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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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七話 『レイヤー・ケーキ』

「へえー、そんな小っちゃな女の子がねえ。あのでかいクマ公をおびきよせて、挑んだってのかい。へえー」


 シュトロという男は熊肉をたっぷり得てごきげんな足取りで落ち葉を蹴散らし、何度もへえー、へえー、とわざとらしい感嘆かんたんの声を上げた。


 彼はまだ十代で、サビトガより十歳近く年下なのだそうだ。


 だがそれなりに体格が良いせいか、年齢よりもずっと大人びて見える。あごをう無精ひげもみょうに似合っていた。


 野良のら仕事できたえられたのだろう、ごつごつとふくれたこぶしが、ぴんと人さし指を空に向かって突き上げる。


「原住民なんじゃねえかな、その子」


 シュトロの後ろを歩いていたサビトガが、その言葉に陶器のあご骨を着けた顔を上げた。


「……原住民?」


「そうさ。だいたいこんな場所を子供が一人でうろついてるってのがおかしい。探索者とは思えねえから、原住民さ。魔の島に住み着いてる民族がいたんだよ、きっと」


 想像もしなかったことだ。生きて出られぬ死の魔境に、人間が住み着いているなどとは。


 サビトガは歩きながら少しばかり考えをめぐらせた後、シュトロの背負っているカカシの顔に向けて、口を開いた。


「原住民だったとしたら、彼女の足取りを見失ったのは痛いな。集落にたどり着けたかもしれないのに」


「仕方ないさ、こんだけ落ち葉が積もってりゃ、足跡も残らねえ」


 シュトロが言いながら、今まさに頭上のブナの木から落ちてきた葉に顔をなでられ、くしゃみをした。


 出会ってから、かれこれ二時間は歩き続けている。カカシと荷物袋を背負いながら平気な顔をして森を進むシュトロに、サビトガはいったいどこを目指しているのかといてみた。


 まるで自分の庭を行くように迷いなく先に立っていたシュトロは、再び人さし指をぴんと立てながら自信満々に答えた。


「島の中心さ。魔の島の最奥、最古の秘境に向かって歩いてる」


「最古の秘境……」


「あんたの目的地も当然そこだろ? 任せときな、熊肉をもらった礼にちゃあんと連れてってやる。このロードストーン(磁石じしゃく)がありゃあ、絶対迷うこたあねえ」


 シュトロは手にした簡易羅針盤(らしんばん)をかかげ、引きつるような笑い方をした。小さなガラス盤に水を張り、船の形をした磁石を浮かべただけのものだが、サビトガの祖国ではガラスも磁石も、ただの農夫が持つには高価な品だった。


 サビトガは熊の頭を砕いた槍のらしながら、先を行くシュトロへ低い声を放つ。


「お前は、どこの国から来たんだ?」


「そのお前ってのやめてくんねえかな。せっかく仲良くなったんだ、『君』『俺』の仲でいこうぜ」


 まだ仲良くなった覚えはないが、サビトガは要請にこたえて「君は」と言い直した。


「どこの国から、この魔の島へやって来た?」


「ルイン連邦だ。ここからずっと北の、雪と氷の世界さ。あんたは?」


 『君』『俺』と言っておきながら『あんた』呼ばわりしてきたシュトロに、サビトガは片眉を上げて答える。


「東のパージ・グナから来た」


「パー……なんだって?」


「パージ・グナ王国だ。聖マガンザラ皇国や、ブジェナ王国の近くにある」


「どれも聞いたことねえな」


「俺もルイン連邦なぞ知らん。おたがい、名も知らんほど離れた世界からこの魔の島を目指して旅して来たということだ。何千年もの間、世界中の冒険者・探検家が島に挑んできたという話も、まんざらうそじゃないらしい」


「それもこれも、最古の秘境に眠る『不死の水』をめぐってのことさ」


 不死の水。その単語に眉根を寄せるサビトガの前で、シュトロは指で宙をかき混ぜながら歌うように続ける。


 人類史上最も古くから語りがれ、かつ未だに解明されていない神話の時代の伝説。


 静止した海の中心にる魔の島の奥地、自然の要塞ようさいと化した秘境に、生き物を不死身不滅の存在へと変える神秘の水がく泉があるという――。


 シュトロが荷物袋に手を差し込み、ボロぞうきんのような使い古された水筒すいとうを取り出しながら、笑った。


「世界中に伝えられるというこの伝説は、しかしその根源と正体が一切不明のまま伝わっている。いつの時代のどこの国で発生した伝説なのか、その背景はあらゆる歴史学者にとって最大の謎とされているそうだ。

