十八話 『来訪』
「密偵班より報告いたします。元老院制圧の件ですが、王都民への通達が無事完了しました。反応は、今のところありません。興味がないというのが正直なところでしょう」
「元老院を罰したことで、同じく貴族の子弟が多く所属する騎士団内から不満が噴出するかと思われましたが、こちらも現状、そのような気配はありません。
ガロル戦士団長に殺害された元老院議長の息子、ライデ・ハルバトス騎士団副長が、父の非を全面的に認めルキナ様への謝罪と忠誠の再宣誓をしたことが大きかったようです」
「いやいや、別にハルバトス殿の再宣誓がなくとも、我々騎士団はガロル殿のお味方でしたぞ」
「しかり。そもそも元老院は今回の戦争で国王や兵団の足を引っ張り、敗戦の苦難を招いた元凶とも言える組織。国民に対する求心力はとっくに地に落ち、騎士を含む身内からさえも憎悪されていました。
まして国の解体をもくろんでいたとなれば、たとえ肉親であろうと許し得ぬ裏切り者にて」
「騎士は道義と忠を重んじる国家の士、このような局面で私情に取り乱す者はおりませぬ」
「ガロル殿の英断には感服するばかりにて。いや、流石はルキナ様の懐刀。平民にしておくのはもったいないですな」
――コフィンの王城。だだっ広い会議場に集った、名だたる騎士や戦士、貴族達。
彼らの言葉を聞きながら、ルキナは兜を脱いだ騎士の装束姿で、座った椅子のひじ掛けをなでなで、目をつむって眉間にしわを寄せていた。
敗戦後のコフィンの、国としての方針を議論するこのような会議は、ルキナの日々の頭痛の種の一つだった。
参加者は毎回国内事情やスノーバ軍の動きを可能な限り調べ上げ、早急に対策を取るべき案件を議題として提出する。
だがそのどれもがあまりに深刻で、疲弊しきった王家では対応できないものがほとんどだった。
国民の生活保障に、食糧問題。入植者たる冒険者が日常的に起こす暴力事件に、略奪行為。
特にスノーバ軍の占領政策に対する交渉や抗議に関しては、スノーバの将軍がルキナ以外のコフィン人をほとんど自分の城に入れないため、他の者が直接現場で将軍の思考を推し量ったり、有効な対策を打ち出すことができなかった。
つまり、国家間の交渉は事実上ルキナが一人でやらねばならなかったのだ。
事前にみなで決めておいた主張や要求、口上も、スノーバの将軍と幹部達に総出で煙にまかれることが多かった。
ましてスノーバ人達はルキナを気安く、突然に呼び出したり連れ回したりするので、交渉の流れも何もあったものではない。
会議でいくら時間を割いて話し合っても、どうにもならなかった。
会議はいつも新しい問題ばかりを提示し、解決できないまま積み重ねる憂鬱な作業と化していた。
だから今、本来なら決して喜ばしいことではないはずのガロルの元老院制圧を、会議の参加者はどこか嬉しげに語っている。
独断行為とはいえ、元老院の暴走を止めたガロル。彼の後始末として国民に事態の説明をしてみれば、何の反応もなく、静かに受け入れられた。
裏切り者が片付き、一つの問題が解決した。問題が消えたのだ。
会議の参加者は、長らく得られなかったその結果を、快感を喜んでいるように見える。
もし、その快感を守るために、味わい続けるためにお互いにガロルの行為を許し、賞賛し、逆に元老院を貶しているのだとしたら。
この流れは、危険な兆候なのかもしれないと、ルキナは思った。
まかり間違えば人々の正常な判断力が失われ、会議のていをなさなくなるかもしれない。
そもそも山積する国の問題を継続的に処理するには、やはり純粋に知略を武器とする、専門家としての知恵者が必要なのだ。
いかに忠臣でも、武を生業とする戦士や騎士では限界がある。
父王ルガッサに仕えていた知恵者達は、国王と共に戦死したか、戦後に殉死してしまったか、あるいは他の理由で、ルキナの下には残らなかった。
さらに助言機関としての元老院が完全に王家の敵であった今、この会議を効果的に進めるためには新たな知恵者を発掘するか、さもなくば既に参席している面々が、己の立場と性分を変えるほどの意識をもって『成長』するしかない――
