百十話 『赤い大樹』
「『魔王』を正確に定義できるか?」
壁の上に腰を下ろしたダストが、空を見上げながら、隣に座る父に問うた。
父もまた青白い半透明の眼球を同じく空に向けたまま、口を開く。
「魔の者、即ち人ならざる怪物達の王。あるいは魔術を極めた者への尊称、蔑称だろうか。単純に物語の悪役を指す時もあるな」
「人に災いをなし、悪の道に引き込む者。正義を失わせ世に混沌をもたらす存在。その究極たる者が、魔王だ」
「抽象的な言葉ばかりが並ぶ定義だな。災いも、悪も、正義も混沌も世にあふれているが、誰もその正体を知らない。だからこそ人は、自分の敵をたやすく魔王にすることができる」
ダストは無表情に、石壁に両手の爪を立てる。
「この混沌をもたらしたのは魔王の業ではない。魔王を悪の道に堕とした者の業だ」
「同じことさ」
父子の眼前には、半壊した都にたたずむ異形の巨人から、まるで大樹の枝葉のように空へと広がる蛇の群が在った。
赤く発光する蛇の群体は、これまでも翼の形となって巨人の背を覆ったことがあった。だが今、ダスト達の前で起きている現象はその比ではない。
巨人の体躯をもってしても、何故これほどの群が内に潜んでいられたのか不思議に思うほどの大群だった。
曇天に届かんばかりにそびえたつ蛇の山。それはさながら昆虫に寄生し、ある時を境に一斉に背中を突き破り発生する冬虫夏草を思わせた。
「神喚び師は、巨人の内に潜む蛇を『何百何千』と言ったが……一匹のサイズがスノーバ兵に寄生しているものの数倍から数十倍以上ある。あの蛇の群を解き放つだけで、一国が滅びるぞ」
ダストの言葉に、父は視線をルキナ王女のいる石壁へ投げながら「しかし」と眉を寄せる。
「それをすれば『神』はおしまいだ。赤い蛇は不死の巨人を『神』として維持するために必要な動力源のはずだろう。蛇は宿主から切り離されればいずれ死滅する。倒した敵の肉体にもぐり込ませても、限度がある」
「だから神の維持に必要な最低限の蛇は体内に残すのだろう。それ以外の余分な蛇を……戦場にばらまく」
「蛇はスノーバ人を避けて戦うだろうか」
父の問いに、ダストは視線を足元に下ろしながら「まさか」とつぶやいた。
「敵味方がこれほど複雑に入り混じった戦場で、そんな器用な真似はできんだろうよ。蛇は動く者を無差別に襲うだろう。神喚び師と、その周辺だけを除いてな」
「多少の犠牲は覚悟で一気に攻める気か。ならば蛇の群体の次は神が動く。どうするつもりだ」
「さて、悪あがきで終わるか、起死回生と転じるか……だが神はともかく、蛇の方までは手が回らんな」
目を細める父に、ダストは己の透けるような白い手を睨む。
「おそらく、次の魔術で俺の命も尽きる。その後の運命は……生き残った人々に託すしかない」