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百四十八話 『しあわせ』

 ユーク将軍には腰から下がなかった。


 肉断ちの剣に分かたれた下半身は未だ彼のわきに直立していて、ばらばらと巨人の残骸や、マリエラの肉の名残を地にこぼしている。


 マリエラ本体がぜたことで、ユーク将軍を守っていた、生かしていた彼女の肉片もまた、この世から消えゆこうとしているのだ。ほうっておいても、きっとユーク将軍は死ぬ。しかしその場の誰もが、彼に静かな死を迎える資格がないことを、分かっていた。


 アッシュ達の後方で、にわかに人の気配がした。見れば回帰の剣を探すため王都に残っていた人々が遠巻きにこちらを見つめていた。


 コフィン人達が、セパルカ人達が。そしてユーク将軍の野望のために傷ついたスノーバ人達までもが、無言で顔を並べている。


 ユーク将軍はあまたの視線にさらされながら地を舐め、血まみれの指で土をく。


 彼に最初に声をかけたのは、厳しい顔をしたナギとチビに身を支えられた、サンテだった。


「終わりだ、ユーク」


 血染めのユーク将軍の顔が、靴を踏み入れられた泥のようにゆがむ。


「お前の、負けだ」


「…………それで……どうする……? 俺を、八つ裂きにでもするか?」


 体内からこぼれてゆくマリエラの肉を手で受けながら、ユーク将軍は身を起こそうとする。はらわたのこぼれた胴の断面で地面をこすり、腕の力だけで伸び上がろうとする。


 自分をにらむサンテや、ナギや、チビ。ルキナや、アッシュやアドやガロル、セパルカ王。兵士達戦士達、騎士に民衆、そして同胞すらもあざ笑い、ユーク将軍は問うた。「誰だ?」と。


「誰がこの俺を、偉大なユーク将軍を殺す? 物語の主役を殺すにあたいする人間が、貴様らクズどもの中にいるのか。一人でもいると、思っているのか」


 武器を手にした者の何人かが、それをにぎりしめる音を立てた。


 ユーク将軍は笑う。どろどろと内臓を垂らしながら。


「全て下郎げろうだ。端役だ。俺を、ここまで追い詰めたのは――たった今空の果てにふっ飛んでいっちまった、魔王だ。ヤツさえいなければ、こんな結果にはならなかった。お前達は、全員、魔王の戦いの尻馬に乗っただけじゃないか。俺を殺す資格などない」


 ルキナが、肉断ちの剣を空に向かって立てた。め上げてくるユーク将軍の視線に、彼女は冷酷な表情を返す。


「巨人の体、死肉の装甲を無視して内部の蛇だけを殺せる、肉断ちの剣。実際に巨人に使うことはなかったが……同じように巨人の肉体で身を固めた貴様を殺すのには、役立った」


「姫騎士ぃ」


「勘違いするな、ユーク。魔王ダストは初めから貴様など問題にしてはいなかった。ユーク将軍などいつでも殺せる、自分が倒さねばならぬのは神喚び師と、神だと。ずっとそう言っていた」


 肉断ちの剣が世界に舞い散る魔力の粒子を浴び、赤く輝く。


「お前はただの人間で、魔王は人間以上の災厄に挑み、打ち勝ったのだ。お前を殺すのは魔王ではない。魔王がじきじきに手を下さねばならぬほど、お前は上等な敵ではない」


『図に乗るな』


 響いた声は、鬼のような顔をしたユーク将軍のそれではなかった。


 ユーク将軍は自分を見つめて絶句している人々を前に、長い時間をかけて、傷口を押さえていた己の手に、視線を落とす。


 どろどろと血肉がこぼれていたはずの傷口から、真っ赤な女の手が生え伸びて、ユーク将軍の手首をつかんでいた。


『コフィンのメス犬なんかに――この人の価値が、分かるもんか――』


 ユーク将軍が絶叫した。彼の体を覆い、彼の傷口に入り込んでいた肉が、触手が、マリエラの手や足や頭の形を成して、うぞうぞとうごめいている。


 アッシュに切り裂かれた眉間の傷からさえも、細い指が生えて、ユークの顔をなで回していた。


『ユーク。私の、かわいいユーク。どうかおびえないで。こんなゴミどもに、あなたは殺させない。守ってあげるから。私が守ってあげるから。命は守りきれなかったけど……誇りと、尊厳だけは、守り通してあげるから』


「マリエラ……!」


 おぞけに震えるユーク将軍に、彼の胸元をかきわけて生えたマリエラの頭が、血管の走るくちびるで口付ける。見れば直立していた下半身からも無数の手足が生えて、まるで虫のように地を這って来る。


 つき合わされる胴体の断面。将軍がマリエラの頭を必死に押しのけ、叫んだ。「化け物め」と。


「俺に触るな! 俺から出て行け!!」


『かわいいわ、本当にかわいい。わがままで、身勝手で、残酷で。あなたのそういう子供っぽいところ、大好きよ』


 マリエラの顔がほほえんだ直後、二人のすぐわきの地面に何かが落下して、潰れた。


 真っ赤な粒子をまきちらして溶けゆくそれには唇があり、それもまた『かわいい、かわいい』と繰り返している。


 人々が、頭上を見上げた。魔力の粒子が風に乗って吹き荒れる上空に、人影があった。


 数え切れないほどの、女のシルエットが。


『せめて、尊厳を。尊厳と、愛に満ちた……幸せな、最期を』


 巨大なマリエラが吹き飛び、空に散ったあまたの肉片。細かな粒子に分解され溶けゆくそれらがユーク将軍の頭上に集まり、溶けながらに人型をなそうとしている。


 生前のマリエラと同じ形、同じ大きさ。肉色の、何百、何千というマリエラの形が、地上めがけて落ちてくる。


 人々ははじけるように走り出し、その場から離れる。地に座り込んでいたアッシュもルキナにつかみ起こされ、地を蹴った。ただ一人、ユーク将軍だけが体内から生じたマリエラの手足に身を押さえつけられ、逃げられない。


 落ちてくる無数のマリエラが、無数の口でユークへの愛をささやいた。それはまるで不気味な鳥の群の鳴き声のようで、呪いのように、怨嗟えんさのようにうずを巻き、地に響く。


「お前を……お前を俺の神喚び師に選んだのは、間違いだった……!」


 やめろォォ! と絶叫するユーク将軍に、マリエラの群が降りそそぐ瞬間。


 肉色の女達の恍惚こうこつとした顔が、同時に目を閉じ――『しあわせ』と、甘い息を吐いた。




 ユークのいた場所に、赤い血煙と、魔力の粒子が、舞い上がる。


 世界を燃やした少年の断末魔は、意外にもかなり長い間、アッシュ達の耳を震わせ続けた。

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