二十七話 『かつてのこと』
半年前。サビトガは祖国パージ・グナの王宮で、一人の男に不意に肩をつかまれた。
男の名はミテンといい、つい先日病によって崩御された国王の、五人の王子の一人だった。
サビトガはすぐさまミテン王子に向き直り、ひざをついて平伏した。その日は軍が三年追い続けた大物の盗賊の処刑日で、サビトガの体には盗賊の血が頭からつま先までべったりとこびりついていた。
ミテン王子はそんなサビトガを触ったせいで汚れた手を、引き連れた家臣達に絹で拭かせる。大きく弧を描く口が、かさりと唇のこすれる音を立てた。
「お前は軍の出だと聞いたが、まことか?」
サビトガはわずかに頭を上げ、ミテン王子を見る。御歳二十二になられる王子は、女物の化粧で顔面を真っ白に塗っていた。その化粧粉の奥に女の接吻の痕跡を見つけるや、サビトガは嫌悪が顔に出る前に再び面を下げ、声を張った。
「孤児院の少年兵教育を受けた後、八年従軍しました。クラトカンの戦いで運良く敵将の首を取り、亡き国王陛下に王室処刑人のお役目を頂きました」
「ほう、ではあのマガンザラの将軍を殺した雑兵というのが、お前か。混戦の中無数の矢を受けた将軍に背中からとどめを刺したそうだな。……つまりは、手柄の総取りか」
上手くやったものだ。そう笑うミテン王子に、サビトガは目を閉じてひそかに嘆息した。
王族というのはいつもこうだ。戦場で雑兵が一秒間に何人死に、どんな顔をしてどんな声を上げて戦うのか微塵も知らぬくせに、結果だけを見て兵士を非難する。
馬も与えられていない歩兵が騎馬や戦車の陣に突進し、数だけを武器に死にながら敵の首を狙う。そこにはもはや名誉欲などない。四方から迫る死の気配にあえぎながら、ひたすらに刃の行き先を定めるだけだ。己が生き残るために。あるいは生きた証として敵を道連れにするために。ただそれだけのために。
そんな状況で目の前に敵の将軍が現れたなら、そいつが矢を受けていようが、背を向けて逃げ出していようが、知ったことではない。手にした刃を突き込み、殺すだけだ。殺さなくてどうする。
そうしてたまたまサビトガが敵将の首を取り、たまたま敵軍が撤退し、たまたま仲間達に英雄視されて持ち上げられた。それだけのことだ。戦後に卑怯な『背中刺し』などと非難されるいわれはない。
だが、亡き国王がサビトガを武官としてではなく、処刑人などという汚れ役として取り立てたのにも、きっと何らかの侮蔑的な意図があったに違いないのだ。
王がそういう考え方をするなら、当然家臣も王子もそれにならうだろう。本当の戦場を知る者以外は……あるいは、真に聡明な、稀有な王族以外は……。
「朕の弟のシブキと仲が良いそうだな。処刑人」
ミテン王子が自身を朕と称したことに、サビトガはかっと目を見開き、平伏の姿勢を解いた。立ち上がり、王子と取り巻きを真正面から睨む。
「朕とは国王のみが使うことを許される自称。恐れながら今、ミテン王子様がそれを口にされるは、未だ喪中にあらせられる先王様の御霊への不敬に当たりまする」
「身分をわきまえよ! 処刑人!」
笑顔を崩さぬミテン王子のわきから、国軍長官が先ほど王子の手を拭いた絹を投げつけてきた。丸められた絹がサビトガの眉間に当たり、床に落ちる。
「いかにも処刑人にございますれば」と、サビトガは十人を越える王子の取り巻き達に血走った目を向けた。
「国王の座にあらずして国王のごとく振る舞う人物には平伏できませぬ。己を任命した王と法に従うが王室処刑人の務め。それは武官文官の方々も同じはず」
「賢しげな口を利きおって……『背中刺し』が!」
「まあ待て、待て。そう深刻ぶるな」
ミテン王子が両手を広げ、サビトガと取り巻き達を交互に見た。
福々しげに笑ってはいるが、その目は鮫のようにどす黒い。黒目が人並み外れて大きいのがこの王子の生来の特徴だった。彼が少しでもまぶたをゆがめれば、白目は隠れ両の眼が真っ黒に染まる。
医者は将来必ず視力に異常をきたす、ゆえに王位につくことは難しいと診断したが、ミテン王子には今の所そんな気配はない。漆黒の双眸が、血まみれのサビトガを三日月の形で見上げる。
「お前のそういった自身の役目に忠実なところも、朕は深く評価しているぞ、処刑人。だがこの自称を撤回するわけにはいかぬ。なにしろ父上亡き後この国をまとめることができる王子は、このミテンをおいて他におらぬでな」
「それを決めるのはあなた様ではありません」
「では誰が決める? 五人の王妃と五人の王子が今のパージ・グナの頂点なのだ。どの母子も例外なく王位を望むだろう……ならば実力での取り合い以外に、王座の所有者を決める手立てはない」
そしてこのミテン王子こそが、最も家臣の信望厚き人物なのだ。
そう言い切る相手の顔を、サビトガは陶器のあご骨の奥からカミソリのような目で見た。
暗愚の相。他に称しようのない顔だった。骨格の形や生来の黒目の大きさの問題ではない。王子として父王の喪中に取るべき最低限の威厳ある態度すら示さぬ、その器の小ささ、おごりたかぶった性根が、表情のゆがみとして表れている。
そして嘆くべきは、その暗愚の相は他の四人の王子のほぼ全員にも見て取れるのだ。次の王座を狙い、父王の家臣達を一人でも多く抱え込もうと時期もわきまえず金をばらまき、奔走する王家の子供達。母親達。
静かに部屋にこもり、王の御霊をなぐさめているのはたった一組の母子だけ。
サビトガに己の首を落とすよう頼んだシブキ王子と、その母君だけだ。
ミテン王子はサビトガの肩に手を伸ばし、ぽん、と一度叩いた。弧を描いていた目が、ゆっくりと腐ったくるみの真っ黒な実のように、まん丸に見開かれていく。
「来い。ともに父上のなきがらに手を合わせ、今後のことを考えようではないか。そのままの格好で構わぬ……朕はお前を必要としている。先の世の、忠臣の一人としてな」
ミテン王子が歩き出し、サビトガの横を通り過ぎる。
サビトガは自分の周囲を固めてくる王子の取り巻き達を一人一人睨みつけてから、やがて踵を返し、暗愚の後を追った。




