百十六話 『捕食』
マリエラは飛散した蛇が全て大地へと降り注いだのを確認してから、右手を神へと向け、「来い」と命じた。
体内の蛇のほとんどを放出した神は、体の各関節をぎこちなく動かし、手足を奇妙に引きずったおかしな動きで、マリエラとユークの元へと移動し始める。
地を揺らしてやって来る神を見つめていると、マリエラの背中に突然鉄の刃が突き立った。眼球を転がせば、スノーバ兵の中に埋もれた豆泥棒マグダエルが、狩人を肩に乗せたまま周囲の敵兵の剣を奪い、こちらへと投擲している。
すでに無数の矢につらぬかれていたマリエラの体に、飛来する刃が次々と命中し、骨肉を断つ音を立てる。
「――くそっ! 何故死なねえッ!!」
大兜の奥から放たれる怒号を、マリエラは笑顔で受けた。彼女の眼前に、神が立つ。
マリエラは兵士の中に身を隠していたユークに手を伸ばし、その指を取る。「行きましょう」とほほえむと、ユークは無表情に言った。
「俺は負傷している。足手まといになる。兵士達を再び戦闘可能な状態に戻して、お前一人で神に乗れ」
「私一人で?」
「いつもやっていることだろう。兵士達は各自その場に残し、周囲の敵だけを排除するよう改めて命令を下しておけ。お前はコフィンの王都に行き、魔王を殺せ。やつはまだ王都にいる」
ユークが睨む先では、コフィンの王都の石壁が青白く輝いている。立ち上る魔力の光……だがマリエラは、左の腿にマグダエルの放つ刃を受けながら、首を横に振った。
「一緒に来て。あなたが必要よ」
「……犬のように忠実に従え。そう言ったはずだな」
「私、変なの。見て分からない? ほら、こんなに、こんなにズタズタにされてるのに、痛くないの」
突き立った矢や、剣を示し、マリエラが歯を見せる。
「おかしいわ。絶対おかしいわ。私、自分の体を不死身にした覚えはない。神の力で不死身にしたのは、マキトだけよ。彼一人だけよ。私自身の体は、きれいなままのはずなのに」
「マリエラ」
「変なの。変なの。おかしいの。私、どうなってるの? 何が起きてるの? 分からないのに、一人にしないで。一緒にいて」
私の隣にいて。
マリエラがユークの手首を、手かせのようにがっちりとつかむ。その瞬間二人のそばに立っていた神が、腰を折って巨大な顔を寄せてきた。
あっという間もなく、神の左右の眼窩から綱のような蛇が伸びてきて、ユークとマリエラの胴をからめ取る。
目を剥くユークの手首を握ったまま、マリエラが無邪気な声で笑う。二人の体が持ち上がり、神の眼窩へと引き寄せられる。
「マリエラッ! よせッ!!」
怒号を吐くユークに、マリエラはひたすら笑顔を向ける。彼女の指が、やがてユークの手首を切なげになで、離れた。ユークが神の左の眼窩に、マリエラが右の眼窩に入り、さらに数匹の蛇に体を固定され、さながら神の瞳のように宙吊りにされる。
「二人で戦いましょう。他には誰も、何も、必要ないわ。私をなぐさめて、勇気づけて、ユーク……あなたが一緒なら、私、怖くないの。怖くないのよ」
「やめろ! 何をする気だ!!」
神が、巨大な両腕を広げ、硬直したスノーバ兵達をまるで麦の実をかきあつめるように両手につかんだ。がさっとひとまとめにされた銀色の兵士達が、大きく開かれた巨人の口に放り込まれる。
味方をばきばきと咀嚼する神の眼窩で、マリエラが何がおかしいのか高らかに笑った。
「補給しなきゃ。兵士達の蛇を。私とユークが安心して戦えるように、もっともっと神を元気にしなきゃ。小さくても戦力にはなるわ。力を返してもらうの」
「よせぇッ!! 俺の軍団を勝手に……!!」
「あなたと私と神さえいれば、軍団も、民も、国も、いくらでも再生できるじゃない。いくらでもよそからぶん捕ってこれるじゃない。そうよ……スノーバは、私達で作り出せるのよ。私達が作る国がスノーバなのよ」
そうよ。そうだわ。繰り返すマリエラの足下で、神がスノーバ兵の陣をかき集め、次々と食らってゆく。
悪夢のような光景の中、巨大な手から逃れた豆泥棒マグダエルと狩人が、コフィンの王都の方角ヘと駆け出していた。神から離れて行くマグダエルが、一度だけ、ユークを振り返った。
「――救いようもねえッ!」
大兜の奥から放たれた言葉に、身動きのできないユークは、ばきりと奥歯を大きく噛み鳴らした。