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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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六話 『シュトローマン』

 処刑人の仕事を続けていると、いずれ人を人として見られなくなる。そう一代前の王室処刑人、シドウは言った。


 彼は自分の留守るす中に自宅に上がり込み、妻子をあやめた盗賊達を処刑するさい、わざと骨のぎ目以外の場所を斬りつけ、刑場を血の海に沈めた。


 地獄の苦しみに泣き叫ぶ盗賊達を、シドウは一人数十回以上も切り刻み、肉をこそぎ、骨を砕き、あげく失血死させた。王や貴族達が居並ぶ、公開処刑の場でだ。


 刑場は故意に斬首を失敗し残酷な私刑をおこなったシドウへの、罵倒ばとうと同情の声に満ち満ちたが、外野が裁きを下す前にシドウは自身の腹を十字に裂き、この世を去った。


 サビトガの槍には、その時シドウがにぎっていた処刑用刀剣の刃が組み込まれている。


 人が血肉のかたまりにしか見えない、首を取り外せる人形のようにしか見えないと言いながら、その人形の死に感情を爆発させ命を捨てた男の刃。


 サビトガはそれをにぎるたび、果たして自分は大丈夫だろうかと考える。


 サビトガも処刑人である以上、人間の体を構造的に、物体としてとらえる目を持っている。骨と肉と皮がどういうふうに接続されていて、どこをどうすれば取り外せるか、破壊できるかを経験として知り尽くしている。


 相手がどんなに泣き叫んでも、慈悲をい哀れな声を上げても、粛々(しゅくしゅく)と刑を執行し肉のひとかけまで解体することができる。それでこそ一流の処刑人であり、究極の法の執行者を名乗る資格があると言える。


 だが、先代のシドウはそんな自分達のあり方を『ゆがみ』ととらえていた。


 己も人であればこそ、人体と人命には最低限の価値を感じるべきだと考えていた。人形のように、物のように壊して平気でいられるのは、異常だと思っていた。


 そんなシドウだからこそ、自分の家族の死に心底怒り狂い、取り乱し、処刑人としての責務を感情で放棄することができたのだ。王室処刑人として恥ずべきこと、だが彼自身の魂に沿うこと。残酷で無様な私刑を敢行かんこうするために、命を捨てることができた。


 それはシドウにとっては、きっと何よりも人間らしい行為だったに違いない。


 妻子を殺されてなお冷静に、仕事だからと犯人達に無痛の剣をくれてやるよりは、ずっと己の人間性を感じられる行動だったに違いない。


 だからこそ、サビトガは思うのだ。果たして自分は大丈夫だろうかと。


 サビトガに妻子はいない。元々孤児であったために、親兄弟や親類もいなかった。


 友はあったが、処刑人に任命されてからはみな疎遠そえんになり、よそよそしくなった。魂を燃やし合うような親友は、もはや一人もいない。


 サビトガには、処刑人の責務を放棄するにあたいする人間すらいなかったのだ。


 仮に見知った人間の誰かが罪をおかして、自分のもとに送られてきたならば、サビトガは多少のとまどいや哀れみを感じたとしても――結局はまゆ一つ動かさず、正確に無痛の剣を振るえる気がしてならなかった。


 それはかつてのシドウが危惧きぐし恐れていた、人間の根源的な価値を認めない処刑人の姿に限りなく近いものだった。


 究極の処刑人は、非人間性の怪物だ。全人類を平等に無価値な肉片にすることができる、生ける死神だ。


 ひょっとしたら俺は、最も憎むべき敵や、逆に最も愛すべき仲間の首をはねることになっても、平然と心静かに使命をまっとうできてしまうのではないか。


 人命をたやすく、野の花をつむように奪えるような、そんな悪魔の心をそなえてしまっているのではないか。


 サビトガは、最後の最後で怪物になることをこばんだシドウの刃を見るたびに、握るたびに。


 そんな不安を感じずには、いられないのだ。








「……」


 目の前で揺れる死神の髑髏どくろの顔を、サビトガはあおむけに倒れた姿勢のまま、ぼうっとながめた。


 辺りは明るく、陽の光に満ちている。いつの間にか明けていた夜の闇から、サビトガの意識がゆっくりと現世に戻ってきた。


 鼻孔びこうの奥に血の臭いがこもっているが、体のどこにも痛みはなかった。視界のまんなかで青い空をかき回すようにれる槍の柄。サビトガはさらに数秒それを見つめてから、はっと目を見開き、飛び起きた。


 すぐ横で「うおっ!」と男の声が上がる。岩場に腰をついたまま、ぎろりと目をやると、血まみれの熊の頭に刺さった槍を引き抜こうとしていた男が、その姿勢のまま固まっていた。


「……どこに持って行く気だ?」


「何っ! いや待て、違う! そうじゃない!」


 何が違うのか。何がそうじゃないのか。男はあわてて槍から手をはなすと、サビトガから一歩距離をとった。


 農夫のかっこうをした、若い男だ。ねずみ色の作業服の上にそでなしの茶色い胴着を着て、黒の長靴をいている。


 いわゆる冒険者風ではない。サビトガはゆっくりと立ち上がりながら、周囲の様子を改めて確認した。


 岩場には燃え尽きた焚き火の枝が散乱していて、わずかに細い白煙を立ち上らせている。


 サビトガの倒れていた場所のすぐそばに昨夜の熊が横たわっていて、血と臓物を岩に垂らしている。記憶をたぐっても熊の頭に槍を刺した覚えこそあれ、腹をかっさばいた覚えはなかった。見れば足の毛皮もはがれていて、そこだけ赤()けになっている。


