十二話 『報い・後編』
その男はルキナ王女の三人いた教育係の一人で、まるで女のようなツラをしたいかにも軟弱そうな、学者だった。
分野を問わない広く深い知識、見識を持つ男で、国王にひどく気に入られていた。
そんな男が、食卓でうつむいているルキナの皿に、自分の財産である乗用動物のドゥーの肉を置いたのだ。
香草でくるまれた焼き肉の塊に、ルキナだけでなくその場にいた全員の目が丸くなった。もとより、コフィンでは獣の肉は日常的に消費されるものではなく、塩漬けにしておいて祭日や祝い事の時に掘り起こして食べるのが常である。
まして巨大な狐であるドゥーはコフィン人の種を越えた友とも言える存在であり、飢饉に際してもその肉に手がつけられることはまずない。
人が人を食わぬように、人がドゥーを食うこともまた、同程度の禁忌だった。
そんな生き物の肉を王女の皿に置いた男は責められてしかるべきだったが、その時は何故か、誰も男をいさめようとはしなかった。
男があまりにも堂々としていたために、また彼が王城一の知恵者と呼ばれていたがために、下手に無礼を指摘すると手痛い反撃を食らわされるような、そんな言い知れぬ予感がしたためかも知れない。
事実、国王ルガッサは一瞬驚きの表情を浮かべたものの、すぐに神妙な顔つきになり、男をとがめはしなかった。
ルキナは自分のそばに椅子を引いて来て座る男に、ひどく傷ついた表情で言ったものだ。
「料理してしまったのか? 自分のドゥーを?」
それから繰り広げられたルキナと男の会話は、ガロルにとっては人生で初めて、王家の人間として生きることの厳しさや、過酷さに触れた機会となったのだ。
「ルキナ様が何も召し上がらないと聞いて、精をつけていただこうと」
「ばかな……あんなにかしこくて、美しいドゥーを……おまえだって、あんなにかわいがっていたのに」
「はい。ですから、ルキナ様には残さず食べていただきます」
食べないのなら、捨ててしまいます。
食卓に片腕を載せ、人さし指で静かに叩きながら言った男に、ルキナは今にも泣き出しそうだった。
さすがに同席していた家臣の一人が見かねて、男に非難めいた声を上げた。
「ダスト殿。それではあまりに姫様に対して無体であろう。食事は楽しんでするものであって、嫌な思いまでさせて無理強いするものではござらんぞ」
「いいえ、たとえルキナ様のお心が痛もうと、この肉は食べていただかねばなりません。ひとかけも残してはならぬのです」
「『ならぬ』とな? 王族に対して義務を課すおつもりか? 無礼であろう!」
「我らが王女が他国の笑い者になってもよいとおっしゃるか」
男、ダストの言葉に、家臣達がにわかにざわめいた。
誰もがルキナの節制と断食を、称えられこそすれ、笑い者になるなどとは考えていなかったのだろう。
確かに完全な断食を続けて、倒れられでもしたら困るが、それも民を思ってのこと。部屋の隅で槍を立てていたガロルも、ダストの言葉の意味が理解できなかった。
ただ一人、国王ルガッサだけがわずかにうなずき、自分の料理を食べ続けた。
ダストはそんな国王の前でルキナに顔を向け、落ち着いた声で話しかける。
「ルキナ様。今、この国は歴史に残る大飢饉に襲われています。民はあえぎ、苦しみ、日々命を落としています。私の故郷の村も、同様です。先日、幼なじみの親友が飢え死にしたと報せがありました」
「……」
「私は他の知恵者達、元老院と協力し、なんとか民の食糧を確保しようと策をひねり出していますが……餓死者を完全になくすことは、未だできていません。おそらく小さな村のいくつかは、壊滅するでしょう」
しん、と部屋が静まり返った。ダストの人さし指が食卓を静かに叩く音と、ルガッサの食事の音が混ざり合い、人々の耳にとどく。
ダストが、表情を一切崩すことなく、続けた。
「しかし、必ず飢饉は終わらせます。この地をむしばむ豪雨も、いずれ止むでしょう。我々の策は、近い将来必ず実を結び、全国民がパンを口にできる時代を取り戻します。たとえ村のいくつかが滅びても、国はけして滅びません」
「でも……じぶんの村が滅びても、おまえはがまんできるのか? ダスト」
「我慢などできません。ゆえにこの王城で、知恵者として、抗っています。飢饉と戦っています」
「このドゥーの肉……私より、故郷の村にとどけたかったのではないのか……」
「それはわしが禁じたのだ」
国王ルガッサが、突然会話に口を挟んだ。目を丸くするルキナに、ダストが無表情に言う。
