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百十五話 『騎士』

 それはとてもゆっくりと空を舞い


 それはまるで風に乗った種子のようにふわふわと


 危険な赤い光をまき散らしながら


 やがて人々の逃げ場を奪うべく


 コフィンの空に満ち満ちる








 空を見上げる者の元に、牙の生えた異形の蛇が、矢のように、隕石のように降りそそいだ。


 大小さまざまな大きさ、形の蛇が、上空から人体に突っ込み、押し潰し、喰らいつく。


 世界を震わせる阿鼻叫喚。建物や岩の上に落ち激突死する蛇は血肉を散らし、草や屍の上に落ちた蛇や、一定以上の巨体を持ち落下の衝撃に耐えた蛇が、そのまま地を這って人々を襲う。


 蛇の体それ自体を肉の投擲物とうてきぶつとして敵にぶつけ、その後生き残った蛇による捕食と殺戮に移行する。戦場にいる者を残さず皆殺しにするための、捨て身の攻撃だった。






 巨大な蛇が数匹、目の前の石壁にまともに落下して死肉の塊と化した。


 壁際でガロルに抱きすくめられていたルキナが目を開けると、周囲で噴き上がる赤い粒子がまぶたの内側に滑り込んできた。


 蛇達の死骸。それに押し潰された、人間の死体。


 事前に物陰や屋根の下に潜れなかったコフィン兵の何人かが、見るも無惨な姿で地べたに転がっていた。


 視界の端に、ずるずるとうごめく長大な赤いものが見える。ルキナの噛みあわせた歯がガチリと鳴り、手が無意識にガロルの腕を押しのけていた。


 地面に転がる剣の一つを拾い上げると、そのまま生き残った蛇へと斬りかかる。死体の血を舐めていた丸太のような蛇がぐるりとルキナを振り返り、振り下ろされる刃を歯で受け止めた。


「この虫けらがぁッ!!」


 怒声とともに、ルキナが剣の柄をむりやり歯の隙間にねじこみ、蛇の舌に刃を突き立てる。


 かっと再び口を開いた赤い蛇が、悲鳴と共にルキナの首を呑み込もうと跳ね上がった。ノコギリのような歯が鼻先に触れた瞬間、ルキナの目の前に白刃が落ちる。


 剣を握ったガロルが、蛇の頭を断ち割っていた。刃は高い音を立てて砕け、千切れかけた蛇の頭が、ルキナのほほを歯で削りながら後方へ飛ぶ。


 石壁に激突した蛇が、身をくねらせながら、落ちかけた口で鳴いた。とどめを刺すためそちらへ向かおうとしたルキナを、ガロルが鋭く呼び止める。


「ルキナ様! 指揮を!!」


 振り向けば、王都の中に降りそそいだ蛇が、無数に家や石畳、仲間の屍の上を這って寄って来ていた。生き残った石壁周辺のコフィン人達が、その包囲網にじりじりと後退して来る。


 蛇は、目に見える範囲だけで、十匹以上。それもどの個体も大きく成長していて、馬の体高に匹敵するものもいる。


 ルキナは自分の周囲を固めに来る兵士達の得物を確認しながら、石壁からやや離れた石畳の上を指差した。


「円陣を組め! 戦える者は外側に、負傷者は内に入れて守れ! この場の敵を殲滅し味方と合流するぞッ!!」








 不幸中の幸いと言うべきか。飛来する蛇の雨をしのいだケウレネス達の視界には、動いている蛇は一匹もいなかった。


 石畳に叩きつけられ、赤い粒子と化す蛇の死体を眺めながら、ケウレネスは仲間達に声を飛ばす。


「負傷者は!?」


「……信じられません、これだけの蛇が降ってきたのにみな無事です! モルグの加護があったのでしょうか」


 石壁に背をつけた若い騎士の返事に、ケウレネスが小さく息を吐き、隣のサリダを見る。


 サリダは剣を構えたまま、呆然と潰れた蛇を見つめていた。


「ひでえ……聖なる蛇……スノーバの神話を……こんな風に使い捨てるのかよ……」


「……みんな聞け! 王国内に赤い蛇が降りそそいだ今、石壁は破られたも同然だ!」


 サリダを放置して、ケウレネスが仲間のコフィン人達に声を上げる。


 武器を手に物陰から這い出て来る彼らの視線を受けながら、槍を高く掲げた。


「敵も味方も混乱の極致だろう、これより我々はルキナ様のおられる王都正面へと移動する! 同胞を救助しつつ神の次なる攻撃に備えるのだ!」


「ケウレネス!!」


 若い騎士の鋭い声が上がった瞬間、ケウレネスの顔に熱い液体がふりかかった。


 唇に入り込み、錆びの味を伝える赤い液体。たった今人体から噴き出したばかりの血液が、ケウレネスの顔にべったりと付着した。


 サリダのあえぐ声が、耳元で聞こえる。ケウレネスが前方に跳び、きびすを支点にぐるりと背後を振り向く。


 サリダの左腕の付け根を、鋭い獣の爪がつらぬいていた。


 剣を取り落としたサリダが、左腕を持ち上げられて絶叫する。彼女の足が地面から離れ、ごわごわとした厚い毛皮に触れた。


「……原種……!」


 石壁の外でスノーバ人と戦っていた原種のドゥーが、石壁の中に侵入していた。直立し、サリダの体を持ち上げるドゥーの後方には、落下してきた蛇の死骸に破壊された大扉の破片が散乱している。


 その場の全てのコフィン人が刃をドゥーへと向けると、ドゥーはごきりと音を立てて首をかしげ、サリダの頭を、腕をつらぬいているのとは別の前足……いや、『手』でつかんだ。


 誰かが、もうダメだ、と言った。しきりにやめろと叫ぶサリダの首が、ドゥーの力で上方に引き上げられる。


 骨がきしみ、サリダの首にたくさんの血管が浮き、引き伸ばされてゆく。




「貴様など、死んで当然だ」




 冷酷な声が、槍の穂先と共に飛んだ。真っ先に飛び出したケウレネスが、原種のドゥーの口中に刃を突き込み、返り血に再び顔を染めながらはぎしりする。


 つぶれる寸前のぶどうのように、己の体液にまみれたサリダの眼球を睨みつけながら、ケウレネスは咆哮するドゥーの爪になぎ払われる。


 鎧が砕け、赤黒い血が線を引く。そのまま石畳に背中から叩きつけられると、喉から血液があふれ出た。


 コフィン人達が、いっせいにドゥーに向かって行く。ケウレネスは視界の端に、振り回される爪から腕が抜け、吹っ飛ばされるサリダを見た。


 ごろごろと石畳を転がった彼女はケウレネスのすぐそばで突っ伏し、悲鳴を上げながら、それでも立とうともがいている。


「……死んで当然の、クズ女……なのに……」


 血と涙でぐしゃぐしゃになった顔を、サリダが向けてくる。


 ケウレネスは自分の切り裂かれたわきばらに手を当てながら、血液を吐き捨てた。


「見捨てられなかった……! くそっ……なんてザマだ……!」


 ルキナ様……!


 うめくケウレネスが、空に向かって、手を伸ばした。

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