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百三十四話 『スノーバ人』

 ユークの拳とアルスの額が、同時に骨のきしむ音を立てる。


 二人はくしくも同じような場所を負傷していた。片目は潰れ、手足の半分を砕かれている。打撃を放ったユークの手とひじから血が噴き出し、刃を握るアルスの指がぶちりと悲鳴を上げる。


 けが人同士が、一振りの剣を握り合い、殴り合う。ひじに穴が空いたユークの手と、潰れて肉と骨が混ざったアルスの腕の残骸が何度もすれ違い、互いを打つ。


 ユークは胸をとがった骨に刺されながら、憎悪の塊と化した顔面から声を飛ばした。


「もはや因果など問わない! 俺の下にいるはずの男が俺を襲った理由などどうでもいい! 全て死に絶えろ! 歴史の主役の前に立つ者は……例外なく滅びる運命だッ!!」


「それが本音か!? 『みんなが主人公』と言い続けてきたお前の口が最後に吐く本音がそれか!」


 ユークの指が、アルスの残った左目を音を立ててえぐる。絶叫する敵に、アルスは光を奪われながら回帰の剣を指が落ちるほどに握り締め、歯を剥いて、笑う。





「お前のどこが主役だッ! ユーク将軍、お前は歴史上最悪の――――『悪役』だッ!!」





 アルスが、己の目をえぐる手をたどるように、とがった腕の骨を繰り出した。顔面の位置を狙って突き出した骨が、どすりと肉に埋まる。瞬間アルスの目から指が引き抜かれ、回帰の剣を引く相手の力も消え失せた。


 剣を握ったまま、アルスが仰向けに倒れる。刃を握っていた指は親指と中指を残してそげ落ちていた。剣をひじの間にはさみ込みながら、あわてて身を起こし、片ひざを立てる。


 ユークを倒したかと思ったが、すぐにそんなはずはないと気づく。彼を骨で刺した後、死体が倒れる音が聞こえなかった。遠くで上がる巨大な二体の怪物が争う音と、人々の声。耳に届くそれらに、至近で戦っている敵の物音がかき消されるとも思えなかった。


 ユークはまだ、近くに立っている。アルスは指にえぐられた左目を無理に開き、暗くよどんだ視界に敵の影を探した。


 視界の上半分が消え失せ、かろうじて残った視野もどんどん光を失っていく。黒い小蝿のような点がめちゃくちゃに飛び交い、アルスの左目がやがて機能を失うことを明確に告げている。


 痛いほどにはねる心臓が、焦燥感をあおる。直後。


「やはり『主役』だ」


 予想外に遠い場所から、敵の声が響いた。はじけるように立ち上がり、声の方ヘ駆け出そうとするアルスの肩に、何かが、突き立った。










「うぉおおおおオオッ!!」


 わけもわからず絶叫するアルスを、ユークは墓地のわきの、半壊した小屋の屋根の上から見下ろした。


 血に染まった自分の衣を破り、えぐられた目と、穴の空いたほほに巻きつけながら、息をつく。


 ユークの眼下では、血まみれのアルスが大きな獣に肩を噛み砕かれ、引きずられていた。


 コフィン人達が飼っていた、巨大な狐、ドゥー。それに良く似た獣。


 それはユークの知るドゥーと違い、眉間にいくつも深いしわを刻んだ凶悪なかおをしていて、後足で直立している。


 その毛皮にはスノーバ冒険者のものと思われる刃がいくつも突き刺さっている。


「……コフィン人どもが用意したか。まったく、まったく想定外の連続だが……結局はお前と同じだよ、アルス。『因果などどうでもいい』……主役のために運命が用意した、奇跡のひとつと受け取ろう」


 まったく、怖いくらいの、幸運だ。


 暗く笑うユークの前で、悪魔のような獣がアルスの体を投げ上げる。宙を舞ったアルスがユークの目の前を通り過ぎ、石畳に音を立てて叩きつけられた。


 血まみれのアルスに、化け物が直立したまま近づく。


 ユークは屋根の上に避難したまま、さて、とあごに手をそえる。死闘の最中に心当たりのない化け物が乱入し、敵を殺してくれるのはいいが、丸腰のユークはこれから地面に降りて剣を回収しなければならないのだ。


