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十五話 『塵と花売り娘・前編』

「――――ルキナ様の教育係?」


 硬いパンと、干し魚のほぐし肉を入れたスープの朝食を運んで来たナギが、眉根を寄せて聞き返した。


 王城の大食堂。白いクロスのかけられた長大な食卓には、ルキナただ一人しか着いていない。


 壁際には侍女の筆頭であるナギの部下である女達が、五人控えている。

 ナギを入れての六人が、この城に残った侍女の全てだった。他は役目を解かれ、それぞれの家に帰っている。


 ナギが、部下の侍女達にスープ用の塩や、飲み物を用意させながら、ルキナにやや不機嫌そうな声を返す。


「いったい、誰のことでしょう。ルキナ様のお世話をした教育係と言えば、貴族のアンデ・フォストロ男爵か、前騎士団長のカール・ギスタでしょうか。残念ながらお二人ともスノーバとの戦いで亡くなられましたが」


「ナギ」


「あと一人、ええ、確かにあと一人いたような気もいたします。しかしその者の名を口にするのははばかられ・・・・・ますわ。縁起が悪うございます。ダ……なんとかと申しましたか」


「お前はダストの話になると本当にうれしそうだな」


 スープに溶ける塩を眺めながら言うルキナに、ナギは目を剥いて口を開閉した。

 こっそり視線を交わし合う侍女達の前で、ナギがエプロンの端を指でもみながら首を振る。


「恐れながらそれはとんだ誤解でございます。私はあの男を心底軽蔑しているのです」


「友達だっただろう」


「昔のことです」


「父上はお前とダストがくっつく・・・・とばかり思っていたと……」


「ルキナ様! 私は未亡人とは言え、人の妻ですよ!」


 めずらしく真正面から睨んでくるナギに、ルキナは鼻を指で覆いながら「すまん」と言葉だけの謝罪をした。


 ナギは自分を見つめるルキナの視線に、やがて深く息を吐いて耳の横の髪をいじり出す。壁際の女達に聞こえぬよう、ささやくような声で言った。


「かわいい弟のように……いえ、どちらかと言えば妹のように思っていました。女っぽい、軟弱なんじゃくな印象の、ろくにひげも生えない、剣も持てない本の虫。

 指なんて女の私より細くて白くて、黒々とした髪もまるで……まるで若い獣の、たてがみのよう。あの『父子』は顔だけ見れば、性別を間違えるほどに中性的でした」


「ああ、父子……な」


「大抵の女は男らしさのない顔の殿方には見向きもしないものですが、あの父子は一部に妙な人気がありましたわね。父の方は女どもに騒がれてまんざらでもない様子でしたが、ダ……息子の方は、まるで無反応。ひょっとして男が好きなのではなどと言う者さえいましたわ」


「お前だろう、それは。ダストが男色家だと女達に吹き込んでいたのはお前だ。ナギ」


 自分と違って全く声をひそめないルキナに、ナギがちらちらと壁際を見ながら頬をひきつらせる。


「さ、さあ、証拠がございませんわ……」


「私には自分がダストをモノにしたいから、邪魔者を遠ざけているようにしか見えなかったがな」


 ナギが、声を殺して笑っている部下の侍女達を「ここはもういいから兵士達の食事の準備!」と、やや八つ当たり気味に怒鳴って食堂から追い出す。


 スープを口に含むルキナを睨むナギは、鼻の辺りが真っ赤になっていた。


「……若気わかげの至りです。それにあいつは、私も振りました。『姉をめとる気にはなれない』などと、たわごとをぬかして」


「妹扱いしてたのだから、自業自得だな」


「もう十数年も前の話です。私は別の人と結婚しましたし、ダストは結局、誰とも一緒になりませんでした」


 ようやくダストの名を口にしたナギが、再びため息をついて窓の外を見る。


 少し間を空けて、ナギのわずかに小じわの走る目元が、ひくりと震えた。


「ダストは、結局自分が幸せになることなど考えていなかったのでしょう。今なら分かります。あの愚かな男が考えていたのは、いかにして父親に復讐するか。いかにして父親が踏みつけにしたものを救済するか。ただそれだけだったのです。私など……その過程でたまたま出会った、他人でしかなかったのです」


「ダストを最初に王城に連れて来たのは、お前だったと聞いている」


 ナギが、ルキナの方を見て小さくうなずく。その目元がまた、ひくりと震えた。


「私がまだ侍女の見習いで、庭園の掃除ばかりしていた頃です。冬の、建国記念のお祭りの時に、初めて『花売り娘』のお役目を頂きました」


 花売り娘とはコフィンにおける祭典には欠かせぬ存在で、国旗をスカーフにしてまとい、小さな花の形をしたお菓子を入れたかごをげ、王都を歩いて回る国王の使いである。


 建国記念日や、王族の祝い事の際に王城の女達が花売り娘の格好をして民の元を訪れ、貴重な無毒の花の蜜をほんの少しだけ使った菓子を渡すのだ。


 民は国や王、守護神をたたえる歌を歌い、花売り娘を呼び、送り出す。


 花売り娘は言わば、王から民への祝辞しゅくじを運ぶ、メッセンジャーだった。


「お菓子を配って、途中の家でお酒をごちそうになったりして……かごの中がすっかり空になった頃、雪が降ってきたんです。細かい雪でしたが、量が多く、風も出てきたので、その日のお祭りはお開きということになりました。

