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十六話 『塵と花売り娘・後編』

 彼女はいまや、純粋に思い出話を楽しんでいるようだった。


 自然に笑みを浮かべて、頬をなでながら言葉を継ぐ。


「門番にけげんな目をされながら門をくぐると、城の大扉の前に侍女長が腕組みをして立っていて、私を見つけるなり、鬼のような顔で手招きをするんです。

 私はダストの手を握って駆け寄り、謝罪と言い訳をしようとしました。でも、ダストがいきなり私を押しのけて、侍女長に言ったんです。『国王陛下が配下、ケウレネス・ハヴィエの息子です。父と共に国をにないに参りました』って」


 ルキナは硬いパンを指でちぎりながら、その光景を想像する。


 ぽかんと口を開ける女二人の前で、幼いダストはきっと当然のような顔で、さっさと城内へ入れろと不遜ふそんな視線を大扉に向けていたに違いない。


「それから後は、とにかくひどい騒ぎでした。おめでたい祭りの直後に、国王の腹心の隠し子が現れたんですから。侍女長がことの次第を国王様に伝えると、国王様はすぐにケウレネス様を呼び出して問いただしました。何しろケウレネス様は故郷のことも、故郷に妻子を残してきたことも黙っておられて、その上で王都に別の妻と子を囲っておられたのです。

 私はダストの横で一部始終を見ていましたが、あれほどケウレネス様が取り乱されたのは、後にも先にも知りませんわ」


「怒っただろうな、父上は」


「ええ、それはもう。国王様はケウレネス様を重用しておられましたから、そのぶん信義にもとる行いをしたケウレネス様を激しく責められました。

 当時は王妃様もご存命でしたが、ふだんお優しい王妃様も氷のように冷たい目をしておられて……私や侍女長も、いったいどうなるのかと生きた心地がしませんでしたわ。それほどの修羅場しゅらばでした。

 ルキナ様はまだお生まれになっておられませんでしたから、ご想像できないかとは存じますが」


 ルキナの記憶にある両親は、厳格なところもあったが、いつも理知的で聡明そうめいな人々だった。

 母親には笑顔を向けられた記憶しかないし、父親にも冷たくされたことはない。家臣にもいつも冷静に、静かに言葉を向ける人達だった。


 そんな二人が怒り狂って人を責めたり、冷淡れいたんな目を向ける様など想像できなかった。


 だがナギは、話しながら腕をさすり、その時の身も凍るような緊張を思い出しているようだった。


「ケウレネス様は国王様を雪崩から救った功績がございましたので、厳しい罰を受けるようなことはなかったはずなのですが、それでもあまりの責められように真っ青になっておられました。

 そのお顔が、よくよく見れば確かにダストと似ていて……ゆうに一時間は国王様に罵倒ばとうされたケウレネス様が、床に額を落とさんばかりに疲弊ひへいなさった頃になって、ようやくダストが父親のわきに進み出て、口を開いたのです」


「何と言ったのだ、ダストは」


「『父は貧しい村に生まれ育ったために、王都の美しい貴族の御令嬢との縁談えんだんが持ち上がった時、我慢ができなかったのです。しかしながら私ども妻子に生活のための金銭を送ることは忘れず、顔は見せずとも養ってくれました。私も母も、そんな父を情けなく思いながらも未だ愛しております。どうか寛大かんだいなるお心でお許しを』……と」


 当時ダストがいくつだったのか知らないが、つくづく子供らしくない子供だったようだ。


 少なくともルキナには、たかだかとおかそこらに時分に、そんな長ったらしい台詞を舌も噛まずに言えた自信はない。


「国王様も、王妃様も、その場にいたみながダストの口上に目を丸くしていました。言葉づかいもさることながら、あの緊迫した場ですらすらと言葉をつむげる胆力たんりょくに、感心すると言うよりは呆れていたように思います。

 結局ケウレネス様は息子に免じて、王都の妻子に正直に全てを話すこと、故郷の妻に顔を見せ、きちんと話し合うことを条件に許されました」


「ケウレネスにしてみれば、恥辱の極みだっただろうな」


「自業自得ですけれどね。まあ、それがダストの父親への復讐の一環いっかんだったのでしょう。……ダストは国王様とその側近に、この一件で直接自分のさかしさと、並々ならぬ胆力を示しました。

 父親に貴族の娘との縁談を勧めた償いとして、何なりと望みを聞こうと国王様がおっしゃった時……ダストは平然と『あなた様の元で知恵を磨き、国の力になりたい』と言ったのです。国王様が、ダストを気に入らぬはずもありませんでした」


 ナギが、ふうと息をつき、既に食事を終えていたルキナの食器を片付け始める。


 ルキナはその手元を見つめながら、わずかに目を細めてつぶやくように、言った。


「そしてダストは、王城の書庫で、コフィンにおける最高峰さいこうほうの知識を学ぶ権利を得た。先輩の知恵者や騎士達とも交わり、貪欲どんよくに知識を吸収し……やがて彼は国一番の知恵者として、実際に王の側近として働くようになった……」


