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百三十七話 『激闘 後編』

 自分が二つに割れたのが分かった。


 何故そんなことをしてしまったのか、何故そんなことができたのか、もはやマリエラ自身にも分からない。大きく大きくふくれ上がった自分の肉体が、醜くおぞましくゆがみ、炎の怪物と戦っている。


 マリエラはその様子を、どこか離れた位置から見ていた。彼女の肉体はもう彼女のものではない。おびただしい肉の触手も、巨大な手足も、マリエラの精神から独立して別個の生き物のように活動している。


 今のマリエラは、まるで意識だけの存在だ。肉体を失った亡霊のように、意識はふわふわと空中を漂っている。


 いつからか、どの瞬間からか、マリエラは死んでいた。怪物と化した肉体からはじき出された精神は、光に呼ばれることも闇に包まれることもない。


 ただ自分が地獄に変えた世界に、おぼろげに取り残されていた。



【――馬鹿な子。だから清く正しく生きなさいと言ったのに】


 天から、だいぶ前に死んだ母の声が降ってくる。マリエラは自分の形の良い唇を探しながら、うるさい、と心の中で毒づいた。


 臭い馬小屋同然の家で一生を終えた女が、私を見下すな。何が清く正しくだ。何が誇り高い血統としての、正しい生き方だ。貧民がプライドだけ抱えて居丈高いたけだかに生きて、何になるって言うんだ。


【先祖の心を裏切って、一族の役目を放棄して、好き勝手に生きた結果がこのみじめな末路よ】


 顔も知らない先祖から押しつけられた宿命を、疑いもなく伝えるやつこそ、馬鹿で愚かだ。


【大事な遺産を悪用して】


 自分に伝えられた物を、自分の幸せのために使って何が悪い。


【たくさんの命を踏みつけて】


 お前たちは私の意志を踏みつけたじゃないか。宿命なんか継がずに、よその土地に行って幸せになりたいと言った私を、家族総出で家に縛り付けたじゃないか。


【自分だけが良い思いをして】


 私にその価値があるからだ。綺麗で、かわいくて、魅力も魔力も誰よりもある。世界で一番の女の子だからだ。


【――――そうしてついて行った男は、あなたに何をしてくれたの?】




 マリエラは、必死に、ユークとの楽しい思い出を記憶から掘り起こそうとした。


 自分を呪わしい因縁から解放してくれた人。大嫌いな家族を殺して、世界を手にする大冒険に連れて行ってくれた人。


 ユークはマリエラに、魔力の使い道を示してくれた。神を操り戦わせることを任せてくれた。人をちぎり、人を食い殺し、町を国を破壊し攻め落とすことを……


 …………いや、違う。そうじゃなくて。



 そう、ユークは、マリエラを高い地位にすえてくれた。革命後のスノーバでは、マリエラは英雄ユークの恋人としてまるで女王のように扱われた。


 きれいな服を着て、宝石を好きなだけ身につけて、毎日お風呂に入って好きな物を好きなだけ手に入れることができた。


 まるで王族のような生活をして……はなやかに着飾って……


 ……その格好で神に乗って、戦場へ……


 …………





 ユークは、マリエラの髪を、なでてくれた。


 恋人同士がするようなことは何でもしたし、何度も綺麗だと言ってくれた。


 機嫌が悪い時は、ほったらかされたけれど。


 色んなひどいことを言われたけれど。





 …………











 ユークが、自分を女として愛しているわけじゃないことは、分かっていた。


 ユークはマリエラではなく、マリエラが操る神を愛していたのだ。世界を破壊できるほどの兵器を、その力を愛していた。


 マリエラに注がれる愛は、神に注いだぶんの、おこぼれだ。


 あの腐った醜い化け物からしたたる愛の蜜を、マリエラは喜んで舐めていたのだ。







 ――――だが、それが、何だというのだ。


 そんなことが、その程度のことが、自分のこれまでの生き方を、人生の価値を無に帰するとでも言うのか。享受してきた幸せを、否定できるとでも言うのか。


 貧民窟でひたすら使い道のない魔力を磨き、厳しい訓練に花の時代を費やし、貧しい男と結婚して貧しい子を産んで干からびるように死んでいく。それがマリエラに本来用意されていた人生だったのだ。


 そんなものに比べて、マリエラがつかみ取った人生のなんと素晴らしいことか。欲するもののために全力で戦い、全力で傷つき、全力で殺し滅ぼすことのできる人生のなんと美しいことか。人間らしいことか。




 いつしか、天から降ってくる世迷言よまいごとはやんでいた。戦うことも欲することも諦めた愚かな母親の幻聴は消え失せていた。


 ユークがマリエラを神の操り糸として愛していると言うのならば、世界を壊すための道具として愛していると言うのならば、喜んでその役目にじゅんじよう。


 巨大な怪物と化したマリエラの激闘が彼を喜ばせるのなら、肉ひとかけまで分解されようと戦い続けよう。


 愛する男のわがままに、全てを捧げてやる。とことん応えてやる。


 そうする自分の生き方は、人生は、きっとこの世のどんな女のそれより綺麗なはずだ。納得のいくものであるはずだ。




 気がつけばマリエラには、炎に焼かれる肉の痛みと、地を踏みしめる足の感触と、無数の霊体の群を打つこぶしの感触が戻っていた。意識が再び、巨大な醜い肉体に呼び戻されていた。


 あまたの触手が、分断されていた半身同士をつなぎ合わせ、引き寄せる。


 燃えさかる敵の目の前で、マリエラは再び一個の肉色の女の姿にもどり――二本の足で大地に立つと、絶叫と共に攻撃を繰り出した。

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