二十四話 『暗闇』
やがて、何の前触れもなく、地面が平らになった。
頭上を見上げれば未だ松明の光は天井に届いてはいないが、その光の領域の先端に、うごめくプレートから垂れているらしい苔の塊がゆらゆらと揺れているのがかろうじて目視できた。
大地の震動をそのまま伝え表す、振り子のような苔。おそらくは枯れ果てるその時まで静止することはないのだろうその先から、土と岩にろ過された水がぽたぽたとしたたっている。
振り向くと、岩場から降りていた光の帯が消えていた。闇の向こうに壁や山があり、それらをへだててしまったのか。視線をめぐらせていたサビトガのひじを、少女が指先でついた。
「斜面はここで終わりだ。前方に『子宮』に続く洞窟がある。だが、踏み込む前にすることがある」
「何だ?」
「松明を捨てていく。一切の火の気を持ち込むな。洞窟の中にガスがたまっていて、炎と接触するとあたり一面が火の海になる。黒こげになりたくなければ、ここで火と決別しろ」
「暗闇の中を進むのか……」
少女が松明を投げ捨てると、サビトガ達もまたそれにならって地面に松明を投棄する。
少女が自分の麻服を留める腰紐をほどき、それを皆に握らせた。闇の中を歩くための命綱だ。
先頭に立つ少女が、松明の光の外へと出てゆく。
指をこする腰紐の動きを頼りに、サビトガ達は暗闇の中を進んだ。後ろを振り向くな、けっして紐を放すなと声を響かせる少女は、視界の利かない中を迷いなく歩いているようだった。
案の定、レッジが最後尾でひぃひぃ情けない声を出し始めた。サビトガはシュトロにレッジのそでをつかんでやるよう言い、直後にくん、と鼻を鳴らす。
いつから洞窟の中に立ち入っていたのか分からないが、空気に硫黄に似た臭いが漂っていた。少女の言っていた、可燃性のガスか。
特に注意はされなかったが、吸い込んで体に良いとも思えない。羽毛のマントの首部分を陶器の顎骨の上にまで引き上げると、前方の闇から少女が再び声を響かせた。
「サビトガ。オマエは、なぜ不死の水が欲しいんだ?」
不意にかけられた問いに、サビトガは一瞬呼吸を止めた。「そう言えば聞いてなかったなあ」と背後からシュトロの声がして、直後にまた少女の声が前方から響く。
「オマエはとても健康そうで、難病に冒されているようにも見えない。迫り来る死から逃れるために不死を欲しているようには見えない。ならば、なぜこの島に来た? 不死の水を何に使う?」
「……」
「お前の目は生に執着している半死人の目でもなければ、不死の力を野望に使おうとしてギラついている欲深者の目でもない。――答えろ。オマエの目的はなんだ? オマエはナニモノだ? サビトガ?」
四方を闇に包まれた中、少女やシュトロの声や、レッジの引きつるような吐息がうずをまくように飛び交う。音が壁に反射しているせいか、それとも他の理由ゆえか、しだいにかすかに残っていた方向感覚が狂い始めた。
浮遊感。足の裏の感覚が遠のき、地を踏みしめている実感がなくなる。時間の感覚すらあいまいになりつつあった。羽毛をすり抜けてきたガスがやはり有害で、幻惑効果でも生じさせているのかもしれない。
サビトガは手元の紐と、槍をしっかりと握りながら、もはや意味も理解できなくなった声のうずに対して、うめくように答えを返した。
「すべては塵だ。俺の正体も、戦う理由も、塵芥に等しい」
俺自身にも、とらえようがないのだ。
分からんのだ。
……声のうずが、消滅した。足は動いているが、他の一切の実感が消えた。
しばらくして、誰かが言った気がした。「難儀だな」と。
瞬間、闇に包まれていた目玉を光が刺した。
とっさに目を閉じながらも、足は止めなかった。やがて頭に熱を感じる。陽の光熱だ。
ひじを、細い指がついた。足を止め、ゆっくりと目を開けると、目の前に明るい世界に立つ少女がいた。
「『産道』を抜けたぞ。ここが『子宮』だ」
青空。草原。
うっそうとしたブナの森は景色のほんの一端にしかなく、サビトガの眼前には広大な大地が、未だ見知らぬ魔の島の姿が広がっていた。




