百二十九話 『魔王のカタチ』
戦う者達の上げる嵐のような咆哮に、一人の女の、断末魔に等しい悲鳴が混じった。
今、アッシュの目には、破壊される王都も、膨れ上がる肉色の怪物も映ってはいない。
魔王の遺物アドに抱きすくめられながら、目の前で青白い亡霊の群に吞み込まれるダストだけを見ていた。
青い炎に包まれ白骨と化したダストの上に、どこからともなく集まってきた亡霊達が押し潰さんばかりに重なり合い、共に燃え上がっていく。
やめて、やめて、と繰り返し叫ぶアッシュを、アドが力任せに引きずる。今までスノーバ軍や神と戦っていた亡者達が、四方から押し寄せて来ていた。アッシュ達のわきを通り過ぎる死者が、いやに穏やかな口調で、口々につぶやきを落としていく。
『やはり』
『やはりだ』
『この誘いは、最後の』
『最後の抵抗への、呼びかけ』
『あの炎だ』
『あの炎が【力】だ』
『あの青い炎に集え』
『霊体を』
『魂を投げ出せ』
『我らもろともに』
『復讐の火種なれば』
『魔力の炎を燃やせ――もっと強く!』
様々な姿をした亡者達が、炎の中に身を投げ出していく。兵士、戦士、騎士……貴族、一般人。男も、女も、大人も……子供の亡者すらが、自ら火に包まれた。
「何で!? 何でなの!!」
目の前で何が起こっているのかすら分からず、アッシュが、アドの腕を抱きしめて泣いた。
アドは勢いを増す青い炎から、ひたすら遠ざかる。彼女の肩を、不意に大きな手がつかんだ。
見れば、鉄の大兜をかぶった亡者が炎を睨んでいた。アドの人骨でできた肩を一度ゆすってから、低く「任せろ」と言う。
「見てたぜ。バケモン。神相手によく戦ったじゃねえか。何者か知らねえが……後は、任せな」
「マグダエル! 先に行くぞ!!」
大兜の亡者のわきを、ちぎれた羽毛のマントをなびかせた亡者が走り抜ける。そのすぐ後に、ヘラジカの頭蓋骨をかぶった亡者が続いた。アドの肩から、霊体の手が離れる。
「――やっつけてやるからな!」
鉄の大兜が、青い炎の光を反射しながら揺れる。兜を固定する鎖が引きちぎられ、大兜が地に投げ捨てられた。
咆哮を上げ、炎に向かって行く亡者。この場に集う亡者の全てが、自ら炎の中にくべられていく。
アドは、やがて自分の腕にすがって泣いているアッシュのえりをつかんだ。そのままひざを折り、共に地に座り込む。
泣きながら眉を寄せるアッシュに、「見て」と蚊の泣くような声で言った。
「そういうことだったんだ……やっと……やっと知ることができた……」
「アド……?」
「魔王の『末路』……行き着く『先』……! きっと、きっとラヤケルスも、父さんもここに行き着いたんだ!」
アッシュが、アドの視線の先を見る。
王都を侵食する肉色の怪物を背に、亡者達の上げる炎が高く燃え上がり、青い光を放っている。亡者を取り込むたびに空へと近づいていく青い炎……その頂に、二つの不自然な穴があった。
炎の中に、ぽっかりと空いた二つの空洞。その形がわずかに鋭く細まったと思うや、炎全体がごうごうと音を立てて形を歪め始めた。
炎が伸び上がり、収縮し、異様な動きで変形する。それは周囲の建物を越すほどの大きさの……人型。
青い炎が、巨大な人間の形をとっていた。
二つの空洞は今、人型の目の位置にある。その真下の炎が、ばりばりと音を立てて横に裂けた。
それは人で言うところの耳元まで裂けた、大きな口だ。青い炎の巨人がまがまがしい顔面を空に向け、一度大きく震える。
次の瞬間、炎の巨人の額から、まるで角が生えるように三本の太い火柱が上がった。
「あっ!」
アッシュが声をあげ、アドの腕を押しのける。
魔王。異形の巨体。三本の角。
確かに、確かにどこかで聞いたキーワードだった。目の前の光景は、それを構成する要素は、かつて誰かに話して聞かされた覚えがある。
唇をかむアッシュの脳裏に、古代樹の家で最初にラヤケルスの環の本を見た時の、ダストの言葉がよみがえった。
『冒涜者ラヤケルス。またの名を、魔王ラヤケルス』
『一説には、巨大な体躯の』
『三本の角を持つ、恐ろしい魔物の姿だったと言われている――』
アドが、炎の巨人の地についた手足になおも飛び込んでいく亡者達を見つめながら、人骨ののどが砕けるような、悲痛な声で叫んだ。
「これは父さんの魔術の『末路』だ! 父さんの罪の形だ! 命の灯火を操作しようとした魔術師が、最後には自分の魔力の火に焼かれて怪物と化す……!
自分が呼び出した亡者とともに燃え上がる炎の巨人! これが……ラヤケルスとダストの『終着点』だったんだ!」
二人の女の前で、炎の巨人は取り込んだ霊体の青白い光を放ち、無数の人の声の混ざった咆哮を、空に打ち上げた。