十三話 『月輪堕とし』
とっさにブナの幹の後ろに身を隠すサビトガのすぐそばを、刃の群が通り過ぎる。けっして細くはない枝葉が次々と切断され、サビトガの上に落ちてきた。
奥歯を噛みしめ、反撃に転じようとするサビトガの隠れる幹に、今度はクルノフの盛り上がった肩が叩きつけられる。ずしん、と樹木全体が揺れ、一瞬遅れてブナの実が雨のように降りそそいだ。
ばちばちと体を叩き、視界を埋め尽くす木の実。頭をかばいかけたサビトガが、幹の向こうから回りこんで来るクルノフの影に気づき、背後に退いた。
がつん、と槍の柄が別の木の幹を叩く。顔を引きつらせるサビトガの目の前で、クルノフが大きく両腕を振りかぶった。
暴風のような剣の音。周囲の幹に刃を接触させることなく、クルノフの渾身の一撃がサビトガの腕当てに命中した。
革の腕当てが、バン! と破裂音に似た音を立ててはじかれ、サビトガの靴がわずかに宙に浮く。命中の瞬間に腕をわずかに引いて衝撃を逃がしたが、それでも腕当てには長く深い傷が走り、殺し切れなかったダメージがひじ関節をきしませた。
休む間もなくかんじきの蹴りが右から迫って来る。槍を引き寄せ、さらに後退するサビトガ。
その眼前で蹴りがブナの幹に命中し、頭上から再び木の実の豪雨が降りそそいだ。
奪われる視界、翻弄される間合い。
「さすがに、戦い慣れているな……! この森はそちらの『領域』か!」
ぎゅっと目を細めるサビトガが、木の実の雨の中を左から回りこんで来る影をかろうじて捉えた。腰を落とした影が、やがて騒々しく落ち葉を踏み――こちらの間合いへ、飛び込んで来る。
引き寄せた槍を、サビトガは咆哮とともに突き出そうとした。向かって来る方向さえ分かれば、小回りの利かない木立ちでも長得物を生かすことができる。敵に穂先を命中させることができる。
だが。
「! 何ッ!!」
突き出した穂先の軌道を、サビトガはみずからわきへとそらした。木の実の雨の中を抜けて迫って来ていたのは、先ほどクルノフに投げ捨てられた、青い鎧の金髪の男だった。
吹っ飛んできた男を、サビトガは肩で受け止める。当然自分の意志で向かって来たわけではない。男の両目は閉じられて、明らかに気絶していた。
囮だ。生きた人間を投げつけてきた。サビトガは金髪の男をわきへ押しのけ、そして――
鬼の顔をさらして跳躍してきたクルノフの刃を、まともに胸に受けた。
三本の剣が、胸当てと、肩と、左腕を切り刻む。獣のような声を上げるサビトガの槍を、クルノフは攻撃に使った手とは逆の手で握りしめる。
槍は、びくともしない。胸に突き立つ刃を、それをさらに押し沈めようとするクルノフの手を、サビトガもまた槍を持つ手とは逆の手でつかみ、押しのけようとする。
たがいにたがいの武器を封じ合う形だ。だが二人の膂力には、わずかながら差があった。
クルノフの刃が、ずぶりずぶりとサビトガの胸当てと肉に埋まる。顔にしわを刻むサビトガに、クルノフは心底うれしげに哄笑を上げた。
「ま、魔の島では、より『魔』にちかづいた、やつが、いきのこる! に、『にんげん』をすてたやつが、『じょうしき』をすてたやつが、いちばん、つよい!」
「……ウゥ……ッ!」
「お、おやさしいやつは、まっさきにまけるぅ! たにんを、けだものどうぜんに、屠れるやつじゃないと……ぜったいにぃ……!」
サビトガのまるで狼のような苛烈な貌に、クルノフの鬼の貌が迫る。
黄ばんだ歯が、悪臭を放つ唾液の糸を引いて上下に開放される。サビトガの顔にかぶりつこうと、クルノフが顔を横にかたむけた。
その瞬間を、サビトガは逃さなかった。
「屠殺ではない」
クルノフが反応を返す前に、サビトガの手が動いた。槍の柄を握っていた手が石突の位置まで下がり、それを反時計回りに、ワイン瓶の栓を抜くように回す。
ガチリと音がして、死神の彫刻の口からきぃぃぃ、と、金属のこすれる音が響いた。
クルノフが目を見開く。その視線の先で、槍の底から石突が抜け落ちた。
槍の石突だった金具からは、まっすぐに金属の棒が伸びている。それは半ばから鋭い刃の形となり、輝く刃先を槍の中から抜き出した。
槍の底に、直剣が埋まっていた。鍔のない剣の握りにはわずかにすべり止めのためのハ虫類の皮が貼られていて、それ以外には一切の装飾も、彫刻もほどこされていない。
処刑人、シドウの剣。無痛の、首切り人の剣。
クルノフが槍を放し、両手でサビトガを切り刻みにかかった時には、すでに直剣の刃は彼の首に入っていた。
サビトガに喰らいつくために、無防備に差し出された、首筋に。
「獣に対する屠殺ではなく、人に対する殺人で応えよう。クルノフ。お前の人知を超えた罪悪は、感嘆に値する」
おぞましく、醜悪であろうとも。
サビトガは、血を吐きながらちぎれゆくクルノフの顔面が、深い深い笑みを浮かべたのを見た。彼の両腕はまだ、サビトガに向けて剣を振るおうとしている。
まこと、見事――
サビトガは、陶器のあご骨の奥に押さえきれなくなった笑みをこぼしながら、クルノフの太い首の骨を一気に、力を入れて切り飛ばす。
その首は、上空の月輪の中に舞い――――やがて笑みを浮かべたまま、地に帰って来た。




