二十九話 『錆咎』
猛火のような罵詈の嵐。聖殿に集った男達のほぼ全員が、サビトガに怒りと非難の声をぶつけていた。
えらそうなことを言っておいて、結局は己の汚れ仕事を繕いたいだけではないか。処刑の罪悪をごまかしたいがために国王の威を借りるとは不届き千万。恥を知るが良い。
――だが、本来彼らにそんなことを言う資格はないのだ。
国の法としきたり、国王の遺志と尊厳を踏みにじろうとしている彼らは、国士としても国民としてもその要件を満たしていない。サビトガの発言は確かにこの場において不適切ではあったが、それを堂々と糾弾していい者などこの部屋には一人もいなかった。
犯罪者。反逆者。そんな連中に指さされるサビトガは己のうかつさに歯噛みし、自分を見上げるミテン王子に視線を返した。王子はすでに勝ち誇った表情を浮かべていて、敗者に慈悲の言葉を贈るように、優しげな声を出す。
「処刑人。そもそもお前ごときが演説をぶち、この朕の是非を問うことなど、どだい無理な話だったのだ。この場にいる者達はみな全てを覚悟の上で朕につき従っている。朕が国王にならねば、己が破滅も必至ゆえに」
「……数で法を打ち倒し、玉座を強奪する気か……法治国家パージ・グナも、今日までか」
「人治国家こそが朕の理想だ。その実現のため、お前にも働いてもらう」
眉根を寄せるサビトガの顔を、ミテン王子が覗き込む。
「お前のような小役人をなぜ朕がわざわざこの場に呼び、仲間に引き入れようとしていると思う? 物体としての玉座を手に入れるだけならば、王宮の兵を束ねる近衛兵長がいればそれで済む。だが、それでは駄目なのだ。真に玉座を手にするということは、人の心を屈服させるということだ。すなわち、民の心を」
「……あなたの器では民を心酔させることはできない」
「だからお前を使うのだよ。偉大な先王の処刑人。法の究極の手先。その刃で民の心を萎縮させ、刈り取るのだ」
我が統治は恐怖によるもの。死と刃によって推し進めるもの。
目を血走らせるサビトガに、ミテン王子は裂けんばかりに口角をつり上げる。いつしか猛り狂っていた反逆者達の声もやみ、ほのかな恥辱と不安の気配が漂ってきた。
「この国で最も民に恐れられているのは、兵士でもなければ賊でもなく、まして王でもない。人間の肉体を切り刻み死に至らしめることだけを生業とする、王室処刑人だ。その残虐でむごたらしい所業に大人も子供も、善人も悪人も震え上がり、魂の底から恐怖する。お前はパージ・グナにおける、最も具体的な恐怖の象徴なのだ。それが朕の命に従うとなれば、民は理屈より先に感情でミテン国王が誕生したことを理解する」
「……」
「他の王子を全員処刑してもらいたい」
大きく全身を震わせたサビトガを、数人の男達がとっさにつかまえた。太い血管の浮き出たそのこぶしを、ミテン王子が人さし指で無造作になでる。
「今まで誰も見たことのない処刑法が良い。この手で全身の皮を剥ぐというのはどうだ? 素手で人間を解体するのは良い『宣伝』になる。朕をおびやかす者がどういう末路をたどるのか、広く国民に知らせることができる。その後剥いだ皮を塩漬けにして、王子の母親達に食わせよう。その光景は伝説となり、朕の威光を未来永劫残すはずだ」
「自分でやってみろ!」
「馬鹿が。朕の繊細な神経でそんなまねができるか。心の腐れきった貴様と一緒にするな」
骨が鳴るほどにこぶしを握りしめるサビトガに、ミテン王子はため息をつく。「朕の温情が分からぬとはなあ」と、くるりと背を向けた。
「仲の良いシブキ王子が、粗野な兵士達によってたかってなぶり殺しにされるのを見るよりは、己が手で介錯してやった方がどれほど気が楽か。その権利をくれてやろうと言うのに、まったく残念なことだな。……なあ、処刑人。何度も言わせるな。朕はお前を正当に評価しているからこそ、この大任を負わせようとしているのだぞ。お前の価値を真に理解している王族は、お前が真に崇めるべき主人は、このミテン王子をおいて他にはないのだ。それがなぜ分からんか」
「俺の名を言ってみろ」
ぴくりと、ミテン王子の肩が震えた。
わずかに振り返る王子に、サビトガは彼を一切信用していない獣の目で続ける。
「正当に評価している処刑人の名を、はっきりと口に出して言ってみろ。『お前』や『処刑人』ではなく、個人を指す名前で呼んでみろ」
「…………」
「名も覚えていないような相手を、なぜ真に理解していると言えるのだ。王の言葉としてはあまりに重みに欠ける。軽薄だ」
「シブキは呼んでくれるのか? 貴様の下賎な名を」
ミテン王子が小動物のように素早く振り向き、サビトガの顔に人さし指を突きつけた。鮫のような暗黒の目に、処刑人の貌が映る。
「ここまで来てなぜ朕に刃向かうのだ。処刑人ごときに命に値する矜持があるとでも言うのか。いったい、何のための反抗だ」
「我が名は亡き国王陛下から賜りし刃に故をおく『言霊』」
サビトガの見開かれた目が、ミテン王子のそれに迫る。
「処刑槍につらぬかれた罪人の血が、刃に残り錆となる。錆を裁いた咎(罪)の数だけ刻み、数え続け記憶するが我が使命。……咎なき者の錆を、あえて生むことはない」
それが我が名の矜持だ。
サビトガの言葉に、ミテン王子は顔中に細い亀裂を、血管の形を刻み、やがて獣のような声を、聖殿に響かせた。