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百二十一話 『女』

 思い知らされた。


 身悶えできるということが、悲鳴を上げられるということが、どれほど恵まれたことだったのかを。


 罪を背負い、後悔に唇を噛み破り、救いではなく報いを待ち続けるだけの人生だったとしても。


 それでも生きて、懺悔の言葉を口にできる内は、まだ恵まれていたのだ。


 赤い蛇の宿主としてのスノーバ兵。ものも言えない操り人形となった今、サンテにはあらゆる抵抗も、贖罪も、身悶えすらも許されない。


 ただ勝手に動く肉体の感触と、目の前の惨劇を強制的に見せられ続ける……生ける屍としての実感だけが、彼女にのしかかっていた。


 裏切り者のハルバトスの死。自分達スノーバ兵をかきあつめ、口に入れる神のまがまがしい顔。


 腐れた皮膚、ひびわれた歯、どす黒い舌と、その奥でうごめく蛇の群。


 目の前で咀嚼される同類達。押し潰れんばかりに体にかかる圧力。


 地獄の光景を見続けたサンテは、今、神の歯の隙間にゴミのようにひっかかっていた。


 巨大な臼歯に押し潰される寸前、神が食事を中断し、別の行動を起こしたらしかった。激しく揺れる口中から兵士達がこぼれ出し、地面へ落ちて行った。


 あるいは、その方が救われたのかもしれない。神の口の中には、サンテのように噛み潰されもせず、歯や死肉の溝にはさまった兵士が何人も残留している。


 彼らもまた、この巨大な屍の内側を見続けるしかないのだ。


 これが、この無惨な末路が、自分にふさわしいものであることは分かっている。


 だが、震動に身を揺さぶられ、神の腐った吐息に全身を撫でられ続けるこの実感は……あまりにも、耐え難かった。


 殺してくれ。


 せめて、無惨な死を乞うぐらいのことは……許されないだろうか。


 神の喉奥から、火のような咆哮が上がって来る。


 全身がバラバラにされるような、すさまじい衝撃。


 悲鳴を上げたい。もだえ苦しみながら、それでも耳をふさぎたい。


 力を失い、揺さぶられるたびに開いたり閉じたりしていたまぶたの奥から、何かの拍子に水滴がこぼれた。






 何故、それをぬぐう者がいるのだろう。





 サンテはにじんだ視界の真ん中にある細い指に、にぶい思考をわずかにめぐらせた。


 ここはどこだ。神の口の中だ。そんな場所で何故、笑う者がいるのだろう。


 呆れたような、哀れむような、ほんの少し慈しむような、響き。




 不条理にも、死体のようなサンテの身が、わずかに、持ち上がった。












 ぶつかり合う二つの巨体。世界に飛び散る骨片と瓦礫。


 混迷の極致に至った戦場で、それでも人々は己の前の敵を倒し、再び態勢を整えるべく行動し続けていた。


 王都内の兵士、負傷者、民間人と可能な限り合流したルキナ達が城門外に移動すると、神を追撃する味方の群が目の前にあった。


 生者、亡者の何十人かが、ルキナの姿を見つけて駆け寄って来る。その更に後方には、土煙を上げて進軍するセパルカ軍の姿と、食い散らされた挙句に完全に動きを止めたスノーバ軍の姿も見える。


「ルキナ様! あの白骨の集合体は一体……!」


「神と戦っています! あれも魔王の眷属けんぞくなのでしょうか!?」


 兵士達の問いに、ルキナではなくガロルが、ようやく意識を取り戻した魔術管理官のロドマリアに顔を向け、声を上げる。


「ダストは、自分が神と神喚び師を始末すると言っていた。あの白骨の集合体がダストと縁のある存在だという可能性はあるが……しかし、あれが神を打倒するための切り札だとは思えん。

 あの怪物は、王都から光が放たれる前に現れた。ダストの魔術で召喚されたわけじゃない。そうだな、ロドマリア?」


「……少なくとも最後に王都を輝かせた光は、あの怪物に作用するものではないように見受けられました。光が空に上ったタイミングを考えても……おそらくあれは、神に作用する魔術……」


 ルキナが、神を見る。王都の石壁の周囲で暴れ狂う巨人の屍……「何かが変化したようには見えんが」とつぶやきながら、手にした剣をぎゅっと握り締める。


「いずれにせよ、戦うしかない。あの滅びの権化を倒さぬ限り、我らに明日はない」


「ルキナ様」


 不意にわきから、女の声が飛んできた。見れば、姿の見えなかったナギとチビが、数人の民と共に草の上に屈みこんでいる。


 無事だったか! 思わず笑みを浮かべたルキナが、次の瞬間息を呑んで立ち尽くした。


 ナギが、草の中からスノーバ兵の頭を抱え上げたのだ。その頭から地面に伸びる豊かな黒髪と、静かに閉じられた目を見て、コフィン兵達もまた言葉を失い、口をつぐむ。


「――――サンテ――――」


 ようやくスノーバ兵の名を吐き出したルキナに、ナギが黒髪を手ですきながら、顔を上げた。


「もう、息がありません……心臓も、止まっています」


「……」


「でも……今、妙な人が……」


 チビが、ルキナに歩み寄りながら声を上げた。その手に抱えられた物を見て、ルキナが数度まばたきをする。


 サンテが使っていた、肉断ちの剣。抜き身のそれを抱えたチビが、ルキナに剣の柄を差し出す。


「青白い、見たこともない服を着た亡霊が……これで、あのお姉さんを斬れって」


「何!?」


「斬れば希望が見えるって。神を倒す方法にもつながるかも知れないって。でも、僕達……その……踏ん切りがつかなくて……」


 サンテを斬る? 妙な亡霊? 神を倒す方法? 要領を得ないチビの話に顔を見合わせる兵士達の前で、しかしルキナは無意識に肉断ちの剣の柄をつかんでいた。


 とっさに近づいて来て「私が」と手を伸ばすガロルに、ルキナは無言で目を向け、首を横に振る。


 サンテの屍の前に立つと、ナギ達が数歩後ずさって退いた。


「……肉断ちの剣……勇者ヒルノアの遺産……その特性は……力は……」




 命あるものだけを斬る(・・・・・・・・・・)




