百十九話 『閃光』
石壁前で円陣を組み戦っていたルキナ達が、王都の外から響く巨大なモノの足音に戦慄する。
視界を埋め尽くさんばかりに集まってくる赤い蛇の群。その脅威の向こうから、さらに決定的な死の気配が近づいて来る。
石壁の外で多くの味方の声がするのに、ルキナ達の加勢に来る者はいない。神が、すぐそこまで迫っているのだ。
「さあさあこれから大逆転!!」
蛇と、コフィン兵達の悲鳴の間をぬって、高い笑い声が響いた。剣を振るルキナの視界の端に、民家の屋根の上に登った青白い亡霊の姿が映る。
亡霊は空に向かって両手を掲げ、一人哄笑と共に声を張り上げていた。
「我々の勝ちだ! コフィンの勝利だ! どう転ぼうとこれから何が起きようと、絶対に結果は変わらない! これほどの人々が立ち上がったのだ! これほどの亡者が駆けつけたのだ!! 今更『やはりダメでした』なんて、誰も納得しないぞ!!」
赤い蛇の牙を剣で受ける。勢いに弾き飛ばされるルキナを、兵士の一人が受け止めた。円陣の中に入り込んだ蛇を、ガロルが叩っ斬る。
屋根の上の亡霊に、背後から蛇が忍び寄っている。だが亡霊は空に臨んだまま声を張り上げ続ける。
亡霊の見つめる先に、生白い、巨大な顔が建物の陰から現れた。
「侵略の神よ、仲間達よ、我が美声を聞け! 再びあの世へ送り返されようとこの声は止まぬぞ! 我が声は賛美の歌だ! 祖国コフィンの繁栄を確信する男の勝ち鬨だ!!」
ルキナが剣を構え、走りながら叫ぶ。演説好きの亡霊が、背後に立ち上がる赤い蛇を振り返り、人さし指をつきつけた。
「先に行く! 頼んだぞ、同胞達ッ!!」
亡霊の声に神の耳ざわりな咆哮が重なり、青白い霊体が、蛇に吞み込まれた。
「誰か! 誰か神を止めろッ! 誰でもいい! あのバケモノに俺達の王都を滅ぼさせるなッ!!」
向かって来る蛇を切り裂きながら、豆泥棒マグダエルが叫んだ。巨大な神の移動速度に、生身の足では追いつけない。彼のそばで矢を撃ちつくした狩人が、潰れたスノーバ兵の槍を拾い上げ、神の背へ投擲する。
だが、地を揺らして石壁へ向かう神に槍は届かない。山の方から流れてきた風にあおられ、槍は何もない草むらへ落ちて行った。歯ぎしりする狩人の肩に、山頂から運ばれてきた細かい雪が降りかかる。
草原に散ったコフィン兵達が、亡霊達が、セパルカ軍が、必死に神に向かって攻撃を仕掛けるが、その歩みを止めることができない。
セパルカ王の怒号が、マグダエルの叫びに重なった。神が青白く輝く石壁に到達する。
だが、神は、すぐには石壁を攻撃せずにその外周をまわり始めた。火炎瓶や矢の攻撃を受けながら、青白い光の線をたどる。
やがて、光の線が一際高く盛り上がっている場所にたどりつくと、ぐぐ、と腰を曲げて顔を壁に近づけた。
壁の上に、光の中に、魔王が立っている。その足元には、壁にひっかかった蛇の死骸と、折れた霊体の剣があり、共に空気中に霧散しつつあった。
赤い蛇の粒子と青白い霊体の粒子が混ざり合い、魔王の背後に舞い上がる。神の眼窩で抱き合うマリエラとユークが、至近から魔王に視線を向けた。
「殺してやる」
「終わりだ、魔王」
勇者の子孫達の台詞に、魔王ダストはうっすらと笑みを浮かべた。靴をわずかに動かすと、足の下に隠されていた小さなラヤケルスの環の光が解放され、ダストの姿をさらに明るく照らし出す。
神が、大きく右手を天に向かって振りかぶった。
――――冷たい。
迫る神の右手に臨むダストの耳元を、山から運ばれてきた粉雪と共に、小さな、ささやくような声が通り過ぎた。
ダストの真っ白な瞳に、それが映りこむ。今まさに右手を叩きつけようとしている神の顔に、音もなく殺到する、骨の手。
おびただしい数の、長い長い白骨の手が、次の瞬間神の横面に槍の群のように突き刺さった。
ぐるりと後ろを向いた神の首がめきめきと音を立て、振り下ろされようとしていた右手がダストの目の前で旋回する。
間髪をいれずにさらに多くの骨の手が飛来し、神に攻撃を加える。それぞれの手の、拳骨や手首が砕けるほどの一撃の積み重ねが、巨大な神の姿勢を崩す。
空を仰ぎながらぐらりと傾く神の眼窩で、ユークが意味をなさぬ叫び声を上げた。
「――――信じられん」
つぶやくダストの目の前を、ラヤケルスの遺物の一部が行き来する。
遺物には、ラヤケルスの環を介してダストの死後もアッシュを守るよう命令を下してある。
その遺物がここにいるということは、ダストの魔術的命令を誰かが更新したということになる。
誰かが。……ダストの頭の中で、様々な情報が噛み合い、白色の目がさらに驚嘆に大きく見開かれた。
「君か……君なのか、アッシュ……君が、俺を……!」
骨の手の攻撃を受け続ける神の上半身が、石壁の上空を通過した。
ラヤケルスの環の中に、神が、入った。
遠く、骨の手の群が伸びてきている方角から、神とは別の巨大なモノの移動音が聞こえてくる。耳をすませば、あるいは、残して来た彼女の声が聞こえるかも知れない。
ダストは石壁に倒れ込もうとする神の眼窩から、血走った目でこちらを見ているユークに、裂けんばかりの獣のような笑顔を返した。
地に眠る、深き星の火の心臓
黒く燃ゆる、炎の名の下に
「俺達の牙を受けろッ! バケモノどもオォッ!!」
神が、ダストのすぐそばの石壁に接する瞬間。王都全体がまばゆく光り輝き、青い閃光が空を突き刺した。




