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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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三十四話 『三人目のレヒト』

 ルイン連邦。かつては別々の国だった八つの管区かんくから成る複合国家。


 その最東端、第五管区の寒村に生まれたシュトロは、この世に産み落とされた瞬間から国家のための労働を課せられた。


 それはシュトロに限った話ではなく、ルイン連邦で生まれる赤ん坊の実に九割が同じ処遇を受ける。国民の出産に必ず立ち会う『労働監視官』が、産まれたばかりの赤ん坊を小さな国民服にくるみ、各管区にある新生児専用の収容所に連れて行くのだ。


 赤ん坊はそこで三年を過ごし、歩行と思考が可能になるまで育てられる。その間、連邦法に定められた最も軽い労働に従事し、国家にこの世に産まれることを許可してもらった恩を返すのだ。


 赤ん坊の労働。それはルイン連邦に生息する『ギチカ』という名の、寄生(ばえ)の飼育だ。


 ギチカは哺乳類の皮膚に穴を空け、その中に卵を産みつける。卵は半月ほどでかえり、それから少しずつ宿主の肉をみ、成長するのだ。


 ギチカが成虫になり、人体から出て行くまでの期間は、ちょうど二年から三年だ。ルイン連邦の新生児達は腕や足に産み付けられたギチカが巣立つのを合図に、ようやく生家へと返される。


 ギチカはおぞましい寄生虫だが、その羽は七色の美しい光をび、宝石の一種として取引されている。いわば収容所における赤ん坊の滞在たいざい費が、ギチカの羽で支払われているのだ。


 赤ん坊の収容所行きは国民としての義務だが、親がギチカの羽と同等の金銭をおさめることで免除めんじょされる。しかし一般的なルイン連邦民は、金銭を持つこと自体が許されていない。国家役人や政府関係者、あるいは超法規的な例外的措置で金銭の所持を認められたごく一部の人々の子供だけが、寄生蝿の穴の空いていない体で育つことができる。


 シュトロの両足にも豆つぶほどの大きさの穴が空いている。右のふくらはぎと、左のかかと……ギチカに空けられた穴は、一生ふさがることがない。


 おぞましい寄生虫に食われて育ったあかしを、ずっと(かか)えて生きていかねばならないのだ。


 だが国民は、自分や自分の子供達にそんな残酷な仕打ちをする国家を、その体制を受け入れていた。


 それはルイン連邦という国が、実に何百年にも渡って作り上げてきた独自の価値観、国民性の賜物たまものだった。


 ルイン連邦民は、労働を行う者だけが生きる資格をると考えている。労働は国家に益をもたらす唯一ゆいいつの行為であり、人間が国に存在するただひとつのゆえんであると考えている。


 赤ん坊だろうが老人だろうが、健康な者だろうが病人だろうが、働いている者だけが生きることを許されるのだ。労働こそが生の条件であり、労働を行えなくなった者に生きる資格はない。


 ならばこそ、本来ならば一切の労働ができぬ赤ん坊時代に国家にえきをもたらす手段を用意してくれた政府には、感謝こそすれ、憎悪ぞうおを向けるはずもない。


 寄生蝿の埋め込みは、労働力を発揮できない弱者への救済なのだと。国民の多くがそう考え、常識として語っていた。


 ……そんな環境で育った少年シュトロが、おさない頭で漠然ばくぜんとでも世のり方に違和感を覚えることができたのは、ある一人の男と出会ったからだ。


 他の国民がこぞってとする価値観に、背を向ける者。


 狂人、犯罪者とそしられてなお、ルイン連邦の地に立ち続けた人物。


 村のはずれにある、古いアナグマの巣穴にまさに獣同然に住み着いていた男は、名を『三人目のレヒト』と言った。


 村の出身者ではなく、連邦の中央管区……行政機能の集中する都から追放されて流れてきた、元役人の男とのことだった。


 三人目のレヒトは、労働を生存の絶対条件とするルイン連邦において、一切の労働義務を放棄していた。


 日がな一日空や川をながめていたり、地面にわけの分からない文章をきざみ付けていたり、大声で下手へたな歌を歌ったりしていた。


 当然村人達は彼を軽蔑けいべつし、国の所有物であるアナグマの古巣に勝手に住んでいることや、バッタや蜻蛉とんぼを捕らえて食ったり、雨水を口にためてうがいをしたことを役人に通報した。