 ただ一つ確かなのは、静止した海も魔の島も確かに実在していて、そこに立ち入った者は誰一人帰ってこなかったということ。一国の王が数万の大軍勢を連れて上陸して、そのままそっくり消えたこともあるってよ」


「ずいぶん詳しいじゃないか」


「村の物知りオヤジの受け売りさ。夢みたいな伝説は、俺達最下層の人間にとっちゃ大事な娯楽ごらくなんだ。子供の頃からずっと夢想してたんだぜ。伝説の不死の水ってやつを飲みゃあ、俺は一体どうなっちまうんだろうって。けっして死なない体を持つってことは、つまり誰よりも強い体を得るってことだ。世の中の悪いヤツを皆殺しにして英雄になれるかもしれねえ。

 そうすりゃこのクソみたいな人生から逃げ出せるにちがいねえってな」


 サビトガが立ち止まると、シュトロも足を止め、水筒の水をうまそうに飲み下した。


 口をぬぐいながら、カカシを背負ったシュトローマンは前方の木立こだちにらみつける。


「俺の祖国は幼稚ようちな国でな……やることなすこと、すじが通ってねえ。人が人として生きられねえし、そんな社会のあり方を政府が良しとしてる、クソ以下の国だ。

 国民の大半が麦粥むぎがゆも食えずシュトロー(わら)をしゃぶってる。家畜みてえにな。

 国土で収穫される麦のほとんどが税として取り立てられ、その一割が貴族や政府関係者のための市場に流れる。残りはすべて、外国に輸出だ。得られた外貨は決して国民のふところにゃ降りてこねえ。上層の人間が勝手に回して、勝手に使い込むだけだ」


「シュトロ……」


「魔の島にく不死の水。そんな夢みたいな話に命をけるやつは、夢にでもすがらなきゃ生きてけねえ人間に決まってる。俺は幸せになりてえんだ。今までの家畜以下の人生を、不死になって清算してやる。

 痛みにまみれた人生だった。苦痛しかない青春だった。俺は……」


「シュトロ!」


 するどく声を上げるサビトガを、シュトロは振り返る。サビトガは自身のわきに立つブナの木を見つめながら、ゆっくりと声を続けた。


「お前、どこに向かってるんだ」


 目をくシュトロが、サビトガの見つめる木へと視線を移す。



 ブナのみきには、『暑い』と、切りつけたような字がきざまれていた。



「島の中心を目指してるんじゃなかったのか。この文字は、俺が森に入ってすぐに見つけたものだぞ。海岸の方に戻ってきてる」


「まさか。ちょっと似てるだけの別の字だろ」


「いいや、間違いない。刃で刻まれた公用文字だ。しっかり見たから細部まで覚えている」


 二人は顔を見合わせ、ブナの木立こだちの中で沈黙した。どこかで枝葉がゆれる、ざああ、という音が響いた。


 サビトガは、立てた槍のにぎりしめながら、慎重にシュトロに問いかけた。


「シュトロ。お前はどこから魔の島に上陸した? 南の砂の道から、浜に上がったんじゃないのか?」


「俺は砂の道は使ってねえ。ロードストーンを頼りにふねで海を渡って来たんだ」


「風も波もない止め海を、一人でか?」


「大変だった。かいをこぎながら休み休み渡ったんだ。おかげで食料もほとんど食っちまって……島の西側の、がけの下に舟を上げたんだ。昨日きのうの朝の話だよ」


「島と言ってもかなりの外周があるんだぞ。西側から上陸したお前と南側から上陸した俺が、なぜ二日も経たない内に森の中で出会えるんだ」


 知らねえよ! と声を荒げるシュトロに、サビトガは『暑い』の字がり込まれている木に槍を突き立て、周囲を探索たんさくし始めた。


 ロードストーンでしきりに方角を確かめているシュトロを背に、周囲の木に記された文字を記憶と照らし合わせる。ここが確かにかつて自分が通った場所だと、確認する必要があった。


