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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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二十話 『産道の村』

 回転し、移動する大地が、いったいどんな理屈でこの地下空間に崩れ落ちてこずに頭上にり続けられるのか、サビトガ達には想像もできなかった。


 うなりを上げるプレートのすぐ下に、何か強靭きょうじんな岩盤だとか、木の根だとかが張りめぐらされているのかもしれない。松明の火が天井まで届けば明らかになるのかもしれないが、見上げる頭上にはすみのような闇が立ち込めている。唯一ゆいいつ光を下ろしている岩場の亀裂も、周囲の闇が深すぎて輪郭りんかくがぼやけてしまっていた。


 上を見ながら渡し橋を歩くサビトガを、背後のレッジが小声で注意した。生返事をしながら視線を下ろす。うなじにハァハァ、ヒィヒィと、必死に橋を渡るレッジの乱れに乱れた息がかかる。


 やがてほりを渡り終えると、少女は渡し橋をきちんと外してから、サビトガ達を集落の真ん中にある広場に案内した。


 広場には小山のように積まれたブナの枝葉があり、少女はそれをいくらか崩して、少し離れた場所に組み上げた。


 松明の火を移すと、乾いた枝がバチバチと音を立てて燃え上がる。とたんにれねずみのシュトロとレッジが駆け寄って、焚き火に両手を差し出しながら「うおー!」と全身を震わせて歓声を上げた。


「火だ! 火だあ! あったけえぞお!」


「火に貴賎きせんの区別なしってことわざが僕の国にはあって、つまり寒い時に当たる火は地べたの焚き火だろうと暖炉の火だろうと、どっちも素晴らしく気持ちいいってことなんだ!」


「はしゃぐな大人ども。家から体をく麻布を持ってきてやるから、それまでに服を脱いで、しぼっておけ。明日までに乾かなかったらじゅくじゅくの服を着て出発することになるぞ」


 松明を持ったまま、言葉通り周囲の家の一つへと向かう少女。


 サビトガはその背を見送ってから、つるつるの黒石の上でさっそく荷物を下ろしてはだかになろうとしているシュトロとレッジに視線を向けた。


 二人はせっせと脱いだはしから上着やズボンをしぼりまくり、びちゃびちゃと水を地面へ落とす。広場には小さな川ができ、それは傾斜にしたがって自然に堀の方へと流れ落ちた。


 サビトガもマントを外し、防具と服を脱いだ。装備品の水分をしぼる前に、クルノフにやられた傷を確認する。


 湖に水没したおかげで、傷口は洗い流されていた。だがそれゆえに肩と腕、胸に開いた傷口の赤さも鮮烈に目に飛び込んでくる。


 腕と肩はまだいい。布を当てておけば治る傷だ。だが胸だけはう必要があった。


 サビトガは衣類とくつをすべて脱ぎ、陶器のあご骨も外して焚き火の前にあぐらをかいた。槍をわきに置き、荷物袋を探る。医薬品の入った小箱を取り出すと、完全にすっぱだかになったシュトロが横から声をかけてきた。


「手伝おうか」


「ありがたい。傷を消毒するから、その後でってくれるか。……経験はあるよな?」


「もちろんよ。おいレッジ、お前は服をしぼってやれよ。そのマント羽毛みたいだからちぎるなよ」


 サビトガやシュトロと違い、肌着で未練がましく股間を隠していたレッジがあわててうなずいた。彼が二人に背を向けて服をしぼり始めると、サビトガは手にした小箱を開け、毒消しの薬液の入った小瓶を取り上げる。


 小箱には他にも貝殻に入った傷薬の軟膏なんこうがあったが、こちらは箱に入り込んだ水と混じって溶けてしまっていた。小瓶に染みついた軟膏の臭いをかぎながら、サビトガは栓を開け、全ての薬液を使い切る。


