三十五話 『歯車』
ぽかんと口を開けるシュトロに、レヒトは汚れ果てた、かつては役人の制服だったという泥色の布切れをいじりながら続けた。
「連邦政府は、連邦内に存在する全ての国民を労働力として管理しているんだ。国民は産まれたその日に『用途』を定められ、以降の人生を何に捧げるかを国から宣告される。これがお前の『二十五人目のシュトローマン』って呼び名の『シュトローマン』の部分だ」
レヒトがアナグマの巣穴を振り返り、そのすぐそばに立っている一体のカカシを睨みつけた。
シュトロが毎日、村中を回って手入れをしている、藁とボロでできた害獣よけの人形。村人が育てている麦や家畜を守るために設置された命なき守り人の修繕と管理こそが、シュトロに課せられた日々の労働だった。
野良仕事や鉱山の採掘に比べれば楽な仕事だと言われるが、野ざらしのカカシはちょっとしたことですぐに破損する上、カラスや狼や、熊に攻撃されて破壊されることも少なくなかった。
立っているはずのカカシが倒れていて、麦や家畜が害獣に荒らされたなら、その責任はシュトロが取らなければならない。労働監視官の所に引っ立てられて、平たい木の棒でさんざんに打ちすえられ、ひどい時は爪の中に真っ赤に焼けた針を打ち込まれることもあった。
シュトロは、それこそ自分の体調以上にカカシ達の状態に気を配り、大雨や嵐の日には家にも帰らず夜通しカカシを護衛した。すべてのカカシが五体満足で地に立っていること。それがシュトロが身を脅かされないための、絶対条件だった。
そんな境遇は、確かにシュトロが自分の人生を、命を、カカシの管理に捧げているとも言える。シュトロはこれから死ぬまで村のカカシを守り続けていかねばならぬのだ。それが国がシュトロに課した、生き方だった。
「シュトローマンってのはな、中央管区の古い言葉で、カカシって意味だ。シュトローは『藁』、マンは『男』……つなげて藁男。カカシは、藁でできてるからな」
「じゃあ、二十五人目ってのは」
「国内でカカシの管理業務に従事する、二十五人目の人間ってことさ。ルイン連邦では、何の仕事にどれほどの人間が従事するかを常に規定し、把握している。麦作りには二十万人、家畜の世話には十万人って具合にな。そしてその人数枠の中に国民を放り込んでいくんだ。こいつは麦作り班の十人目枠、こいつは畜産班の二百五十人目枠……そうやって連邦政府の『労働力リスト』の中に、俺達の名前は番号つきであまさず載せられるってことさ」
レヒトが、シュトロを睨め上げるように見た。
顔に静かな怒りを浮かべながら「ふざけた話だよな」と、噛みしめるように言う。
「二十五人目のシュトローマン(カカシ)、八十人目のフライシュ(食肉)、三百二十人目のヴァイゼン(麦)。どれもこれも、人間の名前じゃねえ。そいつが国に何をもたらすか、何を作り出して、何を納めるか。……何に『換わる』かしか考えてねえ呼び名だ。だから二十五人目のシュトローマンが明日突然死んじまったら、その後釜にすぐ別の赤ん坊が据えられて、国のリストに載るんだ。以降はその赤ん坊が二十五人目のシュトローマンを名乗り、お前の代わりに働くんだ」
「……それじゃ、俺が生きた証は何一つ残らねえじゃねえか! 名前も、仕事も、別の人間が引き継ぐんなら、俺は一体何のために……」
「だから言ったろ。国は国民を労働力として管理してるって。人格を認めちゃいねえのさ」
お前はただの歯車だ。名もない、交換可能な、国という制度を生かすための部品に過ぎないんだ。
残酷に言い放つレヒトに、シュトロはしばらく言葉を返せなかった。苦難の日々の中でも、少なくとも自分が流した汗と、なし遂げた仕事ぐらいは誇っても良いものだと思っていた。
金ももらわず、誰にもほめられず、それでも懸命に従事した労働の成果。立派に大地に立ち、村を守り、害獣をはねのけるカカシの群は、シュトロという人間抜きには存在し得なかったはずだ。ならばこそ、こいつらは俺がつくろって、藁を差し換えて、責任をもって管理しているのだと。胸を張る権利があるはずだと思っていた。
だがそれらの労働があくまで『二十五人目のシュトローマン』のものとされるのならば、シュトロの成果は彼の死後、別の人間にかすめ取られてしまう。
レヒトの話を信じるならば、そういうことだ。同じ名の人間が同じ村で、同じカカシを管理するのだ。国は二十五人目のシュトローマンが何人いたかなど、どの時点で入れ替わったかなど、問題にはしない。
二十五人目のシュトローマンという『役目』を負う人間が、現時点で存在しているか。きちんと働いているか。ただ、それだけにしか関心がないのだ。
何も残らない。
うめくシュトロが、やがて表情をゆがめたまま、つぶやくように訊いた。
「シュトローマンがカカシなら――――レヒトは、何だ――?」
あんたは、何に捧げられた人間なんだ?
レヒトは腕を組み、シュトロの目を見つめ……ややあって、鼻をすすりながら、答えた。
「『法』。あるいは法にともなう『正義』さ」