 方位記号、心情の吐露とろ……文章の群に目を走らせていたサビトガが、ふと視界のはしに妙なものを見つけ、首をめぐらせた。


 ブナの木のひとつに、大きく染料で記された文章がある。文字自体はありふれた公用文字だが、その内容は……


「『迷いの森、踏破とうは記念。聖暦五百年、十五の月、十三の日。探検家ハングリン・オールド』……」


 文字を音読したサビトガに、シュトロが、がさがさと落ち葉を蹴散らして寄って来る。


 同じく木にう文字を見つめて「何言ってんだ?」と、いらだたしげにつばを吐いた。


「何が踏破記念だよ、ハングリンのおっさん! 周りじゅうどこを見ても木ばっかり、正真正銘しょうしんしょうめい、まだ森の中だよ!!」


 怒鳴るシュトロの鼻先を、ブナの木から舞い落ちる木の葉がなでてゆく。


 サビトガはそこでようやく異変に気づき、頭上のブナの木をはじけるようにあおぎ見た。


 波ひとつない止め海に囲まれた、魔の島。一陣いちじんの風すら吹かない、無風の大地。


 なのにこの森の木々は、葉ずれの音を立て、枝葉を揺らしている。


 サビトガはそれを樹上の獣や、人間が感じられないレベルの空気の移動のせいだと思っていた。だが違うのだ。サビトガは思い至った可能性を確かめるために、地面にはいつくばって積もった落ち葉を掘り起こしにかかった。


 ぽかんとするシュトロにも「手伝え!」と命じ、二人は土が見えるまで堆積物たいせきぶつを除去する。


 深い落ち葉や落ち枝の層を抜けると、泥ともコケともつかぬ腐臭のする層に行き着き、さらにそれらを掘り返すと、突然足場が消失して深い亀裂きれつが現れた。


 あわや転落しそうになるシュトロをつかまえて、サビトガは亀裂から一歩離れる。しめった土に空いた穴は、まるで地の底にまで通じているような漆黒しっこくの闇をはらみ……その闇の奥から、何者かのうめきのような不気味な音が響いてくる。


 ぐぐ、ぐぐ、と断続的に聞こえてくるその音を聞きながら、サビトガは掘り起こした落ち葉の山から細い枝を引き抜き、亀裂の上に橋のように置いてみた。それも先端がわずかにかかる程度の、ぎりぎりの位置に。


 じっと観察すること、数十秒。


 サビトガとシュトロの目の前で、突然に枝がぐらりとかたむき、亀裂の中に吸い込まれていった。


 同時に落ち葉の山の一部がさらさらと音を立て、亀裂の上に崩れてくる。


 絶句するシュトロに、サビトガはゆっくりと視線を向けた。


「動いているんだ。地面が……おそらく、ケーキのように切り分けられて区分けされた大地のプレートのようなものが、不規則に、ほんのわずかずつ移動、あるいは回転している。

 上にいる人間は知らぬうちに別の場所へ運ばれ、向かっていた方角とは見当違いの方へ歩かされるんだ。プレートの亀裂が腐葉土と落ち葉で隠されているから、俺達は知らぬ間にプレートとプレートを渡り歩き、島をぐるぐる回らされていたんだろう」


「バカな……! ロードストーンで方角を確かめていたのに……!」


「自分の足場が動いていて、それに気づいていないんじゃ羅針盤も役に立たんさ。上陸する前に気づくべきだった。無風の島で枝葉が揺れていることに、もう少し注意を払うべきだった」


 サビトガは息をついて、ゆっくりと亀裂から落ち葉の上へと戻った。後に続くシュトロに「覚悟しろよ」と言うと、ブナの木に残した槍へと歩む。


「俺達は完全に道を見失った。俺は元々だが、お前もいまや立派な迷い人だ。この森を抜けるための有効な手段が完全に尽きたってことだ」


「……どうするんだ?」


「歩くさ。何日でも迷ってさまよって、島の中心を目指すしかない」


 槍を引き抜くと、ブナのみきから得体の知れない白い幼虫がこぼれ出た。それを拾い上げながら「とりあえず、今日はここで野宿だな」とつぶやくサビトガに、シュトロはひたいに手を当て、罵声ばせいを上げながら落ち葉の山をくずした。

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