 次に縫合ほうごう用の針と糸を出し、針を火であぶった。糸は糸巻の棒からほどき出し、水を吸っていない内側の糸を切り出す。やがて冷えた針と糸を、シュトロに差し出した。


 シュトロの縫合は、意外にも極めて丁寧ていねいで正確だった。両目をぎりぎりまで細めて細かく傷をう彼は、歯を食いしばるサビトガに手を動かしながらに話しかけてくる。


「今更なんだけどよ。この状況、どう思う?」


「……どう、とは?」


「ほんの二時間前までは俺とあんたと二人きりで、森ん中で道を見失って途方にくれてたんだぜ。それが今は道連れの人間が二人も増えて、まがりなりにも文明の臭いのする場所で火に当たってる。なんてツイてるんだ、なんて、思っちゃいねえだろ?」


 縫い付けられる肉がじくじくと熱を持つのを感じながら、サビトガはシュトロを見、息を吐き出す。


「あの子からは悪意や敵意を感じない。俺はこれまで山ほどの悪党と会って、その人生の幕を引いてきた。その中には子供も、いた。危険な人間を見分ける目には自信がある」


「ああ、あのガキはイイヤツかもな。だがあのガキと出会ってここに案内されたって『状況』は、けっして好ましいものじゃねえ」


「どういうことだい?」


 サビトガの服をしぼり終え、焚き火のそばに広げたレッジが口をはさんできた。サビトガやシュトロに比べて筋肉量の少ないレッジの体を、シュトロがぼそっと「女みてえだな」と評した。え? とき返すレッジに、シュトロが再びサビトガの胸の傷に目を戻しながら答える。


「レッジよお、お前、なんでこの島に来た? 何が目的だ? 当然不死の水に関係したことだよな?」


「そりゃあ、まあ。この島に来ておいて不死の水に興味がないなんて人間、いるわけがないよ。僕は……僕のパーティーは、不死の水を手に入れて国を救うために来たんだ」


 シュトロがサビトガの肉を縫いながら「国を救うだあ?」と、無闇に高い声を出す。明確に侮蔑ぶべつの色がふくまれた声に、レッジがむっと顔をゆがめた。


「僕の祖国は今、伝染病が蔓延まんえんして大変なことになっているんだ。年に千人以上も人が死んで、医者も治療法が分からずを上げてる。感染者が出た村の周りには高い石壁が作られて、完全に隔離されるんだ。そうやって国土の半分以上が石壁の中に封印されて、病人は日陰で絶望しながら見殺しにされてるんだ。こんなこと、人として絶対に許せないだろ。だから僕らみたいな冒険者が、海外に希望を探して旅立ったんだ」


「それで魔の島の伝説に目をつけたってのか。生き物を不滅の存在に変える不死の水を見つけ出して、病人に飲ませようってか。ご立派なこったな。不死が病の完治につながるとは限らねえのによ。病気にかかったまま永遠に苦しみ続けるかもしれねえぜ。死にたくても死ねない体でよ」