 人々は家に帰り、花売り娘も城へ戻るよう号令が出て……私は石壁の門の近くにおりましたから、他の娘達より遅れてしまいました」


 ナギの目が、すっと細くなる。長いまつげが、まるでトラバサミの刃のように、噛み合わさった。


「なるべく屋根の下を通って歩いておりますと……雪の中、まだ歌を歌っている者がおりました。それも歌声は王都の端の、共同墓地から聞こえてきます。

 私は奇妙に思って、歌声の方に向かって行きました。すると立ち並ぶ墓標の中に、子供が一人で立っておりました」


「その子供がダストだったんだな?」


「はい。私は初め、例によって女の子かと思いました。よもや迷子だろうかと、声をかけました。でもダストは歌うのをやめないんです。その内、私は彼の歌っている歌が国歌や、モルグの賛歌や、ルガッサ王の王歌おうかでないことに気がつきました。

 彼が歌っているのは、何十代も前の君主の王歌でした」


 コフィンでは、歴代国王の一人一人に、その名を讃える専用の王歌というものが存在する。


 その数は現在確認できるものだけでも五十を超え、最も古い歌になると現代のコフィン人の多くが理解できないような、古代語の歌になる。


 当然全ての王歌を記憶している者などほとんどおらず、多くの民はせいぜい現国王から三代前程度の範囲でしか王歌を歌えなかった。


「さすがに気味が悪くなった私は、ダストをほうって帰ろうかと思いました。けれど歌い終わったとたん、ダストは食いつくように私に話しかけてきたんです」


「……彼は何と言ったんだ?」


「『君に今のが歌えるか』と。私は年下の子に生意気な口を聞かれて、ちょっとカチンときたんです。歌えるわよ、と答えました。それで同じ歌を歌って見せると、ダストは今度は更に一代前の王歌を歌うんです。

 それでまた同じことを訊くので、むきになって歌い返します。私も王城で働く人間ですから、民よりは古い王歌を歌えます。でも、ダストはどこまでも古い王歌をさかのぼり続けて……とうとう、古代語の王歌まで歌ってしまったんです」


 ナギが、わずかに口角を上げて笑った。


 額をかきながら、話を聞いているルキナに横目を向けて続ける。


「歌い返せなくなった私は、ダストに言いました。歌詞の音だけ再現できても、意味が分かってなきゃしょうがないのよ。あなたは自分の歌った言葉の意味が分かって? と。するとダストは、あの生意気な男は、『歌詞の意味を知るにはどこに行けばいい?』と」


「古代語の辞書は、確か王城の書庫と元老院の議場にあったな。民間には出回っていないはずだ」


「はい。王歌の歌詞自体はどこの教会にも揃っていますが、古代語の歌詞は現代の音に直されたものがそのまま発音表記で記されているだけです。意味を訳されているわけではありません。

 私はダストに、古代語の知識を得るには王城に行くしかない。けれどあなたみたいな貧相な風体ふうていの子は門前払いにされるわ、と、ざまあみろとばかりに思いっきり見下して言ったんです」


「生意気さ加減ではお互い良い勝負だ」


 スープを飲み終えたルキナが、白湯をすすりながら笑う。


 ナギは「とんでもない!」と手を振りながら、口をとがらせた。


「ダストは悔しげな顔をするどころか、胸を張っていた私の顔を覗き込んで『ならば俺を王城へ招待してくれ』とほざいたんですよ。『王城で働いている花売り娘よりも多くの歌を歌える俺が、王城の門をくぐれないのはおかしい。ルガッサ王は能力のある者は身分を越えて取り立てる名君と評判だ。ならば現役の家臣より優秀な子供がいるなら、国王の前に出て人物を評価されるのが当然だ』と」


「ははは! 何という言い草だ! 小ざかしい子供もあったものだな」


「あの時は本当に頭にきましたね。お尻を蹴っ飛ばしてやろうかと思いましたが、ふと気づけば歌合戦をしている間にかなりの時間が経ってしまっていました。花売り娘の引きげの号令はとっくに止んでいて、他の娘達はみんな王城に帰っているはずです。

 今更一人で戻ればきっと大人達に『どこをほっつき歩いていた!』とめちゃくちゃに怒られる。そう思った私は、ダストの言うとおりにした方が懸命けんめいだと思い直しました。彼に引き止められ、足止めをされていたせいで遅刻したのだと、言い訳しようと思ったんです。

 だから彼の言葉に同意するふりをして、王城まで連れて行きました」


 それが運の尽き。ダストの思うつぼだったのだと、ナギはまた小さく笑った。

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