこと教えてやらなかったらどうしてた? 消化できねえわらパンばっかり食って、せっかくの栄養源を他の連中と同じようにかじり捨ててたろ? そんで大人になってもガリガリのせっぽちのままで、栄養不足の脳ミソで惰性だせいで体引きずって立派に制度の歯車をまっとうしてたはずだ。

 お前が今(いだ)いてる不安も、怒りも、憎悪ぞうおも、全部俺が与えてやったもんだ。この国が間違ってることも、お前に幸せになる権利があることも、全部俺が教えてやったことじゃねえか。だったら俺が差し出す救いの手をこばむんじゃねえよ」


「レヒト……てめえ……!」


「お前は人間じゃねえ。まだ(・・)人間じゃねえんだ。自分で考えて、自分で決断して、自分の意志で善を選び悪をこばめるやつだけが人間だ。

 人間になるまでは、俺に従ってもらう。いやなら今すぐ村に帰って、思考を放棄した家畜に戻りな。俺もお前のことは全部忘れて、空と川に話しかける日々に帰るさ」


 レヒトはそれから、目を血走らせたシュトロがやがて自分に屈服してこうべを垂れるまで、長い時間を、石のように座し続けた。

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