 どのタイミングで屋根から下りるべきか。化け物が死肉をあさっている最中か、それとも、とどめを刺す瞬間か。


 今のユークには、獣に追われて逃げ切れるほどの脚力はない。相手が食事に移った最中に気配を消して動くほうが得策だ。


 倒れたアルスに、猛獣の牙が近づく。ユークは腰を浮かし、回帰の剣の方ヘ視線を投げた。


「俺の奇跡だ。俺の物だ」


 牙が、アルスの首に埋まる音がした。ユークが機を逃さず飛び降りる。










 ……足から着地するはずだった。なぜ、顔面から地面に落ちたのだ。


 首が立てる致命傷すれすれの音に血の気が引く。ユークのえぐれた眼窩から、嫌な汁がもれた。


 何が起きた。強打した全身の痛みのせいで事態が把握できない。地面を押して、仰向けに体を返した。




 屋根の上、ユークが座っていた位置の真後ろに、青白い霊体が居る。


 何故だ。何故こんなおかしな場所にそんなものが居る?


 魔王に呼び出された亡者どもは、今はマリエラと戦っているはずだ。こんな戦場の端に居る亡者など――


 ユークは霊体の握る剣の先に付着した、己の血液と靴のきれはしを睨んだ。足首を背後から切られた。左足の痛みに気づくと同時、霊体の頭部にゆれる、ネズミの皮でできた大きな帽子にも意識が向く。





 端役だ。





 また、端役だ。取るに足らない、ゴミクズが…………




「俺の……! 俺の足をッ!!」




 レオサンドラが、ユークの護衛にと腕利きの冒険者達を連れて来た、あの日。


 最初にアルスが紹介され、次にあの役立たずのサリダが紹介され、そして――三番目に引き合わされた、三人組。


 『神聖三剣士』とユーク達自身が称号を与えた者どもの、一人。暴走した神が、聖なる大蛇が最初に喰らった、入植者。


「るぐらん」


 血の泡を吹きながら落とされたアルスの言葉に、霊体は無言で屋根の上から跳んだ。頭をかばうユークの目の前で、霊体がアルスを喰らう化け物の首筋に、刃を突き込む。


 全体重を落下の勢いに乗せて放たれた一撃は、化け物の首から胸まで刃先を到達させ、そのまま剣の柄を破壊する。


 化け物が、声もなくアルスから牙を離し、目の前の霊体の腕をつかんだ。ばきばきと音を立てて腕がむしり取られ、青い粒子と化す。がくりとひざをついた霊体にさらに爪を立てようとした化け物が、しかしごぼりと黒い血を口からこぼし、突っ伏した。





 ユークが、完全に筋を断たれた左足を引きずり、半ば這いずるようにして逃げる。回帰の剣が拾われたが、霊体もアルスも、もはや彼を追おうとはしなかった。


 追う力など、なかった。


 霊体は、残った右腕で化け物の下敷きになったアルスを引きずり出す。すでに息はなかった。霊体が、アルスとずっと共に冒険を続けてきた剣士ルグランが、大きな帽子の奥から、おだやかな声を落とした。


「帰ろう、アルス――――我々の家へ――――」


 俺達の、祖国へ。


 青白い片腕が、アルスを抱き起こす。肩を貸すように遺体を運ぶルグランの帽子が、魔王の熱気をはらんだ風に払い落とされた。


 今度の仕事は、疲れたな。


 しばらく休んでも構わないだろう。


 サリダが来るまで、酒でも飲んでいよう。


 お前の好きなぶどうの酒を、俺の好きなりんごの酒を、一瓶ずつ買おう。


 飲み歩きながら、帝都を散歩しよう。


 皇帝シデオンのいる、帝都を。みんなのいる、帝都を。



 俺達の帝都を。



 すでに動かぬ友に語りかける亡者の声が、墓地から遠ざかって行く。


 血に染まったネズミの皮の帽子が、二人の背後に、取り残された。

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