 三人目のレヒトはそのたびに収容所に連行され、罰金を寄生蝿ギチカの卵を埋め込まれることで払っていたが、釈放しゃくほうされるとまた同じ場所に住み始め、同じ行為こういを繰り返した。


 頭のてっぺんからつま先まで、寄生蝿に空けられた穴でぼこぼこになってゆく彼の姿を見て、村人達も次第しだいに軽蔑よりも恐れの感情を強くいだくようになり、積極的に通報をおこなわなくなった。


 いずれ堪忍袋かんにんぶくろが切れた役人達が、彼をより重い罪で裁くだろう。そう考え、三人目のレヒトから距離を置いた。


 だが、シュトロだけはそうはいかなかった。なぜならかの男が住んでいる場所は、シュトロが一年中、毎日回らねばならぬ『仕事場』のひとつだったからだ。


 三歳の夏に新生児収容所でのつとめを終えたシュトロは、それからすぐに別の仕事にかされた。それはシュトロが一生続けていく、国家が指定した労働で、村の各所を巡回じゅんかいしながら行うたぐいのものだった。


 シュトロが自分に課せられた労働を遂行すいこうするためには、どうしても三人目のレヒトに近づかねばならなかった。そしてシュトロが仕事道具を持ってアナグマの古巣のそばに行くと、三人目のレヒトはまるでシュトロが自分をたずねてきたかのような態度で、うやうやしく巣穴からい出てきて、地べたに座してみせるのだ。


 次の瞬間には、働くシュトロの姿を目で追いながら『講義』を始める。役人だったころ多くの部下を指導していたという彼はえんもゆかりもない子供を相手取り、やれ世界の成り立ちだのルイン連邦の歴史だの、森羅万象しんらばんしょうことわりだのを一方的にしゃべくった。


 最初は仕事の邪魔だと耳をふさいでいたシュトロも、しかし三人目のレヒトのしゃべる内容のあまりのはば広さ、物珍しさに次第しだいに興味を持った。


 村一番の物知りと言われていた長老よりも、三人目のレヒトの方がはるかに多くのことを知っていた。


 一日をひたすら労働についやすがゆえに知識を得る機会などほとんどなかったシュトロにとって、かつて国の中枢ちゅうすうで働いていた男の言葉は刺激的で、驚きに満ちていた。


 やがて三人目のレヒトの講義は、シュトロの日々の一番の楽しみにまでなった。


 無数に回らねばならぬ仕事場の中で、アナグマの巣穴を最後に回り、ゆっくりと日が暮れるまで知識の声に耳をかたむけた。


 シュトロはおもに外国の伝説やおとぎ話、おそらく一生目にすることはないであろう中央管区の風景や人々の暮らしぶりを好んで知りたがったが、三人目のレヒトはより学問的なことを多く教えようとした。社会や法律や、国家の仕組み。善悪の観念から、人間存在自体の理解まで。


 まだおさないシュトロが難し過ぎると文句を言うと、三人目のレヒト――当時シュトロはすでにより短く、レヒトと呼んでいたが――彼は穴だらけの顔をぴくりともさせずに、こう言った。


「難しいことを知らないと、人は幸せにはなれねえんだ。特に国が民の敵に回っている状況じゃ、無知は死にあたいする罪悪になる」


「……国が民の敵……?」


「そら、もう無知をさらしてるじゃねえか。お前まさかクソ役人どもの『政府は民を庇護ひごしている』なんて戯言たわごとを真に受けてんじゃねえだろうな。着る物も食う物もろくにねえ、産まれたての赤ん坊から死にかけの年寄りまで働かせておいて、できた金を食糧しょくりょうでなく橋や建物や、鉄や武器、傭兵ようへいにつぎ込んじまう。そんな馬鹿で愚劣な政府が、民の敵でなくてなんだってんだ」