「……それでも希望があるなら、試してみるべきだ。人にはみんな生きる権利がある」


「ねえよ、そんなもん」


 シュトロがサビトガの傷を縫い終えて、糸を歯でみ切った。レッジに向けるシュトロの目は、カカシのボタンの目のように非人間的な色をおびている。


「人には生きる権利なんてねえ。あると錯覚さっかくしてるだけだ。お前が不死の水を持って帰ろうと帰るまいと、死ぬ奴は死ぬのさ。他の動物と同じようにな」


「……」


「ご立派だよ、お前らは。赤の他人の病人どものために、美辞麗句をしこたまかかえて命がけで魔の島に飛び込んで来た。ほんとご立派さ。だから弱っちくて、役に立たねえ」


「何ッ!」


「断言してもいい。お前ら、『当事者』じゃねえだろ。身内に病人いねえだろ。石壁に囲まれていない町から出てきた、完璧に健康な、善意の救済者だ」


 レッジがいた歯をゆっくりとくちびるの中にもどし、目元を引きつらせた。


 シュトロは厳しい目を向けてくるサビトガに片手をかざしながら、レッジへ言葉を続ける。


「本当に真正面から伝染病を憎んでて、苦しんでる身内や仲間を救いたいって思ってる人間はな、『人として許せない』とか『人にはみんな生きる権利がある』なんて言葉は使わねえんだよ。もっとせっぱ詰まった言葉を選ぶ。お前の口にするご立派な言葉は、顔も知らねえ哀れな他人に向けたもんだ。こんなひどいことが自分の国で起こってる、許せない、僕が正してあげましょう、ってな」


「それは……確かに僕の身内に、感染者はいないけど……」


「他人の事情で戦ってんだよ、お前。他人事なんだ。一歩退()いた立場からものを語ってる。それが言葉選びに出てるのさ。みんなを救ってあげよう、助けてあげよう、代わりに魔の島に挑んであげよう。……そういうご立派な動機でことにのぞむ人間は、逆に利己的でご立派じゃねえ動機で戦う人間にかなわねえ。

 俺は自分が幸せになりてえから魔の島に挑んでる。自分の人生を救うために命を賭けてる。たぶん、上陸者のほとんどが同じだろうぜ」


 必死さが違う。そう言い放つシュトロの肩をサビトガが不意につかんで、一度「ありがとう」と縫合の礼を言ってから、眉間にしわを刻んで言った。


「だが……世の中には、言わなくていいこともある。他人のために命を差し出したレッジ達は立派だ。()をつける必要などない」


「敗北するべくして敗北したって言ってんだよ。それともはっきり『めくさった態度で死地にみ込んだからボコボコにされた』って言った方がいいかい」


「話を戻せ、シュトロ」


 もともとこんな話じゃなかったはずだ。


 自分の肩に指を食い込ませるサビトガに、シュトロは一瞬獣のように苛烈かれつな表情でくちびるをめくった後、しかしすぐに、にかっ、と笑った。


 サビトガの指を丁寧にほどき、その手に針と糸を返しながら、地面を見つめているレッジに不自然に親しげな口調で言った。


「つまりよ、この魔の島にやってくる人間ってのは大抵不死の水ほしさに、必死の覚悟で戦う準備をしてきた戦意万端(ばんたん)の連中だってことなんだよ。腕に覚えのある力自慢とか、名のある騎士とか、高名な冒険家とかが千年以上も昔から数え切れねえほど訪れては攻略しようとしてきたのさ」


「……だから何だって言うんだよ……」


「そんな連中の中でも特に強くて有能なやつらが、みーんな産道の民の助けと道案内を受けてきたってんなら……これって、すごくまずいことだと思わねえか? 人類最高の戦士達が、ひょっとしたら歴史上何百人も何千人も、俺達の目的地である最古の秘境にたどり着いてたってことだぜ」


 ゆっくりと顔を上げるレッジが、うすく口を開いて目をまたたかせた。シュトロがサビトガへ顔を向け、さらに言葉を続ける。


「俺達はよ、この島に立ち入る前、なんとなくこんな風に考えてたと思うんだ。不死の水っていう不思議な秘宝の眠る島には、まだ人類がたどりついていない場所があって、そこさえ突き止めれば自然と秘宝は手に入る。危険な場所を通ったり見たこともない猛獣と戦うことはあるかも知れないが、結局は宝探しだ。島を踏破とうはする可能性は自分にもある、ってな。

 だが、もしこの島がすでに先人達によってとっくに踏破されていたとしたら? 不死の水のありかも、すでに解明されていたとしたら……?」


「最古の秘境にたどりつき、不死の水のある場所まで行けたとしても、その後に何らかの障害が待ち構えているということになるな。先人達が島を生きて出られなかった理由が。……あの少女が強い探索者だけを選んで案内すると言っていたのも、そのあたりに関係があるのかもしれん」


