三話 『火』
「もし首を斬られるなら、ぜひともお前の剣にかかりたいものだ」
幼い口から吐き出された言葉。主君の御子が笑いながらに言った言葉。
サビトガは世界を焼くような白い陽光に手をかざしながら、丘の上に立つ王子に声を返した。
「なぜ首を斬られると思うのですか」
「父上は病で先がない。国王亡き後、玉座に誰が座るか――王子は五人もいるのだ。しかも全員違う妃から生まれた。
恋多き王、愛した女を平等に寵妃にした慈悲深き王。その美談のツケは我々王子にふりかかる。きっと血みどろの殺し合いになるだろう」
陽を背に、丘の上でくるくると踊る王子。影法師のような彼の顔は、サビトガからは闇に沈んで見ることができない。
「無痛の剣。お前の腕前はそう評されているそうだな。なぜだ?」
「王室処刑人ならばこそ、当然の心得でございます」
「痛みを感じさせずに殺すことがか?」
「人間の首というのは、腕や足よりもはるかに頑固に胴体と接続されています。骨の継ぎ目を確実に、一撃で切り離さねば、罪人は痛みに叫びもがき、血肉と糞尿をまき散らします。
痛みを感じさせる間もなく一瞬で首を落とす技は、処刑人を名乗る以上絶対に身につけておかなければならぬものです」
「……首を斬られた者が痛がっていないと、なぜ分かる?」
サビトガは目の上に手をかざしたまま、じっと王子の影を見つめる。王子は数秒の沈黙の後、小さく「やはり、お前に私の首を斬らせたいな」と、息をついた。
「私の母上は世渡りが下手だ。人を味方につけるための根回しや、謀略の才能もない。だから王家の重臣達はみな父上が崩御された後、他の妃と王子につくつもりでいる。私と遊んでくれるのも、処刑人のお前と軍の小隊長達くらいだ。打算的な考えを持つ者は私には近づかない」
「……陛下は、全てのお妃様と王子様を守るようにと、我々に……」
「愚かなことよ。愚かしい、醜悪な王だ」
そんな男のために私は死ぬのか。
王子の言葉に、サビトガはかざしていた手をゆっくりと下ろした。白くくらむ世界の中で、小さな影法師がこちらを振り返る。
白く小粒な、真珠のような歯が異様にはっきりと見えた。
「私が死ぬ時は、きっと駆けつけてくれよ。きっとその剣で私の首を落としてくれよ。頼むぞ、サビトガ。頼んだぞ――」
まるで深い海の底のような色をした空の中で、サビトガは目覚めた。
獣の襲撃を警戒し、周囲で最も高い木に登り枝に体を固定して眠っていた彼は、まぶたをこすって夢の余韻を意識からこそげ落とす。
胴と枝を結ぶベルトを外し、腰につけ直すと、ベルトの裏から小さな蛇が這い出て来る。
とっさにあごをつかみ、うねる体を目を細めて観察する。サビトガはそれが見知った無毒の種であると分かると、無造作に陶器の歯で頭をこすり切り、残った体を指に巻きつけた。
ハ虫類は基本、生では食べられない。食べるには加熱する必要があるが、ミミズのような蛇一匹のために火を起こすのも割に合わない。罠を作って、もっと大きな獣を捕まえる餌にするつもりだった。
暗青色の空は、じきに白く明ける。上陸して初めての朝が来る。
荷物袋を槍にひっかけ、サビトガは木を降り始めた。全身の摩擦を使い、慎重に地上へと向かう。
「……」
葉のたっぷりついた枝を二つくぐったところで、サビトガは視界のはしに闇の切れ目を見つけた。
明かり。おそらくは、焚き火の光だ。夜明け前の森に、一つの点のような火がともっている。
サビトガは、じっと数秒、その光を見つめる。顔の横には先客が残した方位記号があった。その矢印は、焚き火とは逆方向を向いている。
やがて、サビトガは地面に降りる。踏まれた落ち葉ががさりと大きな音を立てた。
サビトガは、陶器のあご骨の奥でじわじわと唇を噛みしめ――
呼吸が整うのを待ってから、樹上で見た焚き火の光の方ヘと、足を踏み出した。




