二十三話 『足跡の理由』
少女の言葉通り、産道の村には食料と呼べるものは一切残っていなかった。必然的に朝食はサビトガ達『異邦人側』の手持ちから出すこととなる。
とはいえ、瓶詰めのものや油紙に包まれたもの以外はすべて地底湖に沈んだ時に水びたしになってしまっていたので、食料の大半は昨夜の内に皆で食べてしまった。
今後のことを考え、朝食は瓶詰めのナッツを一人一すくいずつ取るだけにとどめた。これはレッジが剣と共に腰に下げていた、彼に残された唯一の携帯食料だ。パンとくんせい肉がたっぷり詰まった荷物袋は、クルノフに襲われた時に落としてしまったらしい。
食後には地底湖から水をくんできて煮沸消毒し、全員の水袋や水筒を満たしてから出発した。昨夜から火に当てていた衣類や荷物袋は幸運にも完璧に乾いていて、分解して地面に放置しておいたシュトロのカカシですら陽に干したかのように水気を飛ばしていた。
少女が惜しみなく、たっぷりと焚き火に枝葉をくべておいてくれたおかげだ。上機嫌に傾斜した地面を登るシュトロが、歯にはさまったナッツを舌でつつきながら少女へ声を向けた。
「最古の秘境にはどのくらいで着くんだい? けっこう歩くの?」
「昨日も言ったが、昼頃には森の地下を抜けて『子宮』に出る。そこからは地上の開けた平原だ。陽のあるうちに目的地に着くだろう」
「結構結構、大結構だね。俺達の頭の上じゃ他の探索者がえらい目に遭ってるかもしれねえってのに、こちとらガイド付きの近道とくらあ。特別待遇ってやつだな。ちっと心が痛むがよ」
ひひっ、と笑うシュトロに、少女はかなたの地面の亀裂から降りる光の帯を見上げる。
「――今、あの上には五十人以上の異邦人がいるはずだ。産道の民は年に数百人の異邦人の上陸を確認する」
「数百人! そんなに来るのかよ! 毎年か!?」
「生きて出られぬと、今まで誰も生還したことがないと聞かされてもなお、不死の水という秘宝を求めて世界中から集まって来る……そんな連中の平均生存日数は、三日だ。がんばって何ヶ月も生き残るやつもいれば、上陸の直後に死ぬやつもいる。そしてその九割が、『子宮』の手前で命を落とすのだ」
「ちょっと待て。上陸の直後に死ぬとはどういうことだ?」
口をはさむサビトガの持つ松明の火を、少女がゆっくりと振り返る。今日は少女以外の三人も、ブナの枝に火を灯した即席の松明を手にしていた。おかげで周囲は明るく、こもった闇の気配も遠くに感じる。
「ウェアベアのような獣や、クルノフのような野盗に待ち伏せされて殺されるということか?」
「……そういうことも、ある」
「他にはどういうことが?」
「振り向いた者が死ぬんだ。海岸に上陸した後、再び海に戻ろうとした者が死ぬ。……この島の海岸には、たくさんの足跡が残っていただろう? だがそのどれもが島の奥地、森の中へと向かっていたはずだ」
海へ戻っていく足跡はひとつもなかったはずだ。
少女の言葉に、サビトガ達は顔を見合わせる。
少女が、松明で闇を切り払いながら、言った。
「産道の民は海岸の岩陰にひそみ、上陸者を観察する。それは優れた異邦人を見分けるためだけじゃない。……島に挑まず、逃げ帰ろうとする異邦人を、弓で射殺すためでもある」
「なっ!」
「島に上陸した時、先客の足跡がそろって森に向かっていれば、自分もがんばろうとやる気になる。だが足跡が散らばっていて、逃げ帰った形跡がたくさんあったら……臆病風に吹かれて、帰ろうと思うだろう。だから産道の民は上陸者が一度でも立ち去ろうとすれば、いっせいに矢を射かけて殺すんだ。そして足跡の残らないかんじきを使って死体と足跡を処理する。次の上陸者のために」
足を止めるサビトガ達を、少女は無感情な目で見た。紫色の瞳が、炎を映して一瞬血の色に染まった。
「島の様子を中途半端に覚えて、外の世界で言いふらされても困る。島は、産道の民は、優れた異邦人を必要としている。定期的に異邦人が訪れるこの状況を守らねばならなかった。だから他の土地から地続きになっている『砂の道』を、こっそり修復したりもしていた。……だが、知ってのとおり今は産道の民は絶滅の危機にある。臆病者殺しも今は休業だ」
「……」
「よそ者をただ秘宝のありかに案内する原住民。そんな都合のいい存在がいるはずがない。……オマエの言ったとおりだな、シュトロ。産道の民は使命のためなら、己も、時には他人も犠牲にする」
それが我々の流儀だ。そう言って再び歩き始める少女に、サビトガ達は無言のままに続いた。
たがいの表情を確認すると、多少の動揺の色はあるものの、少女に対する嫌悪や敵意をうかがわせる要素は微塵もなかった。昨夜の誓いの酒のこともあるが、今まで謎に包まれていた少女の素性や考え方が明かされて、少女を人として理解し始めていることが大きいのだろう。
使命が絶対。人命よりも民族の役目を優先する。それが当然の世界で育ってきた。
サビトガ達と少女の違いは、おそらく、それだけなのだ。
四人は傾斜した地面を、それからしばらく黙々と歩き続けた。
次第にうごめく天井が、うなりを上げながら、せまってくる。




