二十一話 『誓いの酒』
「息だけで、村を滅ぼした……?」
顔を見合わせるサビトガ達。少女が焚き火に手をかざしながら、言葉を続ける。
「病だ。アドラ・サイモンは何かやっかいな病気にかかっていたらしい。四六時中いやな感じの咳をしていて、血の混じった唾を吐いていた。
でもそういう異邦人は珍しくないんだ。難病にかかった余命いくばくもない人間がどうせ死ぬならと魔の島に挑み、最後の望みをかけて不死の水を求めることは、よくある。だからワタシ達産道の民は歴史上、様々な国から持ち込まれる様々な病に感染し、数を減らしながら、それでも血脈の中に病を克服する力をつないできた。
つまりは病にかかっても死ななかった者、病の力を血の中に取り込んだ者だけが子孫を残してきたのだ。その証拠にワタシは生まれてから一度も病気などしたことがない。この世界に存在するほとんどの病に対する抵抗力が、ワタシにはあるのだ」
「ああ、それで生の内臓を平気でくちゃくちゃむさぼってたのか……普通の人間ならおなか壊して、最悪死ぬんだよ。あんなことしたら」
少女はレッジを見て「だからワタシを魔物だと思ったのか?」と首を傾けた。なぜだか照れくさそうな顔をしてうなずくレッジに、少女は鼻息を噴き、火に視線を移す。
「だったら、大人の産道の民と出会っていたら卒倒していたな。産道の民は病の力を得て、また強靭な肉体を持つ者の血だけが残されてきたせいで、他の人類とは違う独自の成長の仕方をするようになった。言葉や知識をものすごい早さで覚えるし、肉体の発達も早い。十歳くらいまではオマエ達と背丈も体つきもそう変わらないが、そこから一気に背が伸びて筋肉がつく。おまけにオマエ達と違って、肉体の成長が死ぬまで止まらない。
オマエ達の倍以上の背丈の大人がたくさんいたし、九十年生きた長老なんかはそこらのブナの木と同じくらい大きかった」
「ウッソだろ!? じゃあやっぱり魔物じゃないかッ! そんなデカブツ……!」
目をこぼれんばかりに剥いて叫ぶレッジの頭を、思いがけずサビトガとシュトロが同時に叩いた。少女はもはや気分を害した様子もなく、ちろちろと踊る火を眺め続ける。
「ワタシ達は、きっとこの世で最も頑丈な肉体を持つ、最も病に強い人種だった。だからアドラ・サイモンが病にかかっていると分かっても、誰も気にしなかったんだ。ワタシ達はやつを一晩村に泊めて、翌朝やつのパートナーと共に最古の秘境へ送り出した。そうして昼頃には、村人のほとんどが咳をし始めて、三日後にはその半数が血を吐いて死んだ。更に半数が死に尽くすのに、一ヶ月とかからなかった。アドラ・サイモンの病は、産道の民の血がかなわぬほどの、人類史上最悪の死病だったんだ。
ワタシを含め、感染をまぬがれた者は全員がサイモンと直接会ったり話をしたりしなかった者達だった。おそらくサイモンの息を浴びなかった者が……あるいは咳をした時に飛び散る唾液に触れなかった者が生き残った。サイモンの病は呼気で感染する、伝染病だったんだ」
「それで『息だけで村を滅ぼした』か……」
腕を組むサビトガに、少女が顔を向け、うなずく。
「おそらくサイモン自身、もうすでにこの世にはいないだろう。やつの触れた物、吐いた唾液は生き残った産道の民がすべて処分した。感染者の遺体も、火葬した……だからこの村にはもう、サイモンの持ち込んだ病の気は残ってないと思う。それが心配ならな」
「つまり君達は異邦人が持ち込んだ伝染病のせいで多くの仲間を失くし、村を維持することも難しくなった。その上でさらに一族の使命を果たすために人員を送り出さねばならず、今はもう、村には君一人しか残っていない、と」
「……前にも言ったが、悪い異邦人に村を滅ぼされたことは以前にもあった。だがその時はちゃんと使命を果たし終えた『親』が何人も逃げ延びていて、森の中に隠れ住みながら新しい子供を作り、長い時間をかけて産道に戻って村を再建することができたんだ。
でも今回は『親』の生き残りは一人もいない。病の感染をまぬがれた産道の民は、全員が十二歳以下の子供なんだ。ワレワレが子を作るためには最古の秘境に挑み、使命をまっとうしなければならない。それが村の掟だからだ。
……もし、万が一……産道の民が二人以上戻って来れなかったなら。あるいは戻って来た者が同性同士だったなら。産道の民は、絶滅するしかない」
血を残すことが、できないから。
そう言ってひざの間に顔を埋める少女に、サビトガ達は一様に口をつぐみ、眉間にしわを寄せた。
自分達を導いてきた少女の意図と事情が、ようやく把握できた。だがそれはあまりに重く、深刻なものだった。一族の存亡という大事を、この少女は己が命に載せて戦おうとしているのだ。
この際使命など放り出してしまえ、旅立った仲間も呼び戻してしまえと言うのは簡単だった。だがそれができないのだということは、少女の思い詰めた様子を見れば誰の目にも明らかだった。