 かっと目を見開いたルキナが、サンテに肉断ちの剣を振り下ろす。


 刃は頭頂からまっすぐにサンテの肉体に入り、ぶつりぶつりという感触を残し、土に沈んだ。


 命なきものには突き立たない刃。それは確かにサンテを、大地を傷つけることなく通過した。では……今の感触は、何か。




 サンテの屍が、びくりとはねた。一同がまばたきも忘れて見つめる中、サンテの肉体が細かくけいれんし……唐突に開いた口から、赤い粒子が飛び出した。


 血しぶきのように、空中に噴き上がる粒子。その中から赤い蛇が悲鳴と共に飛び出し、ぼとぼとと地面に落ちた。


 切り裂かれた断面から、急速に霧散する蛇。唾を吞み込むルキナの隣で、ガロルが眉間にしわを寄せながらうめいた。


「剣が、死んだ宿主を無視し、生きた蛇だけを斬った……命ある存在だけを殺す、刃……ヒルノアの、遺産……!」


「神は、巨人の屍に生きた寄生虫の群が宿った存在だ。肉断ちの剣なら、屍を無視して蛇を直接攻撃できる……?」


「武器の特性としては有効でしょう。しかしあの巨大な蛇の群を殺すのに、このサイズの剣が一振りだけというのは……」


「遺産の中でその剣だけが異様に長大だったのは、勇者ヒルノアに、同じ発想でその剣を神殺しや、屍の軍団を統べるラヤケルスとの戦いの切り札にしようという意図があったからなのかも知れませんな」


 ふらりと進み出たロドマリアが、他の魔術管理官達とともにサンテに歩み寄る。「でも大方、量産するには、あるいはより大きな武器を作るには、自分の寿命では間に合わぬと一振り作ってから気づいたのでしょうよ」……サンテの顔や喉をなでながら、ロドマリアがため息を吐く。


 次の瞬間、ロドマリアがわきに落ちていた槍の残骸をつかみ上げ、サンテの胸に柄を振り下ろした。どすりと音を立てて胸に埋まる柄。


 目を剥くルキナ達の前で、ロドマリアが狂ったようにサンテの胸を叩き続ける。ガロルがあわてて槍を握る手を取ろうとすると、ロドマリアが「やめなさい!」と鋭く声を上げた。


「やめなさいじゃないだろう! いかにスノーバ人と言えど彼女は我々に……!」


「腹いせに死体を殴っているわけではありませんぞ! ほら! ほら!」


 ロドマリアの声に、うぐっ! という苦しげな声が重なった。見ればサンテの眉間に、しわが寄っている。


 唖然とするガロルとルキナの前で、サンテが口の中に残った赤い粒子を吐き出しながら、盛大に咳き込み始めた。


 他の管理官達に介抱を任せながら、ロドマリアが槍の残骸を放り出して額の汗を拭う。


「……体に損傷がほとんどないようでしたので、何らかの事情で致命傷を受けずに心臓だけが止まっているのではと思ったのです。赤い蛇は別に死体しか操れないわけではないのでしょう? 聞くところによれば『生ける屍』と化すそうですからな、宿主は」


「い、一度止まった心臓を、動かしたのか……?」


「お許しください。かつて魔術と共に封印された、王家の一族にのみ使うことが許されたとされる蘇生術でございますが……呪文も魔法円も使わない、医術に近いものでございます。魔術ではございません。

 文献の記述を思い出し手探りで施しただけでして……姫様さえお許しくだされば、きっと魔術関係の法には触れないものと……」


 周囲の人々の視線に次第に声が小さくなるロドマリア。


 しかしルキナは咳き込むサンテの声を聞きながら、笑顔を抑えきれずに「許さぬはずがないだろう」と、歯を見せていた。


 サンテの肩を抱くルキナに、ほっと胸をなでおろすロドマリア。するとガロルが不意に視線を上げ、いまだ戦闘中の神と、白骨の塊を見た。


「しかし、肉断ちの剣の特性をこうも正確に把握し、神の打倒に利用することを示唆しさするとは……ナギ達の前に現れたという亡霊は、どう考えてもコフィンの兵士や民ではない……

 ナギ、件の亡霊は、どこへ向かって行ったのだ?」


「分からないわ。この混乱でしょう、いきなり現れてすぐにどこかへ……でも、女だったわ。身なりのいい女性よ」


 女。ガロルがつぶやいた直後、耳が引きちぎれるような凄まじい咆哮が空気を揺るがせた。


 神が、白骨の怪物の腕を引きちぎりながら天を仰いでいる。ルキナが未だ咳き込み身動きできないサンテをナギに預け、肉断ちの剣を持ち上げ、叫ぶ。


「兵の半分は負傷者と非戦闘員を守り後退しろ! もう半分は私とガロルと共に、神を攻撃する!」


「無茶です! ルキナ様も後方に……!」


「同胞やセパルカ王までが神に向かっているのだ! 私が下がって何故皆が戦える!!」


 ルキナが走り出す前に、ガロルと数人の戦士達が彼女の前に立って武器を用意する。


 背に様々な視線を受けながら、ルキナ達は神へ向かう人の流れの一つとして、戦いに復帰した。

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