百二十三話 『集結』
「アドッ! 避けてーッ!」
アッシュが、飛び散る人骨の破片から顔を守りながら叫んだ。
腕をもがれたラヤケルスの遺物に、空を仰いだままの神が手を伸ばしてくる。その手中には引きちぎった遺物の腕があり、数多の人骨が絡み合ってできたそれが、音を立てて遺物自身の眼窩に突き込まれた。
青い魔力のともし火、遺物の右の眼光が、絶叫と共に掻き消える。遺物の残った拳が神を叩くが、人骨の集合体に何度打ちすえられても、神は敵の眼窩に突っ込んだ腕を放さない。
まるで卵のからが割れたような音を立て、遺物の引きちぎられた腕が、遺物の頭部を貫通した。
人骨が組み合わさってできた遺物の形が、みるみる分解されていく。アッシュの体を捕まえていたアドの腕が、不意に力を失って伸びきった。
悲鳴を上げて投げ出されかけた体を丸め、アドの真っ白な体にしがみつく。アッシュの目の前で、瞳のない人外の眼球が、ごろごろと回っていた。
「遺物が……『みんな』が壊れていく……あの人の守りたかった屍達が……ばらばらに……」
「アド……!」
「いったい、何様だってんだろう」
アドの顔面に細かい線がいくつも走り、磨き上げられた骨片のパーツが、人造の顔肉が、震える。
遺物の指が神の手首に食い込み、その腐った皮膚をかきむしった。
「こいつに、こんなやつに、私達を終わらせる権利があるってのかよ。私達の因縁を踏み潰す資格があるってのかよ。こんなやつに、こんな……」
つらぬかれた遺物の頭部が、崩壊した。空中に舞い散る白骨の群と共に、その上にいたアドと、アッシュも、重力に引かれて落ちて行く。
かろうじてアドの背骨の尻尾が命綱となり、二人は遺物の肩のあたりに宙吊りになる。落下の衝撃で今度こそ空中に放り出されかけたアッシュも、ぎりぎりでアドの指に服が引っかかり、天地逆の状態で吊られた。
しかし彼女の体重を支える麻布は大きく破れ、身動きをすれば簡単に引きちぎれそうだ。死にかけのウサギのような声を上げるとアドが再び手に力を入れ、足首をつかんでくれるが、この姿勢では二人ともどうにもならない。
頭の先、地上に近い空中を、無数の矢や槍が行き来している。地上にいる人々が神へ投げ上げる刃。数え切れないほどの生命が、未だ諦めずに牙を剥き、抵抗している。
だが、これほど巨大な遺物が挑んで勝てぬ敵を、人間の手で倒すことなどできるのか。
アッシュは苦しげな声を上げるアドに顔を向けて、必死に息を吸いながら、叫んだ。
「アド! どうすればいいの!? どうすればみんなが生きられるの!? 私にできることがあったら言って! 今、遺物を動かしているのは、遺物を支配する魔術を使っているのは、私なんでしょう!」
「……」
「何でもする! 難しい呪文でも、魔法円でも、がんばって使ってみせるから! 血液でも魂でも、なんでも捧げてあげるから!! だからみんなを、助けてッ!!」
「いったい……人を、なんだと思ってんだろうねえ」
アドが、のどをのけぞらせてアッシュを見た。ぐにゃりと笑う目元が、ひくひくと震えている。
「魔術の媒体に必要な、血液はともかく…………魂だって……? 私を、悪魔か、死神だとでも思ってるのかよ。むかつくなあ、この、田舎者の、ちんちくりんが」
「アド……!」
「あんたの魂なんかいらないよ。アッシュちゃん。もういいんだ。あんたは何もしなくていいし、私ももう、無理して頑張らなくていいんだ」
がくんと、世界が揺れた。目を見開くアッシュの眼下で、遺物の下半身がまるで砂山のように崩れ、ただの人骨の群に還って行く。
遺物が次第に沈んで行き、逆に地上から人骨の山が上がって来る。自分の名を叫ぶアッシュを無視して、遺物の核たるアドは妙に楽しげに、言った。
「『神』よう、よくも私らを壊してくれたね。愛しい魔王の魔力の光を、かき消してくれたね。でも、いいさ。もういいさ。分かっちゃったからね。魔王ラヤケルスは、その作品は、やっぱりあんたなんかとは、格が違ったんだ」
神の手から、引きちぎられた遺物の腕が、ぼろぼろと崩れてこぼれ落ちていく。
「何故、空を仰いでるんだ。何故、私にとどめを刺さないんだ」
アドの背骨の尻尾がぼきりと折れ、彼女とアッシュの体が直下までせり上がっていた人骨の山に、受け止められる。
アドは崩壊する遺物の形に、その最後の指に向かって手を振りながら、神に勝ち誇った笑みを向けた。
「二人の魔王は、すでにあんたに勝っていた」
神の天に向けられた口から、青い細かな光が、あふれている。
「父さんが作った環を。ダストが王都に描き。私と、アッシュが――そこに、てめえをブチ込んだんだ」
遺物を倒した神の手が、青い光のあふれる口に伸ばされ、赤子の断末魔のような悲鳴が、轟いた。
「千年越しの反撃だ。――ざまあみろ! ヒルノアッ!!」
アドが叫んだ瞬間、神の口から、さらには耳や眼窩から、瀑布の水煙のように、光がほとばしった。
「ルキナ様! 神の様子が……! あれはダストの魔法円の光です!」
