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誰も知らない話 『原初の二人』

「愚か者め」


 世界に毒の雨が降りそそいで以降、いかなる者の呼びかけにも応えなかったラヤケルスが、その日初めて自分から他人に声を向けた。


 北の大地、この世のものとも思えぬ巨大な月が浮かぶ夜。荒野で焚き火に当たっていた背に近づいて来た、宿敵への一言。


 勇者ヒルノアは思わず足を止め、魔王ラヤケルスの真っ白な頭を見つめた。


 なんともみすぼらしい、枯れ木のような姿だった。


 禁断の魔術を追い求め、死者を呼び戻すために全てを犠牲にして旅を続けてきた、老人の背中。血と土にまみれたぼろ布をひっかけた後姿は、まるでミイラのようにやせ細っていた。


 肉断ちの剣を背負い、不壊の戦斧と回帰の剣を両手に握った勇者ヒルノアは、体毛に多分に白が混じっているものの丸太のように太い手足を持っている。


 コフィン国王から授けられた最上の鉄鎧を身にまとったヒルノアは、すり切れ、引きちぎれたマントを夜風に揺らし、ラヤケルスの言葉の続きを待った。


「貴様は善の象徴なのだろう。コフィンの勇者なのだろう。私を殺す、英雄なのだろう」


 なのに――と、魔王は火に向かったまま、土に爪を立てる。


「なのに、何故『邪悪』に手を染める? ヒルノア」


 魔王の背後に立つ勇者。その背中に、夜の闇よりも濃い影が落ちる。


 腐臭を漂わせる、巨大な人影。それにからみつく無数の蛇が、赤く発光する。


 ヒルノアは己の生み出した異形の巨人を振り返り、ラヤケルスへの答えを考えた。歯を剥く蛇の群を眺めながら、ひび割れた唇を開く。


「お前を殺すためだ。最高の術でなければ、魔王ラヤケルスは殺せない。現に今まで何度も仕損じてきた。今度はしくじらない」


「最高だと? 違うぞヒルノア。それは『最低』だ。他の種族、他の生物、命と死を思いのままにする魔術は、最も忌まわしく下等とされるものだ。人が魔王と呼ばれるに値する所業だ」


「……魔王ヒルノアか。それも悪くない」


 ヒルノアが薄笑みを浮かべて顔を戻すと、ラヤケルスは焚き火を背にして立ち上がっていた。その眉間には、かつての毒の雨で皮膚と肉、骨すらも焼けただれた跡が、深い亀裂となって刻まれている。


 対面する二人のそばで、不死の巨人がおぞましい鳴き声を月に向ける。


「正史に残る勇者ヒルノアの物語など、俺にとっては心底どうでもいいことだ。偉大な国王の命を受けて邪悪な魔王に挑んだ英雄。歴史に名を輝かせる人類の救世主。そんな男は、俺の人生には関係ない」


「貴様はこちら側へは来るな。来てはいけない。魔王の領域には……」


「勝手な話だな」


 ヒルノアが、闇とくまに沈んだ目を手の甲でこする。彼の手は、魔術の媒体とするための血を流すためにつけた傷で埋め尽くされていた。


 ラヤケルスが、同じ手を夜気にさらしながら、相手を暗い視線で睨んだ。


「私は親しい人々の死を拒絶するために、なかったことにするために禁忌を犯した。その過程であまたの異形を創り、怪物を生み出した。……貴様の刃を退けるためにも、利用した。だからこそ貴様は、私を倒すためにその巨人を生み出したのだろうが……」


「貴様の作った屍の集合体と何が違う? 巨大な魔術の化け物だ」


「私の創造物は壊れる。人の手で、森羅万象の力で、破壊が可能だ」


 貴様の『それ』は違う。


 ヒルノアは全ての武器の刃を地に向けたまま、砕けるほどに歯をきしませてうなった。


「俺はコフィン人最強の魔術師だ。不死、不滅の存在を作り上げるのは魔王ラヤケルスの悲願だったが、魔王ヒルノアはよりたやすくそれを成し遂げたわけだ!」


「私が望んだのは命と魂の帰還だ。死者の蘇生だ。壊れない怪物を創ることではない」


「同じことだ! 甦る死者も不滅の巨人も同等に忌まわしい! だがこと魔術師同士の戦いにおいては、より『魔』に近づいた方が勝つ! より邪悪な術を行使する者が勝つのだ! 勇者ヒルノアに魔王ラヤケルスは倒せなかったが、魔王ヒルノアならば……!」


「私の首はいずれ貴様にくれてやろう」


 ラヤケルスが、ヒルノアの殺気を怒気で受け止めながら言った。


「自分の人生に貴様を巻き込んだ非は認める。だから詫びとして首は取らせてやる」


「……それはどれほど先の話だ? お前がやりたいことをやり尽くして、死者の蘇生は無理だとあきらめるまでか? いったい何年かかる? 何十年かかる? 国王に人質に取られた俺の妻と子は、明日をも知れん命だと言うのに!」


「……そう長くはかからん。私は……」


「ふざけるな! 貴様の妻子はとうの昔に死んでいる! だが俺の妻子は……きっとまだ、生きているんだッ!!」


 ヒルノアが両手の武器を掲げると、巨人が咆哮を上げてラヤケルスを見た。「今死んでくれ!」と叫ぶヒルノアに、ラヤケルスは己の手の傷口を噛み破りながら叫び返す。


「これは我々の問題だ! 勇者と魔王の一騎打ち、どちらか一方の死だけで完結すべき戦いだ! なのにそんなものを持ち出したら……死なない怪物を物語に組み込めば、戦禍は未来にまで及ぶ! 貴様にその巨人を処理できるのか! 私を殺した後に物言わぬ屍に戻せるのか! ヒルノアッ!! お前まで歴史に罪を残すなッ!!」


「貴様だけ『魔』にまみれておいて何だその言い草はァッ!!」


 ヒルノアがラヤケルスに斬りかかると同時、不死の巨人が大きく腕を振りかぶった。


 ラヤケルスは血の流れる腕を焚き火に突っ込み、咆哮する。瞬間焚き火の炎が四散し、火をまとった骨の群が地面から飛び出した。


 動物の頭蓋骨ばかりが組み合わさり、連なった、白骨の大蛇だ。おびただしい数のそれがヒルノアの刃をはじき、あるいは砕かれ、巨人の拳を受け止めるべく頭上で渦を巻く。


「貴様と俺と何が違うんだ! ラヤケルスッ! 俺は――!!」


 巨人が拳を振り下ろす瞬間、ヒルノアは悪鬼の表情で叫んだ。


「俺は家族のためなら道義も魂もドブに捨てられるんだ! 魔王になることなど……いとうものかアァッ!!」





 何が違う。我々は、何が違う。


 血を吐くようなヒルノアの叫びは、かつてラヤケルスが毒の雨の中で上げたものと何も違わなかった。


 ラヤケルスは、原初のコフィンの魔王は。己の業が第二の魔王を生み出していたことを、認めざるを得なかった。

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