「国全体に食糧が行き渡るよう、備蓄食糧や支援物資の管理は全て陛下と、その知恵者の合議によって行われています。民間はともかく、国王配下の者が個人感情で食糧を他にまわすことは厳しく禁じられているのです。これを許すと王城内で混乱が起き、食糧の奪い合いに発展する恐れがありますからね」
「……ダスト……」
「ルキナ様。王家の忠臣として申し上げます」
不意に目に強い光を宿すダストに、ルキナが喉を鳴らした。
「王家とは、国の頂点、国の象徴です。民の命を預かり、未来を預かり、国の行く末を決める存在です。次の時代の王家を継ぐあなた様が、今、民と共に飢えては元も子もありません」
「民への思いやり方が、まちがっていると言うのか?」
「はい。間違っています。王家の人間は、自国の民と、他国の人間の目に常にさらされています。王家こそが国を表すと考えられているからです。だからこそ王族は、つねに国で最高の衣をまとい、料理を口にし、立派な生活をしていなければならないのです」
貧相な生活をしていれば、民の尊敬が離れ、他国にあなどられる。それが戦火を呼び、滅びを招く。
ダストはルキナの目をまっすぐに見つめ、少しも臆することなく、言い切った。
「王族の贅沢な生活は、権利ではありません。国を守るための、義務なのです。たとえ民が飢えていようと、あなたはその肉を、食さねばならない」
若き日の記憶を思い返していたガロルは、やがて自分を見つめる議長の視線に、燃えるような怒りの目を重ねた。
議長はそんなガロルに、ため息まじりに声を放つ。
「ルキナ王女は、優しすぎたのだ。幼少の無知ゆえのことではない、王女の資質、心根が、残酷な国と国との争いに挑むには、あまりに不適格だったのだ」
「貴様は八年前の、たった一度の出来事でルキナ様を見限ったわけか。幼かったあの方の振る舞いを、まるで鬼の首を取ったかのようにあげつらい、あざ笑い、そして裏切ったのか」
ガロルが、右手を背後に向かって伸ばした。戦士の一人がその意図を察し、ガロルに自分の剣を差し出す。
受け取った剣をゆっくりと構えるガロルに、室内の議員全員が息を呑んだ。
議長が顔をしかめ、まるで哀れむような表情でガロルを見上げる。
「やはり、分からぬか……しょせん戦士のそなたには、政治のことなど……」
「俺に分かるのは、貴様ら元老院が最悪の売国奴だということだけだ。スノーバが領土に攻め入って来た時、お前達は即刻迎撃すべしとの国王の意志に反対し、無意味な会議で国王の御身を引き止めた。その間に国境警備隊は壊滅し、民は虐殺され、防衛拠点となりうる場所を全て敵に奪われたのだ」
「スノーバの圧倒的戦力の前には、同じことだ。敗戦を元老院のせいにしても……」
「あげく国王が崩御されると、まるで邪魔者が消えたかのように、当然のように敵軍に使者を送り、降伏を取り決めてしまった。
それらの独断専行の言い訳にルキナ様を引っ張り出すその根性……まして降伏後の後始末をルキナ様に押しつけ、スノーバとの交渉に向かわせておきながら、その裏をかく形で議場内から敵と密通する、その捻じ曲がった根性……!」
ガロルの手が、ぶるぶると震え始めた。
この怒りを、憎悪を、相手にぶつけずに収めることは不可能だった。
もはや観念したのか、床に腰をつけたまま動かない議長に、ガロルは最後に問いを向ける。
「王家を見限り、民を犠牲にし、スノーバの将軍に媚びを売った先に、貴様らはどんな未来を描いていたのだ? えらそうなことをぬかしていたが、貴様らのやり方でコフィンが存続するとは到底思えん。スノーバにいいように利用され、吸収されるだけだろうが」
「……スノーバはどうせコフィンを滅ぼす気だ。我々には、それを止める力がない」
議長が、不意に表情を消してガロルを見た。血まみれの右手をおっくうそうに持ち上げて、みょうに低い声で、言う。
「ならば……いっそ、滅ぼさせてしまうのが、よい。我々元老院は、そう考えたのだ」
言葉が出なかった。
唖然とするガロルに、議長は何がおかしいのか口角をつりあげて喉を鳴らす。
「王家の臣であるそなたには、思いも及ばぬことであろう。だが元老院は、あくまで民の代表としての、助言機関なのだ。民のために、王に意見を述べる……我々が仕えるのは王ではない。民なのだ。コフィンの全国民なのだ」
「国が滅びて民が生きていけると思うのか!」
