百二十七話 『ダスト』
「地獄だ……」
神を喰らう、マリエラの顔をしたモノを前に、ガロルが戦車の上でうめいた。
空をゆっくりと飛ぶ触手の群には、食いちぎられた神や蛇の、そして亡者と人間の肉片がぶらさがっている。
コフィン兵の一人が、戦車に向かって来た一本の触手に火炎瓶を投擲した。
火炎瓶が割れ、肉色の触手が燃え上がる。悲鳴を上げてもだえる触手を、ルキナが手にした肉断ちの剣で両断した。
炎をまとったままの触手が戦車の上に落ち、のたうつ。セパルカ王が大きな足で、赤い蛇に似た頭部を踏み潰した。
水っぽい音を立て、潰れる触手。ぐりぐりと炎が消えるまで踏みにじったセパルカ王が、足をどけてからけげんそうな顔をした。
「妙だ。この肉色の蛇は殺しても赤い光にならんぞ。死体がそのまま残りおる」
「たぶん……『それ』は、今までの赤い蛇とは無関係のものです。魔術で操られた、魔力の影響を受けた寄生虫とは、別個の存在でしょう」
ルキナの言葉に、セパルカ王が片眉を上げて「ほう」とひげをさする。
肉断ちの剣に付着した生臭い体液を見つめながら、ルキナは言葉を続けた。
「我が国の古代魔術に精通している者が言っていました。魔術は自然のありさまをゆがめる、冒涜の術であると。強大な魔術を使った者は、そのために犯した冒涜の代償をいずれ払わねばならぬようです」
「代償」
「人ならざる姿に変わってしまうこともある、と、言っていました」
戦車上の全員の視線が、空高く在るマリエラの顔面に向けられた。
「その肉色の触手は、マリエラ、神を操っていた女の一部です。彼女の体がきっと彼女の意志とは関係なく……暴走した魔力にゆがめられ、膨張したのでしょう」
「じゃあ、あの怪物の中身は我々と同じ人間だというのか」
ルキナが、細く息を吐きながら首を傾けた。
「彼女なら……『聖人』、いや……『神』と呼べと、言うと思います」
この期に及んでも。
顔を引きつらせるコフィン人達の中心で、セパルカ王が獣のような貌で、哄笑を上げた。
世界が燃えていく。青い炎に包まれていく。
遠く、自分の名を呼ぶアッシュの声が聞こえた気がしたが、すぐに耳朶が燃えて聴覚を失った。
ダストは自分の肉体が消失していくのを感じながら、青い炎の中で考えた。
この後、世界はどうなるのだろう。アッシュはどうなるのだろう。ルキナは、ガロルは、ナギは、サンテは……コフィンはどうなるのだろう。
スノーバの神は、ユーク将軍は倒れるだろうか。
彼らを倒したとして、スノーバ本国からさらに災厄が渡って来るかもしれない。
自分と関わった人々は、生き残れるのだろうか……
『うぬぼれるなよ。貴様一人の命で何もかもを救えるものか』
青い炎の壁から、血まみれのスノーバの国旗をかぶった男が顔を出した。血走った目で、すでに骨と化しつつあるダストを睨みつけてくる。
『まっとうな人間はな、一人二人の他者を人生をかけて救うもんだ。だから貴様はそれすらできない父親を憎悪し、死に追いやった。だが、より多くを救おうとして全員を地獄に落とすバカもいる。貴様のことだ』
「一人くらい、生きられないかな」
『誰を生かす? アッシュか? ルキナか? ガロルの小僧や、ナギか? ただ一人生かしたところで焦土と化した大地で幸せになれるのか?
ラヤケルスと同じだ。魔王になる人間はどいつもこいつも自分のことしか考えちゃいない。自分の感情と都合で他者を生かそうとし、失敗する』
国旗の男が、ダストの骨の手をつかんだ。炎が炸裂し、ダストの焼け残った肉が全て灰と化す。
国旗の狼の眼と口にじわじわと血がにじみ、ダストの髑髏にぼとぼととしたたり落ちる。
『もはや命では足りぬ。肉体の死をささげても時代は救えない。貴様のすべてを魔王の名の下にささげよ』
「すべて……」
『みなを救えるなら、魂など』
ダストの髑髏に落ちた血が、音を立てて蒸発していく。
国旗の男が、ダストの声で言った。
『死後の安寧など、要らぬ』
――ああ、そうだ。
自分の魂が、人格が、歴史が滅び去ったとしても。
それが、いかほどの痛痒となるというのだ。
「すべてを、ささげる」
『人間ダストのすべてを』
「魔王ダストにささげる」
『貴様のすべては滅び去り』
「お前に成り代わる」
……お前は、魔王。
魔王として俺が使った魔力の、権化。
ダストがつぶやいた瞬間、国旗の男がけたたましく笑い出し、炎が、すべてを包み込んだ。