「神の中から光が!」
ガロルやコフィン兵達の声に、ルキナは思わず神へ向かっていた足を止め、立ち止まった。
白骨でできた怪物を破壊した神が、絶叫しながら空中を掻いている。その体からあふれる青い光は、神の体や、飛び出た赤い蛇の表面を流れ、次から次へと湧き出て来る。
状況を吞み込めず焦る彼女に、突如わきから凄まじい大声が飛んできた。
「ごきげんよう小さなルキナ姫ッ!! 楽しんでいるかぁッ!?」
「! ……セパルカ王!」
巨大な戦車に乗ったセパルカ王が、単独でルキナ達の方ヘ突進して来る。その勢いに後ずさるコフィン人達の眼前で、戦車は荒々しい音を立てて土を削り、側面を向ける形で停止した。
舞い上がる土煙に咳き込むルキナに、セパルカ王が悪鬼のような顔で笑いながら手を差し出してくる。
「武器が尽きてな! 兵らのものを奪うわけにもいかぬゆえ、代わりを探しておったところだ! そのでっかい長剣をくれぬか!? 神の肉に突き立てて来ようぞ!」
「セパルカ王! 国王御自ら剣を持ち援軍に来てくださったこと全身全霊で感謝いたします! しかし……あの神からあふれ出ている光にお気づきですか!?」
「おう! 少し前からちょろちょろと漏れておったぞ! 近くに行けばよりはっきり見える!」
セパルカ王が答えると、再び神の悲鳴が地を揺らした。見れば神はあらぬ方向に手を突き出し、王都の中にひざをついている。
神の口から伸びた巨大な蛇が、うねりながら建物に突っ込み、暴れ狂う。
「! 王都を……おのれッ!!」
「違うぞ戦士団長殿! そこは悔しがるところではない! 『見たか!』と溜飲を下げるところだ!」
歯を剥いたガロルに、セパルカ王が笑顔で叫んだ。びりびりと鼓膜を震わせる声に顔をしかめながら、ルキナが訊き返す。
「どういう意味です! 神に何が起こっているのですか!?」
「何! 小さなルキナ姫のあずかり知らぬことだったのか!? ……ならば、そなたはよほど死者に愛されておるらしい!」
死者? 目をしばたかせるルキナに、セパルカ王が神にまとわりつく青い光を指しながら、言った。
「あの、神の額にしがみついている最も高き光を見よ! そなたらの国の国旗をマントにして羽織った、青い人影を見よ! 分からぬとは言わせぬ、あの青い光は、全てが人の形をしているのだ!」
コフィン人達が、息も吐けずに絶句した。
青い光は、そのほとんどが神や蛇の体に密集して宿っているため、形をはっきりとは識別しにくい。しかし確かに、神の額に、最も高い位置に輝く光の中には、セパルカ王の言うとおり、ボロボロに引きちぎれたコフィンの国旗が透けて見えていた。
国旗を、モルグの紋章をマントに刻んだ、鎧騎士。
コフィン王国において、その装いが許される人間は常に、たった一人しか存在しない。
「――――父上――――」
ルキナが、神に食い殺され、その屍すら取り戻されなかった国王を、呼んだ。
神の額に、二本の剣を突き立てるコフィン国王、ルガッサの亡霊。
ガロルが己の胸に拳を押し当てながら、ようやく息を吸い込んで言う。
「そうでした……陛下……あなた様が、いらっしゃらないはずがなかった……ダストが、最初にコフィンを想う亡者を呼び出した時……あなた様がおいでにならなかったのは……」
『そこ』に、閉じ込められていたからなのですね。
ガロルの言葉に、戦いの最中にもかかわらず、多くのコフィン人達が王の亡霊に向かってひざまずいた。
ルキナが肉断ちの剣を握り締め、全身を震わせながら歯を食いしばり、無理やりに口端をつり上げる。
王都の石壁の中に神が倒れ込んだ時、魔法円が最後の光を空に放った。あの時、きっとダストは、再び亡者の霊に呼びかける魔術を使ったのだ。
ただし今回はその魔術の力を、ある一点に集中させた。即ち魔法円の内側、ダストの領域に踏み込んできた……神の、体内に。
今まで、神は数え切れないほどの国家を滅ぼし、そこに住む人間を食い殺してきた。
数多の国の戦士や勇者、王族、民の屍が……その腹の中に、あるのだ。
それが今、一度に甦り、青い魔力の光をまとって神を内と外から、攻撃している。
神の口からとめどなくあふれる青い光に、どす黒い血液が混じり始めている。神と蛇の体に様々な武器が突き立てられ、その皮を、肉を、はがしているのだ。
「友よ、よくぞ戻って来た。……少しばかり、遅参だがな」
ルガッサ王に向かってつぶやいたセパルカ王が、直後にやりと笑い、ルキナの腕を取る。
あっという間に戦車の上に引き上げられたルキナに、セパルカ王が自分の胸を叩きながら大声を放った。
「送ろう! 小さなルキナ姫! コフィンセパルカ両国の主が、あの暴虐の巨人に引導を渡すのだ! 家来達も乗れ! 我が国で最も速いロードランナー達の脚力に度肝を抜かれるがいい!!」
「……はい! セパルカ王!」
ルキナは気合を込めて答え、ガロル達にうなずいた。
セパルカ王の戦車は、おそらく、彼が最も好む類の目をしたコフィン人達を乗せ、再び神の元へと走り出した。