そんなことを考えていたルキナの耳に、ふと「ルキナ様」と、やや大きく語りかける声が響いた。
目を開くと、室内に集合した二十名あまりの男達の中、一人の若い騎士が挙手している。
ルキナはその騎士の名を呼び、発言を許すという意味で返した手の平を向けた。
騎士は手を下ろし、気力のこもった声を上げる。
「元老院関係はもういいでしょう。スノーバ側への説明はルキナ様にお任せするとして……私からは隣国セパルカとの連携の件で提案があります」
「連携? セパルカとは連携どころか、戦後全く連絡が取れていないではないか。コフィンがスノーバにただの一戦で敗れたために、国境の封鎖も早かった。
向こうはコフィンが占領されたことは知っているだろうが、最悪敵がどこの国の軍隊かも知らぬかもしれんのだぞ」
若い騎士に、別の騎士が声を向ける。
発言をさえぎられた若い騎士は特に嫌な顔もせず、小脇に抱えていた兜で相手を指しながら言う。
「その通りです。セパルカにしてみれば突然コフィンの国境警備の砦に見知らぬ装備の兵士が立ち、一方的に国交を断絶された状態です。
これまで我が国とセパルカはそれぞれの資源を定期的にやりとりしていました。コフィンは鉱石や金属加工品を、セパルカは麦や芋等の作物を相手国に送っていた。民間の商人も、数は少ないが比較的自由に、ティオリネの森を抜けて両国間を行き来していました。
それが突然コフィン側の門戸が閉ざされ、あげく国境の森を焼き払われたのです。セパルカ側は、こちらの状況を確認したがっているはずです」
「スノーバの連中はセパルカの使者を徹底的に排除していると聞く。あの無言の兵士達は外から来る者に対して刃だけを向け、何の説明もせずに追い返すのだそうだ。我々も、国境の外に出ることはできない。打つ手なしだろうが」
「ところが、国境を越えられるかもしれない人間が見つかったのです。ルキナ様、その者をこの場に入れてもよろしいでしょうか?」
座したまま話を聞いていたルキナが、騎士に向かってうなずいた。
騎士は立ち上がり、会議場の入り口に向かって「入れ!」と声を放る。
扉が開き、室内に入って来た巨大なものを見て、男達がにわかにざわめく。
それはコフィン人にとっては見慣れた、しかし今となっては貴重な、牛のように大きな乗用動物、ドゥーだった。
金色の毛皮を持つ大狐は、犬よりも野生の光を強く残した目でルキナを見る。
その口にはめられた専用のハミを素手でつかんでいるのは、かつて王城の戦士達が乗るためのドゥーを管理していた、調教師の老人だった。
会議場の真ん中に進み出て、ルキナに頭を下げる老人。
立ち上がった騎士が彼の隣に立ち、自信ありげな口調で話し始めた。
「ご存知の通り、彼はコフィン王家専属のドゥーの調教師です。スノーバによるドゥーの大量殺処分の仕返しがしたいと、自ら志願してきました」
「仕返し? 志願? おいおい、スノーバ側を無闇に刺激する計画は困るぞ」
「別にスノーバ側に危害を加えるわけじゃありません。これをごらん下さい」
騎士が調教師の老人にあごをしゃくると、調教師はドゥーのハミをつかんだまま、鞍も乗せていない獣の体にくるりと飛び乗る。
そのまま後ろ手にドゥーの背中をさぐると、突然べりっとその毛皮をはがしてしまった。
ぎょっとするルキナが身を乗り出して目をこらすと、ドゥーの背中にはちゃんと毛皮がある。どうやらあらかじめ同色の毛皮を、ドゥーの毛皮の上にはりつけてあったようだ。
調教師はドゥーの首の上で体をすべらせ、背中の中央あたりでぺたりと自分の腹をドゥーに密着させると、はがした毛皮を頭からひっかぶる。
調教師の姿は隠れ、ドゥーの背にはわずかな肉のふくらみだけが残る。
おお……と声を上げる男達に、ドゥーの横に立った騎士は笑顔を見せながら言った。
「王都で飼育されていたドゥーはほとんどが殺処分されてしまいましたが、野生のドゥーはまだこの地に生き残っています。その内の一匹が夜中にたまたま国境を越えたとしても、なんら不思議はありません」