「教会の石版に記された全ての王歌を覚えたように、あいつは王城の書庫を、その膨大ぼうだいな知識の結晶を、そのまま頭の中に収めてしまったのです。

 学者の中にはダストにものを教えると、自分の立場がおびやかされると言って接触を避ける者までいました。事実ダストは人間離れした効率と正確さでものを覚え、一度覚えた知識はけっして忘れませんでした。

 ……戦時中に私の誕生日を覚えていて、贈り物を持って来たのも、あいつぐらいのものです」


「ああ、赤ん坊の私が初めて立ち上がった日の天気まで覚えていたな、あいつは。絵の具を混ぜて再現してみせたことがあった」


「才能、と片付けるには、少々病的に過ぎましたね」


 ナギがいったん持ち上げかけた食器を、手をそえたまま止める。

 ルキナをじっと見つめ、笑みを消して、言った。


「ダストが成長し、国王様に重用され、自分と肩を並べるようになっても、ケウレネス様はダストとろくに言葉もかわされませんでした。ケウレネス様は……ダストを恐れていたのか、うとんでいたのか……あるいは負い目を感じて、顔向けできずにいたのか……私には、分かりません」


「実の息子でありながら、まるで他人に接するような態度だったな。それは私も感じていたが……」


「ただ、ダストの方は確実にケウレネス様を憎んでいました」


 ナギが目を閉じ、眉間にしわを寄せる。食器にそえた指に、ゆっくりと力がこもっていくのが傍目はためからも分かった。


「ダストは、捨てられた自分がそばにいることで……同等の立場の、同僚として存在することで、ケウレネス様が常に己の罪を忘れぬよう、苦痛と恥辱を忘れぬよう、『呪い』をかけていたのです。王の側近になったのは、自分の人生のためではない。全ては父親の人生をさいなむために……」


「……そう、ダストが言ったのか?」


「いえ、でも、言わずとも分かります。ダストの父親を見る目は時々……一切まじりっけのない、憎悪で塗り固められていました。私やルキナ様を見る目とは違う、まっさらな悪意。そんな目を肉親に向けられるダストを……私は心底、怖いと思いました」


 ルキナの手が、ナギの指を上からつかむ。


 目を向けてくるナギに、「でも、好きだったんだろう?」と、表情もなく訊いた。


 今度はナギも、ルキナを睨まない。白いクロスに目を落とし、ごくごくわずかに、うなずいた。


「腐れ縁、というのもありますが……王城で共に大人になっていく内に、あいつとは楽しい思い出もたくさんできました。書庫にこもりっきりのあいつに食事を運ぶのは私の役目でしたし、あいつも私が病気になったり、困った時には出てきて、助けてくれました。

 建国のお祭りに引っ張り出したり、草原の植物の調査に連れまわされたり……勝手な思いですが、年頃には私があいつを変えてやりたいなどと考えたこともありました。復讐より、もっと素敵な人生の過ごし方があるんだぞって、教えてやりたかった」


 でも、無駄でした。


 そう続けるナギが、長く長くため息をついた。その理由はルキナにも分かる。そうだ。無駄だったのだ。ダストの人生は、宿命ともいえる結果は、誰にも変えようがなかったのだ。


「ルキナ様……最初に、言いましたよ。私はダストを、心底軽蔑しているんです。あいつとの思い出も、抱いた恋心も、ふとした時に髪を優しくなでられた記憶も、過去のものです。ルキナ様だって……あいつを許せないのでは?」


「……分からない。ダストが犯した罪が、吐いた言葉が、どれほどの重みを持っているのか……だが、少なくとも父上は許された。ダストの首に落ちる刃を身をていして止めたケウレネスの姿に、父上は……ダストの罪を、許されたのだ。ならば私も、これ以上ダストを責める気にはなれん」


 自分の顔をじっと見つめるナギに、ルキナはゆっくりとまばたきをした。


 喉に何かの感情を引っかけたまま、ルキナの唇が、震える。


「ナギ。ダストは、我が国の魔王は今、どこにいるのだろう。自分が仕えた王家と、国が滅び行く様を、どんな気持ちで見ているのだろう」


「……あいつに、もし一握りでも人間らしい心が残っているのなら、必ずルキナ様の元に駆けつけるでしょう。さもなくば既に死んでいるか……呼び名のみならず、魂まで人でなくなったか、です」


「スノーバはダストの伝説を、『希望』と見るだろうか? モルグの像の前に遺品をさらされたフクロウの騎士や、狩人と同じように、潰さねばならぬコフィンの力と見るだろうか? ……私は、ダストに会いたい。せめて一言、何か言葉をかわしたい」


 うつむくルキナの髪を、ナギは何も言わずに、長い間見下ろしていた。

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