 共に熊に挑んだはずの少女の姿もない。サビトガは頭を押さえながら、両手をこちらに突き出している農夫風の男にいた。


「女の子を見なかったか。麻服を着た、細い子だ」


「い、いや、見てねえよ。ここにいたのはあんた一人だ。あんたと、その、クマ公だけがぶっ倒れてた」


「……死んでるのか……」


 槍の柄をつかみ、一息に熊から引き抜くサビトガに、男は「あんたが殺したんじゃないのか?」と首をかしげる。


 熊の舌はだらんと伸び出ていて、目玉のすき間から脳がわずかにこぼれていた。運良く一撃で頭蓋ずがいを砕けたらしい。確かに、こときれている。


 裂けた腹をのぞいてみれば、内臓の多くが持ち去られていた。他の動物が寄って来た可能性もあるが、おそらくは昨夜の少女のしわざだろう。


 サビトガが熊を倒した後、自分の欲しい部位だけ取って行ったのだ。サビトガは熊との戦いで負傷した部位に手を当ててみる。眉間とあごに、ぬるりとした感触があった。指でぬぐっていでみれば、ひどく生臭い。おそらく、さばかれた熊のあぶらだ。


 手当てのつもりだろうか。少女の介抱の形跡に無意識にほほをゆるめたサビトガは、同時に身につけていた陶器のあご骨がなくなっていることに気づく。


 石を浴びた時に砕けてしまったのだろうか。あごを押さえるサビトガに、しかし目の前の男がまさに失われた陶器のあご骨をふところから取り出してきた。


「……めずらしいかざりだと思ってよ。ちょっと、その……見てただけだよ」


 目を細めるサビトガに、男はばつが悪そうにあご骨を返す。サビトガは受け取りながら、相手の足元にある自分の荷物袋に目を落とした。男はさらにばつが悪そうに一歩退く。


「めずらしい……袋だと思って、そのう……」


「次からは持ち主の生死を確認してから道具を持ち去ることだ。介抱するか、とどめを刺してからでなければ、問答無用で斬り捨てられても文句は言えん」


「とどめだなんて、俺はそこまで悪党じゃねえよ! ただ森を歩いてたら薄く煙が見えたから、ちょーっと立ち寄ってみただけじゃねえか。そしたらあんたがクマ公といっしょに倒れてたから、ああ神よあわれみたまえ! この者の遺品はしっかり俺が受け継ぎます万歳! と、こう……!」


 調子のいいことをわめく男を横目に見ながら、サビトガは槍の柄で荷物袋を引き寄せる。


 ふざけたやつだが、確かに悪党ではないらしい。意識のないサビトガののどを裂いて身ぐるみいでゆくような人間に発見されなかったことは、ある意味幸運と言えた。


 何より、彼はおそらくはサビトガと同じ、外部からの探索者だ。せっかく出会った少女に置いて行かれたサビトガは、最低限の警戒を残しながら男に片手を差し出した。


「サビトガだ」


「えっ?」


 きょとんと目を丸くした相手に、サビトガの口のはしに浮かびかけていた笑みがき消えた。男があわてて「あーあー!」と声をあげ、サビトガの手をにぎり上下に振った。


「名前ね! 変わった響きだから一瞬何かと思ったよ! いやあよろしく! よろしく!」


「……お前は」


 サビトガの白い目に、男はうなじまで伸びた赤茶色の髪をかきむしりながらほほを引きつらせる。かたい笑顔を作りながら、小さく「シュトロです」と頭を下げた。


「正確にはシュトローマンと言います。でもみんな長いからシュトロと省略します、はい」


「そうかい。ならばシュトロ、とりあえず場所を移そう。ここは血肉と臓腑の臭いに満ちている。近くに他の熊がいれば、きっと寄って来るぞ」


 親指で熊の死骸を指すサビトガに、シュトロはあわてて「ちょっと待ってくれよ!」と声を上げた。


「こんだけの獲物を捨ててくのか!? この森にゃブナの実くらいしか食いモンがないんだぞ! ちょっとくらいさばいて持って行こうぜ!」


「……長くとどまればそれだけ危険が増すぞ。五分だけ待ってやる。自分の食う分だけ切り取れ」


 サビトガは、昨日自分の指に巻きつけておいた細い蛇の肉を見下ろしながらそっけなく言った。あわてっぱなしのシュトロが背を返し、少し離れた場所に転がっていた自分の荷物に走る。


 つぎはぎだらけの荷物袋からハサミを取り出す彼の背を眺めながら、サビトガはふと、荷物袋の向こうに、シュトロ以外の何者かの足が伸びていることに気づいた。


 やがてシュトロがハサミを手に熊の死骸へと向かうと、投げ出された足の主の顔が視界に入る。


 ――カカシだ。汚れたズダ袋を糸でっただけのカカシの顔が、陽の光から逃げるようにうつむいている。


 目の部分に大きな穴あきボタンを二つ縫い付けられたカカシは、わらと棒切れでできた手足に手袋と靴をはき、まるで疲れ果てた労働者が道ばたに座り込むようにそこにいた。


 カカシ(シュトローマン)……。


 サビトガは必死に熊の肉をさばいている男の背に視線を移しながら、ぎゅっ、と槍の柄を握る指に、力をこめた。

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