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百十八話 『醜悪』

 神の体に、数え切れぬほどの刃の群が襲い掛かる。生白い皮膚に跳ね返り、突き立つ剣と短槍。


 神の眼窩に入ったマリエラとユークの前に、無数の蛇が網のように体を渡し、主人達に攻撃が到達しないよう防御する。


 眼窩に張り巡らされる赤い蛇の体。


 神の両目が、血の色に染まる。


 巨大な足に蹴散らされるスノーバ兵が空中を舞い、地面に激突する。地上を這う赤い蛇すら踏み潰し、神はコフィンの石壁へと迫る。


 セパルカ軍の他に、コフィンの戦士達や亡霊達も火炎瓶や弓矢を放ってくるが、神がそれらに対して反応を示すことはない。


「殺す! 殺す! 魔王の息の根を止める!! 神よ、あの青い光をかき消せェッ!!」


 マリエラが叫び、青く輝く石壁へ憎悪の目を向けた。その半壊した顔面がぼこぼこと音を立て、頭部や頬骨の形がいびつに歪む。


 飛び出さんばかりに膨張する右目。


 震えながら殺せ殺せと繰り返すマリエラへ、逆の眼窩からユークが低い声を放った。


「王都の中へは入るな。ハルバトスが、魔王の魔法円の話をしていた……あの青い光を放つ『形』を崩せば、魔王の魔術は無効化できるはずだ。石壁を外から破壊しろ。壁の向こうに神を行かせるんじゃない」


「ぶっ殺してやる! 全部壊して潰してやるわ!!」


「マリエラ」


 ひたすらに殺意を表明し続けるマリエラに、ユークがさらに低い声を出す。


 神の足が、丘のわずかな起伏につまずいて地形を吹き飛ばし、ぐらりとバランスを崩した。


 轟音と共に地面に両手をつく神に、周囲の人間達が攻撃を集中させる。


 苛立ちもあらわに叫ぶマリエラの声。ユークが、目の前の蛇に突き立つ矢を見つめながら、つぶやく。


「お前は、もうダメだな」


 コフィン人とセパルカ人達の怒号が飛び交う中、マリエラの叫び声が途絶えた。


 ユークが首をひねると、蛇に体を吊られたマリエラが音もなく隣に移動して来ていた。


 彼女の胴と手足を支える蛇が、ずるずると伸び縮みする。いまや、まるで赤ん坊の頭蓋骨ほどの大きさにまでふくらんだマリエラの目が、ぎょろりと最愛の少年を見た。


「ダメじゃないよ? ユーク、私はダメじゃないよ?」


「俺の言うことも聞かない、まともに返事すらできない。このユークの持ち物である兵士達を勝手に消費し、このユークの武器である神を勝手に傷つけている」


「全部あなたのためなのよ? 私はあなたの……」


「お前の体の異変には、とっくに気づいていた」


 マリエラが、ユークに伸ばそうとした指をぴくりと止めた。「はぁ?」と口を大きく開ける彼女に向けられるユークの目には、ありありと軽蔑の色が浮かんでいる。


「二人きりになるたびに、さかりのついた犬のように肌を求めてくる。俺の前で裸になりたがり、撫でてくれ愛でてくれと甘えてくる。自分が美しい愛おしい女だとつけあがり、俺に愛されて当然の存在だと図に乗ってきた。だが、マリエラ……お前の美しさなど、とうの昔にケチがついていたんだ」


「とうの昔って……」


「お前の体を抱くと、腹の中で何かがうごめいているのが分かった。背中や首の裏側から、得体の知れないものが俺の手を押し返してきた。半年ほど前からだ」


 お前は気づいていなかった。


 ユークの言葉に、マリエラは無言で顔を彼に寄せた。大きな眼球に覗き込まれるユークの表情は、ひたすらに冷たい。


「最初は、お前自身が自分の意志で聖なる蛇を体内に仕込んでいるのかと思った。神と共に戦場へ赴く神喚び師なら、自分の肉体を不死身化しておこうと思っても不思議じゃない。

 だが、お前の体に蛇は宿っていなかった。お前は傷を受ければ血を流し、薬を塗って治療していた。お前の今の異常な生命力は、聖なる蛇によるものじゃない」


「……なんで……なんで、教えてくれなかったの?」


 ユークの体に巻きついた蛇達が、ぎし、と揺れた。拘束された手足に蛇の体が食い込む。


 マリエラが、ぎゅっと唇を噛み、声を震わせた。


「もっと早く言ってくれれば、原因が分かったかもしれないのに。私の体がおかしくなるのを、止められたかもしれないのに。なんで……」


「神と蛇を直接操っているお前が把握していない事態だぞ。つまりは、お前の魔術の効果からは離れた現象ということだ。……俺は、お前の体の異変はきっと、魔術の『副作用』だと思った」


 動きを止めた神に、敵の攻撃がさらに勢いを増して浴びせられる。


 だがユークも、マリエラも、今はお互いの顔を睨み様子をうかがっていた。


 ユークの唇が、嘲笑の形にゆがむ。


「過ぎた力を振るい、世界を破壊し続けた代償がお前に降りかかっているのだと考えた。ならば、お前が神を動かすほどにお前の体は得体の知れない何かにむしばまれていくことになる」


「私が、神を動かすのを怖がると思ったの?」


「目に見えるようだった。自分の体が知らぬ内に不気味にうごめき歪んでいることを知ったお前が、俺に泣きついて役目を放棄したがるのがな。誰か他の者に神喚び師の任をゆずり、引退させてくれと駄々をこねただろう」


 そうはいくか。


 ユークがマリエラに顔を寄せ、その崩れた眼窩の名残にほほをつけた。


「お前ほど扱い易い馬鹿女はそうはいない。愚鈍な俗物だが、俺に依存しきっている。だからこそ神を任せられた。俺の神喚び師は、お前にしか務まらない。何が何でもお前に神を掌握していてもらわねばならなかった。

 だからリスクを黙っていたんだ。気づいていないなら、そのまま死ぬまで気づかなければいい」


 ユークの腕が、みしりと音を立てた。彼を捕まえている蛇が歯を剥き、ぎりぎりと肉体を締め上げる。


 低く、小さく、酷いと繰り返すマリエラに、ユークは突然目元をゆるめ、ついばむように口付けながら言った。


「お前は俺のために神を動かし、命を削っている時だけ愛しい。俺に惚れ、俺に愛されるためにあらゆる意志と抵抗を放棄している時だけ愛する価値がある。分かるか、マリエラ……今のお前は」




 完全に、無価値だ。




 蛇が口を開け、ユークに牙を剥いた。複数の蛇がユークの首筋や、手足に襲い掛かる。


「――――」


 マリエラが、醜く膨れ上がった眼球を転がしながらうつむいた。


 ユークの体に歯を立てた蛇達は、しかし皮を裂き破る寸前で停止している。


 ユークが、笑みを浮かべてマリエラの髪に顔を埋め、深く臭いを嗅ぐ。


「そうだ。マリエラ。それでこそ、君だ。そうしている君だけが、俺に愛されるんだ」


「……」


「さあ、魔王を殺そう。俺の言うとおりに石壁を壊そう。全部終わったら、君が好きなことを好きなだけしてあげる。君がどんな醜い姿になっても、従順でさえあれば……君は幸せになれるんだ」


 神が、ゆっくりと起き上がる。


 マリエラはぶつぶつと低く恨み言を言っていたが、やがてユークが拘束のゆるんだ手で彼女の体を抱くと、ぐったりとその身を相手にゆだねた。

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