 レヒトはことあるごとに、ルイン連邦政府を声もひそめずに堂々とののしった。


 そのたびにシュトロはレヒトのそばから飛び退き、懸命けんめいに仕事道具をいじり、まるでレヒトが一人でわめいているかのように無関係をよそおう。その様子にレヒトはさらに機嫌をそこね、舌に毒をのせるのだ。


 レヒトが役人の身分を剥奪はくだつされ、中央管区から追放されたのは、彼が連邦政府上層部に『危険思想を有した罪』と『国家転覆(てんぷく)くわだてた罪』で告発されたからだと聞いたことがあった。


 当時のシュトロにはそれがどんな罪状なのか分からなかったが、まがりなりにも都の役人だった男が辺境へんきょうの村人以下の生活にとされるほどの、とにかく想像もつかないほどの重い罪なのだということは、漠然ばくぜんとだが理解していた。


 狂人。犯罪者。そんな男と親しくしているところを見られでもしたら、まして政府の悪口を言い合っているとでも思われたなら、シュトロの身にもどんなわざわいが降りかかるか分かったものではなかった。


 知識を得る喜びのために、危ない橋を渡っている自覚はあった。本来ならレヒトのような男とは一切口をかぬのが賢明けんめいなのだろうとも思った。


 だがなげかわしくも、シュトロの生活からレヒトとの会話を抜いてしまえば、喜びなどというものは何一つ残らなかった。


 朝は真っ暗な内から起き出して、わらの粉でできたまずいパンとも呼べぬパンを口に放り込み、水ばかりで胃を満たして家族別々の仕事場に向かう。後はひたすらに働き、日が暮れてからまたわらを食って寝る。それだけだ。


 村人はみんな疲れ果てていて、めったに言葉を交わさない。唯一ゆいいつ十日に一度休日をもらえる長老一家ですら、その休日以外はむっつり黙って口を開かないのだ。


 労働をしないレヒトだけが、無限に言葉を吐き、知識を与えてくれる。レヒトだけがシュトロの情緒じょうちょに働きかけてくれるのだ。


 シュトロはいつしか、レヒトを親兄弟よりもしたっている自分に気づいた。自分に真に好ましいものを与えてくれるのは、いつもレヒトただ一人だったのだ。


 ある時そのことを告白すると、レヒトはまゆひとつ動かさず、さも当然だというふうにうなずいて見せた。


「俺は中央管区じゃ人気者だったからな。それこそ千を超えようという群衆が、俺の言葉を聞きたがって屋敷に押しかけたもんさ。お前がれちまうのも無理はねえよ」


「そんなに人気があったのに、なんで転落しちまったんだよ、あんた」


 シュトロがすっかりレヒトのそれに感化された口調でくと、レヒトは「バッカヤロー」と穴の空いたくちびるをゆがめ、いまいましげに答えた。


「人気があったから危険視されて、落とされたんじゃねえか。おめえ俺を誰だと思ってんだ。三人目のレヒトだぞ。二十五人目のシュトローマンとはわけが違うんだぞ」


「……それもよく分からねえんだよな。俺、なんで二十五人目のシュトローマンなんて変な名前なんだろう。他のみんなも八十人目のフライシュとか、三百二十人目のヴァイゼンとか……親父もおふくろも『いずれ分かる日が来る』とか言って教えてくれねえしさ。この国の人間の名前って、なんかおかしいよな」


 シュトロの言葉に、レヒトはふっと表情を消し……少し間を開けてから、再び「バッカヤロー」と、低くうなった。


「だから難しいことを知らないと、幸せになれねえってんだ。この国がどんだけ異常か、まだ全然分かってねえんだよ、お前」


「え?」


「二十五人目のシュトローマンなんてのはな、俺に言わせりゃ、『名前』なんかじゃねえよ」


 レヒトの赤茶色の目が、異様な光を宿した。



「『番号』さ。二十五人目も、シュトローマンも、記号でしかねえ。お前個人の人格を指す言葉なんかじゃねえんだよ」

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