彼女達産道の民にとって、使命とは自分の命よりも、一族の存続よりも重いものなのだ。
ならば彼女にかける言葉は、ひとつしかなかった。
「――少なくとも、お前さんは使命から生きて帰って来れるんじゃねえか? だって、ほら……パートナーが、三人もいるわけだしよ」
シュトロの顔を、少女が睨め上げるように見ると、レッジが「そうさ、簡単な数学だよ!」と調子に乗って少女の鼻先に指先を突きつける。
「たとえばアドラ・サイモンと組んだ産道の民みたいに、たった一人のパートナーを連れて使命に出かけた者よりも、君は二人も多くの大人に守られて使命を遂行することができるんだよ。単純計算で三倍の戦力だよ! 失敗するわけがないじゃないか!」
「図に乗るなヨワヨワキンキラ。そんな都合のいい計算があるか」
ヨ、ヨワヨワキンキラ? と顔を引きつらせるレッジの人さし指を、少女が自分の人さし指で突き返す。
「ワタシのパートナーはあくまでサビトガだ。サビトガなら最古の秘境に挑む力量がある。でもヨワヨワキンキラはすごくヨワヨワだし、そっちのカカシ男の力量はよくわからない。戦力三倍だなんてよく言えたな。ヨワヨワのくせに」
「そっ、そんな言い方しなくたって……!」
「でも、気持ちは受け取っとく。オマエ達がなぐさめてくれたのは分かってる」
もごもごと、小さく「ありがとう」と言った少女に、レッジはぽかんと口を開けて絶句した。
自分の髪をぐちゃぐちゃとかき回し、やがて少女がシュトロとサビトガに顔を向け「笑うな!」と怒鳴る。サビトガはすぐにその言葉に従ったが、シュトロはにやにやとゆるませた目と口をそのままに少女を見つめ続けた。
小さな歯を剥く少女を笑いながら、シュトロが「とにかく」と足を崩し、一同を見回して言う。
「何をするにも、確かめるにも、実際に最古の秘境に行ってみねえわけには始まらねえわけだ。この四人で魔の島の秘密に挑む。少なくとも俺達は全員、タダでくたばるつもりはねえ。何が待ち構えていようと全力で攻略する。そうだろ?」
皆の返事を待たず、シュトロが己の荷物袋を引き寄せ、口を開いた。ごそごそと中身を物色し、やがて「よっしゃ、割れてねえな」と、一本の口の大きな瓶を取り出した。
「今後のために、いっちょ『誓いの杯』といこうぜ。命を預け合う四人の誓約の儀式だ」
「誓約?」
訊き返すサビトガに、シュトロが瓶の栓を抜きながら「おうよ」とうなずいた。瓶の中から、芳醇なぶどうの香りが漂い出る。
「この酒をみんなで回し飲むのさ。そして飲んだ人間同士は、これから肉親よりも強い絆で結ばれるんだ。同じ酒を飲んだやつを仲間と認め、けっして裏切らねえと酒を口にすることで誓うんだよ。
ただのお遊びだと思うなよ。誓いを破ったらそいつには死をもって償ってもらう。裏切り者が出たなら残る三人が必ずそいつを殺すんだ」
「なにやら、物騒だな……」
「とんでもねえ、初対面の者同士が一瞬で仲間になれる最高の儀式だぜ。隣のやつを命がけで守れる人間だけが瓶に口をつけろ。イヤだってんなら、別に無理強いはしねえよ。その代わり俺もそいつを助けねえ。死にかけてても、踏みつけてくぜ」
言うが早いか、シュトロは瓶を勢いよくあおり、ぶどう酒を飲み下した。ぶはーっと酒臭い息を吐き出しながら、レッジに瓶を回す。
レッジは瓶を手に、シュトロを見つめた。眉根を寄せるシュトロに、顔をゆがめて声を放つ。
「正直な話、僕、君のことが大嫌いなんだよ」
「だろーな。惚れられるような心当たりは一切ねえよ」
「……でも、少なくとも、君を背中から刺してやりたいとか、寝込みを襲ってやりたいとは思わない。そこまでは嫌いじゃない。それに、しゃくだけど……死んだ仲間達の遺志を継ぐためにも、君らの助力が必要だ」
レッジが瓶を見つめ、やがて口をつけて、あおった。にやりと笑うシュトロが返される瓶を受け取り、今度は少女の方ヘ差し出す。
少女は難しい顔をして、すぐには瓶を受け取らなかった。その視線がサビトガに向けられる。
サビトガは息をつき、シュトロの手から瓶を取った。ぐっとあおって喉を鳴らすと、そのまま少女の正面から少し外れた地面に瓶を置く。
「――使命のパートナーとは別口だと思えばいい。君が飲まなくても、俺は君を見捨てたりはしないよ」
サビトガはそう言って立ち上がり、焚き火から背を向けて歩き出した。「どこ行くんだよ」と訊くシュトロに、短く小便だと答えた。
シュトロとレッジが顔を見合わせて、やがて同じように立ち上がってサビトガの背を追ってくる。周囲は変わらず闇に包まれている。衣類を絞った時にできた水の流れを頼りに、三人は堀の方ヘと足元に注意しながら進んだ。
そんな男達が再び顔を見合わせたのは、しばらく後に闇のかなたから、誰かが小さく、こくりと、液体を飲み下す音を立ててからだった。