百十二話 『果て』
「……何をするつもりですか」
雲と大地をつなぐほどに、みるみる盛り上がってゆく赤い蛇の樹に、曲剣のサリダが呆けた声を出した。
彼女のとなりで同じく空を見上げていたケウレネスが、声もなく視線を向ける。捕縛されたサリダは赤い髪を風に揺らしながら、その中で頬を震わせている。
「将軍、何をするつもりですか。助けてくれるんですよね? ……ねえ、助けてくれるんでしょ? あたしは、あんたの……幹部なんだから」
赤い光を発する蛇が、屍にわくウジのようにうごめく。
サリダがケウレネスへ顔を向け、直後突然に嘔吐した。ケウレネスが、靴先にかかるサリダの吐しゃ物を見もせずに口を開く。
「スノーバの兵団の動きが止まった。立ち尽くす神の中から、かつて見たこともないほどの量の蛇が空へ伸びている。……おそらく、神喚び師の意識があの蛇の大群に完全に向けられているのだ。兵士を動かすことも出来ないほど、注意を集中させている」
「……」
「モルグを落とした時のように……あの蛇は、敵へと飛ばされるのだろう。生き物の肉を食み、殺すために放たれる。だが敵味方の入り混じる戦場を……蛇の一匹一匹が、器用にスノーバ人だけを避けて動けるとは、思えん」
サリダも、きっとそれを分かっているのだ。見捨てられたことを察しているからこそ、彼女は反論もせず、ケウレネスの足元に屈み込んだ。
「ちくしょう……死にたくねえ……! 蛇に食われるのは嫌だ……ルグランみたいに、食い散らかされるのは嫌だ……!」
「仕方ないだろう。お前達が自分で選んだ指導者の決断だ。自国の皇帝を、同胞達を一方的に食い殺したバケモノを崇める道を選んだ、自分の責任だ」
「お願いだ、縛を解いてくれ! 縛られたまま食われるのは残酷すぎる! あんたの背中を守るから、剣をおくれよ!」
すがるサリダに、ケウレネスがゴミを見る目を向けた。その視線にもひるまず、サリダがケウレネスの、己の胃液で汚れた靴を抱く。
二人の周囲の人々が、次第に赤い光を前に動き出した。武器を構える者、けが人を物陰に隠す者、ルキナのいる石壁へと駆ける者。
ケウレネスが、サリダの頭をすがりつかれているのとは別の足で踏みつけた。「触るな」と押しのけると、媚びの消えた今にも泣き出しそうな顔をしているサリダへ、剣を振りかぶる。
目を見開くサリダの眼前へ、刃を突き立てる。「くれてやる」と吐き捨てるように言うと、ケウレネスは足を引きずりながら、地面に落ちていた簡素な槍を拾い上げた。
「背を預ける気などないが、私から離れようとした瞬間串刺しにするぞ」
「……は、離れるもんか」
「心底下らん女だ。好き勝手に振る舞い、好き勝手に生きた果てがこのザマか」
槍を一振りして気合を入れるケウレネスに、サリダが腕を縛る布を剣で裂き、柄を握りながら視線をくれる。
じろりと睨み返すケウレネスに己の肩を抱き、近づきながらに首を振った。
「本当に、なんてザマだ……一度はなりあがったと思ったのに……アルスもきっと笑ってらぁ……」
ケウレネスと並んで剣を構えるサリダが、赤い空を見上げながら、一度騒々しく鼻をすすった。
赤い蛇の樹は、既に雲をつらぬき、天上から偽りの太陽のように、禍々しい光を下ろしていた。