「なるほど。ドゥーの背に潜んだ調教師にセパルカ王への手紙でも持たせれば、国家間の連絡を取ることができるということか。だが国境警備の砦からは、長大な石壁が連なっているが……」
「この子はあっしの秘蔵っ子でして。あンぐらいの壁なら、たぶん跳び越せまさあ。無理でも積んだ石の隙間に爪を引っかけてよじ登れまさあね」
毛皮にくるまったままの調教師が、おちくぼんだ目を覗かせながら答えた。
「ドゥーを手綱なしで操れるのは、はばかりながらあっしぐらいのもんで。ルキナ様がお手紙さえしたためて下されば、今晩にでも国境を越え、セパルカにたどり着いて見せやす。
王家に六代仕えさせて頂いた調教師の面目にかけて、必ずやり遂げます」
「ルキナ様。他に望みのある案はございません。セパルカには一刻も早く我が国の現状と、スノーバの『神』の脅威を報せねばならぬはず。どうか計画実行の許可を」
調教師と騎士の視線を受け、ルキナは椅子から立ち上がった。
昨日までならそばに侍るガロルに意見を求めただろうが、今は彼は別室で、裂いた口の再縫合の手術を受けている。
なにより、王家の代表として一人で立つと、彼と約束したばかりなのだ。
ルキナは調教師と騎士に手を伸ばし、努めて強い口調で言った。
「夜までにセパルカ王への書簡を用意する。だが、調教師ダカンよ、国境を越えることが不可能とみれば躊躇せず戻って来い。逆に成功したならば、セパルカに留まり時代の動きを待て。手紙にもそなたを正式な特使として扱うよう、記しておく」
「かしこまりやした。万が一スノーバ兵に捕まるようなことがあれば、書簡は破いて呑み込みます。あっしが一人で亡命を企てたことにしやすんで、姫様も口裏を合わせておくんなまし」
「……コフィン王家はお前の家族を、責任をもって保護する。王家が、存続する限り」
ルキナの言葉に、調教師が毛皮を脱ぎ捨て、ドゥーから飛び降りて平伏した。
ざわめく会議場の中、ルキナは計画の発案者である若き騎士に目を向け、言った。
「少々きわどい作戦ではあるが、成功すれば確かにセパルカとの連携の可能性も見えてくるかもしれん。よくやった」
「はっ」
「他の者もよく聞け。この会議に必要なのは、山積する問題を解決する知恵そのものよりも、自分の立場や常識すらも忘れて対策を繰り出そうとする個々人の気概だ。残念ながら我々の中には、頭脳を武器とする専門職としての知恵者はいない。
ならばこの場に集った二十名あまりの人間で、一人の、最高の知恵者に並ぶ策をなんとかひねり出す以外に道はない」
ルキナが拳を胸に当てると、何も命じられていない家臣達がいっせいに椅子から立ち上がり、起立した。
意識を、闘志を新たにする機会だ。ルキナが声を張る。
「非常識だろうと、前例がなくとも気にするな。考え得る全ての策を、案を提示せよ。使える資源は全て使い、総力をもってこの国難に立ち向かうのだ」
ルキナに応える一同の声は、壁を震わせるほどに強く、大きく響き渡った。
その時、不意に廊下からばたばたと人の気配が近づいて来た。
室内の全員の視線が集まる中、ノックもなしに扉が開け放たれ、侍女のナギが入って来る。
何ごとかと問う間もなく、ナギがルキナにこわばった表情で告げた。
「城門の前にスノーバの幹部が来ています。ルキナ様に話があると」
さっと一同の顔色が変わる。
またもやルキナをどこぞへ連れ出しに来たのか、それとも、昨夜の元老院の件を早くも聞きつけたのか。
ルキナがナギに歩み寄りながら、険しい目つきで問う。
「幹部だけか? 将軍はいないのか」
「女の幹部が、一人だけです。兵士も連れていません。……みょうなことに、馬にも乗っていません。徒歩で来たようです」
室内の面々が、たがいに顔を見合わせてざわめく。いつも仲間内で群れているスノーバの幹部がたった一人でルキナに会いに来るなど、これまでになかったことだ。
ルキナは眉を寄せながらも、ナギの隣を通り過ぎ、扉へと向かう。
「何か知らんが、ちょうど良い。元老院の件でどうせやつらとは会うつもりだったのだ……直接城門へ出て行ってやろう。連中を城に入れるのは、気に食わんしな」