「冷静に考えてみりゃあ、探索者を案内する使命を負った原住民なんてのも都合が良すぎらあ。よそ者に対して『ようこそいらっしゃいました、島の秘宝のあるところまでご案内いたします、どうぞお好きなだけ略奪なさってください』ってか? ありえないね。この仕組みを考えた野郎の悪意を感じるぜ。絶対何かウラがあるんだ」


「ワタシ達も同じことを考えた」


 いきなり背後から聞こえてきた少女の声に、シュトロがまるで猫のように全身をねさせて飛び上がった。


 松明を手に去って行った少女が、松明を持たずにもどって来ていた。どこかに置いてきたのか。もっとも集落はなめらかな黒石の地面が広がっていて、ブナの枝葉の山以外には足を取られそうなものもない。中央広場に戻って来るだけなら、焚き火を目印に歩くことも可能だった。


 シュトロがレッジといっしょに少女を指さしながら「あーあー!」と、うるさく声を上げる。少女はれた麻服を、乾いた別の麻服に着替えていた。今までと同じでスカートのある服だが、スカートのすそやそでの先がぎざぎざと波打っている。少しばかりしゃれっけのある衣装だった。


「きったねえ! 自分だけ着替えてきやがった! 俺達ははだかで火に当たってるってのに!」


「汚くない! ワタシの村なんだからワタシの服があるのは当たり前だ! あいにく大人用の服は焚きつけに使ってしまったからオマエらの分はないがな!」


「なんか髪から香水の臭いもするよ! しっかりなじませてある! あっ、でもくさッ!」


「臭くない! ブッコロスぞ! 産道の民の戦化粧いくさげしょうで、樹液と獣の脂を煮詰めて作ったにおい水だ! 最古の秘境に行く時につける決まりなんだ! いわば一人前になったあかしだ!」


 少女はレッジとシュトロに怒鳴り返しながら、手に持っていた厚手の麻布を投げつけた。サビトガにも同じものを投げつけながら、焚き火のそばに腰を下ろす。ひざを抱えながら男達をにらむと、ふんっ、と鼻息をいた。


「……オマエら異邦人の考えつくことくらい、産道の民だって考えつく。先祖から受け継いだ使命の不自然さ、裏に隠された意図の気配くらいな。だが、結局はオマエらと同じだ。最古の秘境に旅立った産道の民の半分は戻ってこないし、戻ってきた者も絶対に使命の先に何があったのかを言わない。だから死地に踏み込まない限り、真実を知りようがないんだ」


「待て、戻って来る者がいるのか? 探索者を最古の秘境に案内した産道の民が、つまり一人だけで帰って来ると?」


 少女はサビトガを横目に見て、すぐに目をそらしながらうなずく。


「ワタシの両親がそうだった。使命を果たし、生きて帰って来た者だけが産道の民の『親』となり、子を産むことを許される。使命をげることが、年を取る資格を得る条件だ」


「ひでえ話だな。……でも、そうするってえとなんでお前は今、ひとりぼっちなんだ? 他のやつらはもう最古の秘境に旅立ったって言ってたけどよ、使命に出かける必要のなくなった大人がいたんだろ?」


 この村に。そう首をかしげるシュトロに、少女は合わせたひざがしらに顔をうめながら、少し間を空けて、答えた。


「アドラ・サイモンという名の異邦人を、産道の民の一人がここに連れて来た。何ヶ月か前の話だ」


 覚えのある名前の響きに、サビトガは記憶をたどる。上陸した時に真っ先に目に入ったブナのみきの署名――ハングリン・オールド、クルノフに続く、最後の一人の名だ。


 少女の目に、ゆらりと、強い感情の光がよぎった。


「アドラ・サイモンは、ただの異邦人じゃない。コフィンという国から来た、ウェアベアと同じくらい大きなきつねに乗った魔獣使いだった。ヤツがこの村を滅ぼしたんだ。剣も槍も使わずに、『息』だけでな」

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