「国とは何だ? 王家か? 王城か? 領土を構成する土地や、建物か? ……ガロルよ、国とは、国を形作るものとは、即ち民なのだ。人間なのだよ。人間が死に絶えた場所は、国とは呼べない。
逆に……人間が生きてさえいれば、国は保てるのだ。人間が生きている場所が国なのだ。たとえそこが、コフィンという名で呼ばれなくとも、問題はない」
怖気が走った。議長の言うことが理解できないからではない、言葉の一つ一つは理解できるからこそ、そのあまりの浅はかさに戦慄せざるを得なかったのだ。
国は土地建物ではなく、人間こそが要。
人間が生きていれば国は保てる。
正論だ。限りなく真理をついている。だが、その真理は子供にでも理解できるような、ごくごく初歩的な理に過ぎない。
実際の国は、土地建物はもちろん、形のない文化や歴史、言葉や物語や、国民が共有する誇りをもってまとめられている。
最も重要な人間という存在が一か所に集まり、国という組織を維持していくためには、人間以外の要素もまた、不可欠なのだ。
それを元老院は、人間さえ生かせば他の全てを捨ててもいいと、そう考えているのだ。
議長の、己の正しさを一切疑っていないまっすぐな視線が、顔を引きつらせるガロルを射抜く。
「闘技場での一件は、罪人を処分して食糧を浮かせるという建前……その実、スノーバ側に我々の『意志』を示すためにやったことなのだ。罪人の処分、ひいてはコフィンの法の執行権をスノーバと共有することで、コフィンはスノーバに最大限つき従うという態度を見せたのだ。
王家はどうあれ、民はスノーバのためにどんなものでも差し出す。法でも、文化でも、それこそ王家でも」
「き……貴様……!」
「そうしてコフィンは解体され、スノーバになる。民はスノーバの国民……とまではいかなくとも……名誉国民ぐらいにはしてもらえるだろう」
ガロルは剣を振りかぶり、飛び出さんばかりに目を剥いて議長を睨んだ。
議長は切っ先を見上げたまま、口を動かし続ける。
「ガロル、世界を今一度冷静な目で見よ! この雑草だらけの陽も差さぬ草原に国を構え続ける理由がどこにある!? 民は麦も芋も隣国からの輸入物としてしか知らず、貧弱な作物とも呼べぬ植物を何百年も大事に育てている! 雑草と、ごく一部の麻だけがコフィンの大地の恵みだ! そしてその出来次第で飢饉が起こり、餓死者が出る!
こんな土地は、そもそも人の住むべき場所ではなかったのだ!」
「黙れェエッ!!」
「王家も文化も歴史も幻だ! 捨てるべきなのだ!! 国民全員が強大なスノーバの二等国民として再出発する時がきたのだ! そして百年もスノーバのために働けばどこか豊かな植民地を任せてもらえるかも……」
咆哮が、議長の最後の言葉をかき消した。ガロルの剣が議長の頭を割り、あごの下から飛び出す。
ばっくりと両断された議長の頭部が、守護神モルグの像の足元に落ちた。
一瞬室内が恐慌状態に陥りかけたが、返り血に顔面を真っ赤に染めたガロルが視線をめぐらせると、議員達は口を押さえ、黙り込む。
「――全員、議長と同じ考えか」
あまりに低い、悪魔のような恐ろしい声に、答える者はいない。
ガロルはその場で剣を凄まじい勢いで振り回し、刃に付着した血液と脳漿を議員達へと飛ばした。
悲鳴を上げる彼らに、ガロルの喉も裂けんばかりの怒号が襲いかかる。
「自分の国を切り売りする者を、他国の人間が信用すると思うのか! 俺がスノーバの将軍なら、王家や法を笑顔で差し出す民などけして受け入れぬ! 祖国を裏切るような人間が、縁もゆかりもない外国を愛する道理がないからだ! そんなことも分からんのか!!」
ガロルは議長の死体に刺さっていた自分の剣を引き抜き、議場を歩き出す。
両手に刃を下げた彼に睨まれた議員達は一様に床にひれ伏し、頭を抱え、もはや口ごたえもしなかった。
自分を見つめる戦士達に、ガロルは議場を去りながらに、声を飛ばす。
「王家と民の目をあざむいた議員は議員たる資格がない! 国の消滅を画策したこいつらは罪人だ! これより元老院議場は牢獄と化す……扉を封鎖し、見張りを常に五人以上置け! 許可なく出入りしようとする者はスノーバの手先として問答無用に斬り捨てよ!」
戦慄する議員達。ガロルは目も向けずに、彼らに最後に言い捨てる。
「安心しろ、食糧は運んでやる。モルグの目の中で、自分達が滅ぼそうとした国の未来を見届けるがいい」
高く響く靴音が、血臭ただよう議場から、遠ざかっていった。




